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| 情報革命と日本の将来:月刊東洋経済投稿文1996年(論文形式でないという理由でボツ) 著者:山部悦則 (販売停止中) 旧PCからデータ修復中につき少しお待ち下さい: (目次から) 「情報革命と日本の将来」 1. 拙文では何故一切の近代的論文手法を用いないのか。 2. 高度情報社会と「システム病」 3. 何故、超高度技術社会は自滅するのか。 4. 1つの大胆なシナリオ−不安産業の台頭と大不況の到来 5. 結語;夜明け前の闇は最も暗い。 序章から:拙文では何故一切の近代的論文手法を用いないのか 今、世界はメカトロ技術と際限のないグローバリズムにより混乱の極みにあります。 本文着想からはや10年、世界はその内容の通りに展開してきました。 本文では世界不況を予言しましたが、後数年内に世界経済のバブルははじけ、 ある種の保護貿易(修正主義)が復活するでしょう。不況の反動は多少はインド経済が歯止めとなるでしょうが・ (現代のメカトロ技術は中産階級を産み出せないというのがシステム社会の本質です。) その結果、後数年で、世界はグローバリズムと世界一極化というベンサムとダーウィンの妄想と呪縛から 開放され、新たな明るい精神世界の時代が芽生えることでしょう。 本文内容:バブルの崩壊という言葉の嘘:ただ中国バブルに潜伏化しているだけ。今の、「デフレ」 という定義は根本的に間違っている。 現代の技術パラダイム、適正技術論、 戦争論、歴史学・経済学が全く役に立たない現代の特殊性など。進化論に向けての一考察。 なお、本文は一種の直感で一気に書き上げましたので、文章技術に多少の粗さはありますが、ご容赦 下さい。(近々、無料公開の予定) 追記:上文を少し訂正しました。マスコミに配慮したのですが・・・もうメディアには何も期待してません。(2005. 2.1 更新) 上文、大変、堅苦しくなりましたが、現代の混乱を、敢えて一言で言いますと: 大昔は、始めに「道」ありきでした。学は所詮=「術」に過ぎなかった。つまりは、「道」>「教」>「学」 ところが、現代は、その逆さまで、 「学」>「教」>「道」 ・・・と、成り下がってしまいました。 全てを合理主義的に定式化された主義(イズム)で説明しようという安易な風潮が、社会思想の基調となり、それが経済ないし、 政治潮流を形成している面があるようです。 (こんな事は常識で、学者や大臣よりも、八百屋のおじさんの方がよっぽど、分かっているのですが・・・・) *そこで一句:「夜明け前に正に日上らんと欲すれども、日、明けず。有明の不知火に問う。」 生きているということ あるということほどの 不思議はない (浄土真宗より) 英訳: Nothing is more inconceivably profound than being alive, having life. 無断転載禁止 1.学習塾の功罪を! → 子供は遊ぶもの。小さい時に知識を詰め込んで何になる? 代わりに、家の手伝いや自然体験から生きる智恵を学ぼう。 2.ビデオ・ゲームの功罪を! → 今のバーチャル・ゲームの刺激は昔の比ではない。精神公害を招くだけ。 3.ワン・ルーム・マンションの功罪を! → 親のすねかじりの学生は、安い寮生活をして銭湯に通うのが一番! その方が社会性も身につくし、親の負担も減ります。 4.携帯電話の功罪を!→これでますます人間関係は「密室化」し、風紀は悪化しました。(作ってしまったから仕様がないが・・・)なるべく依存しないよう。 5.子供英語教育の功罪を!→ 日本は英語が通じないと言う事は、まだ、固有の文化がある証拠!(この点、もっと日本に自信を持っていい。) いずれにせよ、外国語は必要に迫られないと覚えないもの。ちゃんと日本語を身につけてからで十分です。 6.PTAの功罪を!→ 昔は友達になぐられて多少のケガをしても、「ケンカで負けるようじゃいかんぞ」と逆に親からしかられたものでした。川遊びや自然体験での 少々のケガは当たり前というより、「痛さ」「生きてる実感」「自然の脅威」を知る上でむしろ必要な事が多いものです。こういう体験がない から集団による陰湿ないじめを生むように思えます。・・・いずれにせよ、幼稚園位までは、どろんこになって、一度サルに戻る練習をしなければ なりません。・・・一回、サル体験を卒業してから知育を始めないと、今の人工的刺激ばかりの環境では、子供は一種の「感覚麻痺症候群」に陥ります。 その結果、学校の先生はPTAと教育委員会の顔色ばかりを見て、授業するようになります。(現在の日常に見られる異常な犯罪の過半は、 この「感覚麻痺症候群」によるものと思われる。) 7.じゃりタレントの功罪を!→ 日本のメディアはとかく餓鬼に媚び過ぎる。ガンクロで、妙な発音の餓鬼の歌にはうんざり。欧米の様にちゃんと大人のタレントを。 やっぱり、歌なら演歌が一番。・・・それと、「水戸黄門」と「男は辛いよ、寅二郎」! 下町で楽しもう。 <現在論文化本格準備中> 第2段では、ダーウィンの進化論の破綻を学術学会博士論文で完全に論証します。(乞うご期待!)) クローン人間は、科学VS倫理の枠組みの問題ではなく、クローン人間自体が精神・神経・感覚系統に おかしな異常な存在しか作り出せない事は科学的に明々白々。 また、その形成過程で何千万人単位の犠牲者を出す疫病(ヴィールス)を作り出す可能性が大きく 人間に利益をもたらすというのは完全な幻想でしかありません。 ダーウィニズムは近々間違いなく葬り去ります!(念のため、宗教的概念は一切不要、むしろ邪魔、どころか既存の宗教こそが むしろダーウィニズムを結果的に助長したという言った方が良いでしょう) 遺伝子決定論的な見方について:簡単に。 1、もう脳と心の関係については哲学的(20世紀最大の宗教家・哲学者K)には既に解答は出ています。 私はあまり遺伝子決定論的な考え方に重きを置いていません。 遺伝子は決して静的・固定的なものでなく、ダイナミックに変化していくものと思えるからです。(当たり前の事ですが・・・) 従って、恐怖の素因となる遺伝子とか発癌性を誘発する遺伝子を特定できるかの如きの見方には・・・慎重を期すべきでしょう。 2.量子力学の場合、素因と結果の関係を相関分析で処理してもある程度の目途が立つ事はあります。 ですが、心理や生理学的な反応を介する場合、要因は決して定量的に数量化される構造を持つのではなく、文字通り「化ける」訳 ですから、それらの定性的な関係は複雑に階層化された構造を持っている場合が殆どです。。 従いまして、i遺伝子レベルで何億もの塩基配列が仮にピタリと判明したとしても、アクティブでない(素因として関与しない)ある眠っている 要因が、言わば、全体構造の中で「隠し玉」(一種の暗号)的な役割を果たしている可能性も往々にしてありうるのです。 3.多分の遺伝子の働き(の限界性)については、分子生物学アプローチより、量子力学的な発見の方が有意性を持つ 可能性が高いでしょう。 4.更に言うと、記憶、感覚器官を支える脳の座位が全て確定したして、確かに思考と脳はインタラクティブな関係が多少なりと 説明できるかも知れませんが、基本的に「心」はオープン系のはずです。機能的面ではそうなります。。 >研究活動過程報告:20才の時に既に直感的に論破していましたが・・・誰も理解者がいませんでした。 >現在、論文の枠組み(スキーム)はほぼ決定しています。 >研究費賛助者を募集していますw (ここの所は小さく書きますなり・・・小金不要、大金歓迎につきw) お薦め文献:1-「パイドン」プラトン著ー魂不死の証明 2-「奇跡を求めて」P.D. ウスペンスキー著ーグルジエフの神秘宇宙論 3-「The Magus of Storovolos」「Homage to the Sun」 etc. K.C.Markides著 4-「自然農法・わら一本の革命」福岡正信著 5-「もう一つの人間観」和田重正著 (帝国大学法学部卒にしては珍しく、「本物」の方です。何故か、本物程売れないのですね!) 6−「光と風を聴く」渋谷春雄著 7-「死の地帯」ラインホルト・メスナー著 (最高のドキュメンタリーの一つ:臨死体験の草分け的著作) 8.-「クリシュナムルティ・水晶の革命家」高岡光著 (西沢新一を遥かに凌ぐ僧侶兼評論家:近々、楽天ショップで販売予定) 9-「You Forever」Lobsang Rampa 著 10-「複雑系」MM.ワールドロップ著 (カウフマンの「自己組織化と進化の論理」より良いと思う) 11−「森田正馬」全集(お弟子さんがノーベル賞候補になった今や世界的な精神療法) 「日常生活」にこそ真理ありの達人的実践家! この本の意味が分からない方は、宗教家の資格なしと言えるでしょう。(フロイト始め、心理学者は最初から問題外) 12- 「健康という名の幻想」ルネ・デュボス (ノーベル生理学賞受賞者、利根川さん始め最近の科学者はお薦めできません!) 13-おまけ:「認識の出発する所」 山部悦則著(未刊)−生の裏側を見た体験、恐れながら自薦。 *「ツァラトゥストラはかく語りき」ニーチェ (現在挑戦中 :全く私が構想していた通りの書き出し! 一般の評論と違い、彼は決して無神論者ではない!) ** R.シュタイナー:ドイツの神智学者、(非常にいい線行ってるのですが・・・どうもひっかります。 1.内容の展開は確かに面白い。 2.ですが、どうも文章や講義の内容が自分のものになっていないような気がします。 今一つ、しっくり来ません。・・日本の○○隆法さんの話の出所はきっとこの本でしょうが・・) (注)その他:いわゆる精神世界の本は殆ど精神科の領域: 例1.「前世療法」トランスパーソナル心理学の遊び。何の役にも立ちません。 例2.「クンダリ二ーの覚醒」現在、正式にクンダリニーを教える事ができるヨギはいないとの事。 非常に確度の高い情報では、下手にこれをやると精神病になるそうです。 <ゲーデルの不完全性定理> ついに出た!アイシュタインもびっくり。!! 「科学」と「技術」の定義は根本から違う。今後、科学論文の論証形式にどう影響を与えるのか?! http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=25153 これで「複雑系」システムとの関係はどうなるのか? 今後、学会の論戦が熱くなる。!! アメリカの「サンタフェ研究所」は見逃せない。今後面白く展開しそうな予感・・・・・(2004.8.6 UP) (書評: 現在ゲーデルに挑戦中、簡単なようでやはり難しい。特にべき「集合」において要素と数の組み合わせで要素が余って しまうという所で一服中・・ですw。後、ヒルベルトの連続体仮説の問題がどうも・・今ひとつ。ここでまた一服!) <複雑系:学生、いや特に日本の場合、大学教授必読の書:異端こそが世の中を変える!!> 養老孟司は専門馬鹿の典型! この程度がオピニオン・リーダーでは日本の先が思いやられる!! まともな学者はいないのか?・ 著書:「複雑系ーM.M.ワールドロップ著」について 「ノーベル賞への王道はこれまで還元主義手法だった」−コーワン(書評:この結果、アカデミズムは退廃した) 「全体はその部分の総和より大きいことがあり得るという狼狽するような事実に直面したのであった」 ステュアート・カウフマンが言う「細胞の自己組織化」「秩序」は、山部が以前から主張している 「内発的展開」に他ならないと思う。カウフマンの構想力とその熱意をすごいと思う。 次に、経済学者のブライアン・アーサー 「昔は技術は厳密に言うなら少しも経済の一部ではなかった。それはあくまで「外性的なもの」・・・その後、技術を 「内性的なもの」、つまり経済システムそれ自体の中で生み出されるものとみなさそうという試みがあった。」 (複雑系197頁) ・・・上記は表現が曖昧だと思う。「必要は発明の母」は死語と化し、いつ頃から発明が勝手にニーズ を作り上げるようなシステムになってしまった。これは、現代の技術論を考える上で非常に大事な点と思われる。 1.とりわけ先進国で戦後見られた「高度成長」という代物、これ自体が歴史的に異常な現象であったとも言えるでしょう。 有史以来、つい100年前位まで殆どゼロ成長に近かった。それがこのたかだか50年(一世代)で 代々からの自営業はつぶれ町の景観は一変し、世界が同時に連動しまさしく世界が一変しました。 極論すると、我々の世代は「技術のるつぼ」の中で、有史以来我々が経験した事のない、 生存に向けての実験をやっているようなものとも取れます。・・・・そういう歴史観も成り立つのではないでしょうか? 。 2.「技術は経済それ自体の中で生み出されるという」というより、もっと端的に言うと、 技術が経済や産業構造自体を変える独立した「主要要因」と化したのであり、あげくは地球の気象まで 変え、クローン云々までも言い出したのである。ちなみに山部は、技術の自己目的的運動と「情報革命と日本の 将来」では定義しました。 (中略) はてさて、ついにTaoism も登場!あくまで大自然に対して謙虚な姿勢は素晴らしい。 日本でもかつては、デカルト批判を出発点に「近代の超克論」が一部で上がったが、妙に右傾化いうか 盆栽のような日本学で終ってしまった。・・・日本では、やはり哲学の巨人は生まれないのだろうか?(2004.11.28) (やっと完読!読後感なり) 1.ここ数世紀の科学(私の定義では科学でも何でもない)の細分化傾向に一矢を報いたサンタフェの精神は素晴らしい!! 還元主義的な技術では、要因を選択した時点である程度、結果も束縛されてしまう事が多い。その意味では、手法が逆に結果(狭い パラダイム内でしか通用しない)事実(部分的事実)を制限している側面が大いにあると思う。 2.ただ、複雑系も全般を見渡すと、結局はコンピュータ・シュミレーションに大きく依拠している。そこで、「複雑系」という概念が 実はシミュレーションが高度化・複雑化したが故に、結果的に「複雑系」のシステムを支えている一面はあるかも知れない。 3. カウフマンの発想も、アーサーの発想も直観力のある中学生なら誰でも分かる、極めて「当たり前」の発想から出発している。 難しい文句や専門用語を並べたてる人が一流の学者であると思い違いしている人は多い。 しかし、本物の学者は、中学生にでも分かりやすく、思想を自分の言葉で咀嚼して説明できる人のことを言う。 そこが、借り物の知識(観念の遊戯)と本当の智恵を峻別できる点であろうか・・・ 4.ただ、最後に、これまでの旧態依然たる手法に根本的な疑問を投げかけた点で、大いに注目すべき本だと、思います。 (2005年元旦更新:酉年:謹賀新年) <全く読めない養老孟司先生の唯脳論> 2006年3月1日掲載 (4月20日一部修正・更新) 無断転載厳禁
最後に、「論理の限界」としてソクラテスの言葉をパイドンから引用します。 「さて、我々は大地の窪みに住んでいるのだが、それとは露知らず、上方の大地の表面に住んでいる、と思い込んでいる。それは、ちょうど、海の底深くに住む者が、海の上に住んでいると思い込み、水を通して太陽やその他の星々を眺めながら、海を天空と思い込んでいるようなものである。彼は、鈍重さと虚弱さのために、未だかつて一度も海の表面に到達したことがなく、海から浮かび出て、このわれわれの世界へと頭を出し、この世界がかれらの世界よりもどれだけ浄らかでどれほど美しいかを、自分自身見たこともなければ、他の見たことのある人から聞いたこともない」−パイドン(岩波文庫)
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