謹賀新年―徒然なるままに(回帰行)1995年
昨日の大晦日に沼津から帰り、何気なく新聞をめくってたら、人の欄(朝日、元旦朝刊)に南米探検家の関野吉晴さんの事が出ていた。ほほーすごいなというか羨ましいと言うか、---- もう向こうは覚えていないかも知れなけれど、彼とは確か30才前後に観文研で一度会っている。一見、内向的で無口でながらも胸のうちに何かを秘めているといったタイプの人だった。思わず懐かしくなったが、この時代に徒歩か自転車で大陸を縦断している事のほうに興味を持った。ガソリンを使わないという事は当然野宿を強いられたはずだからである。危なくないのであろうか。20年前だったらさほど驚かないのだが、世界中で世の中が物騒になってきている情報ばかりの今日、人力で南米からタンザニアまでを7年がかりで渡ってしまおうというのだから。-----
私事ながら、私もパリからナイロビまで1年間ヒッチした時はほぼ全部野宿だったが、置き引き以外は全く身の危険は感じなかった。ところが、最近ナイロビに行った人の話を聞くと、とても危険で、夜の一人歩きなどできるものではないという。以前のナイロビはアフリカでも一番快適で安全な街だったのだが------- 一体全体どっちが本当なのか。少し考えられさせるが、要するに危険な場所だけ危険なのだという結論に達した。何処へ行こうが、今の東京で野宿するのと同じように危険なのだ。少なくともロサンゼルスよりはましだろう。一応そう思うことにしておこう。------ インド、アラブは泥棒以外は大丈夫。ブラック・アフリカも都会だけ要注意なのではないだろうか、----------- 当時の事がまるで昨日の事のように思い出せる。ひとつ、また行ってみようか、20年前に辿った跡を、また一人で、それとも今度はナイル河から下ってみるか等と思いを巡らせている内に、例によって、億劫だなという気持ちが頭をもたげてきた。やっぱり、面倒くさい。それに孤独だ、若い時に比べて。中年ヒッピーなんて会った事ないもんなー。------ こういう躊躇は病のせい、年のせい、それとも、――
自分でもよく分からない。よく分からないがとにかく外に向けてのエネルギーがなくなった。 ただ、一方で、20年前にアフリカで感じた直感だけは、いよいよ現実化してきたなという気持ちは年毎に強くなってくる。それが、今の自分をかきたてる。出きれば「面白き事もなく世を面白く」の精神で行きたい、だが、もう一人の自分がせきたてる、探求しろと。もっと自分を理解しろと。そしてこの欺瞞だらけの世の中に宣戦布告せよと。とにかく、今は、一歩も前へ進めない。--------- だから、今、こうやって書いている。
ほんの一昔までは、何か未知の社会のようなものが無条件に存在していたように思う。そうではないだろうか。たとえ、それがフィクションだったとしても、我々にしてみれば一種の共同幻想として、そこへ行けば「何か」があるというような未知のものがあった様な気がする。--------- だが、フロンティアがなくなった現代は未知の世界(たとえ、それが錯覚であれ、------ 今の世界は錯覚で成り立っている)を自ら探し作り出し(そして自分自身を合理化する)だけのエネルギーがなければ旅をしてもおもしろ味がない。それだけの心のおおらかさが果たして今の自分にあるだろうか? という気がする。
どっちにしても、国内、海外を問わず、旅する先がつまらなくなってきている事は確かだ。全てが管理されHow to の時代になってしまったのだから。… 自分の体験でもそれが分かる。 昔の話になるが、アフリカから帰り、私はモトクロス・バイクに一時相当熱中した事がある。日本国中を回ったばかりか、峰名山頂を制覇しようと試みたり、色々やったが、それはそれで楽しかった。確かに楽しかった。だが、ヒマラヤ・プロジェクトが終了した時、私は衝動に駆られて、ポカラからグルカまでのヒマラヤの道を無免許でモトクロス・バイクを借りて突っ走った事がある。…・なんと、完全にぶっとんでしまった。問題にならないのだ、日本など。まるでスケールが違うし、先ず大地の臭いからして違う。風を切って走るわきから、犬やにわとり、乞食、屋台や掘っ立て小屋、その他もろもろが目に飛び込んでくる。風景が息づいている、確かに生きているのだ。それ以降、日本での、バイク・ツーリングがまるでつまらなくなってしまった。…… レジャー化した旅は、最早旅と呼べる代物ではない。日本でも昔はノーヘルでバイクに乗れた。フルフェイスにしたらバイクに乗る意味がない。 これは交通安全法規とかの問題ではない。それ以前に、今や、バイクが都市空間を走る単なる移動手段と化したからであり、それだけ日本の風土がリアリティを失ったという事であろう。…・・ それと、もうひとつ。かつての東アフリカで、サファリ・ツアーに参加して、専用バスに乗っていくつか国立公園を回った事がある。ライオンがいたり、キリンがいたり、確かにそれなりに面白いことは面白い。だが、それだけだった。何の感慨も湧いてこなかった。 それに比べてあのザイール・ウガンダ国境付近で見た光景は20年たった今も深く脳裏に焼きついている。丁度、ザイールからルワンダに入ろうとしていた折り、トラックのタイヤがパンクして半日程、立ち往生した事があった。それで、私は退屈しのぎにあたりを歩き回っていたら、100 m ばかり先の川辺で水を飲んでいる何百頭ものバッファローの群れに出くわした。わずかな距離である、だが恐怖心は湧かなかった。彼らが大地に立っていれば、勿論私も目と鼻の先の同じ大地に立っている。そしてガラス越しにではなく、一緒に同じ空気を吸っている。この時の感じをうまく伝えられる言葉が見つからない。…・・奇妙な事に、その時、私は、目前の水牛に何とも言い様のない一種の懐かしさを感じたのだった。…・・ たかが、バッファローである。それに奇抜な光景でも何でもない。国立公園でもない。ひなびた通りすがりの地である。なのに、何故このように感動を覚えるのか、不思議だった。…・私は、ただただ黙って、いつまでもそこにいた。
確かに、地球の歩き方とかくだらない旅行ガイドが出る以前の観文研は、70年代という時代のせいだろうか、とにかくすごいというか、アフリカをリヤカーを引っ張って横断した青年やらーこの青年の噂は外国人旅行者にもつとに有名で、丁度同じ時期旅していた私も、日本人には頭のいかれたのが多いな等と冷やかされて笑ってしまったものだった、とにかくものすごいおもしろい個性が集まる場所で、確かにあの時代特有の活気というものがあったと思う。…… しかし、民俗学者、宮本常一先生の死と前後して、民俗学が民族学足りえなくなった頃、観文研はその存在理由を失い解散した。一つの時代が確かに終わったのだ。これは私にとっての時代ではなく、世代を超え、時代そのものが確実に変化したのだと今思う。幸い、私も、手書きながらもこの観文研から「アフリカの旅」を出させて貰った。出来は良くなかったが、紀ノ国屋の片隅に並んだ時は正直興奮した。私は観文研全盛期の後半に関わった様に思う。そして、観文研アムカス・グループの消滅と相前後して、例の「地球の歩き方」が本屋にどんと並ぶようになった。…………・ 今でも、ビビットに思い出せるその時代の活気。ずっと前から、これは中年男の感傷に過ぎないのか、それとも時代そのものが変わってきているのか、自問自答してきた。そして確信に至った。いつの時代も大人は繰り言を言うと譬えられる。だが、今の時代は違う。断じて違う。確かに、ノスタルジーの一面はあろう。しかし、それ以上に、社会(世界ではない)が人間を消耗品化しているし、時代が時代を消耗している。これは確かである。錯覚が錯覚を再生産している。だが、賛同しない人も多数いる。特に、学者や技術者、評論家等その道の専門家に多い。どうして、こんな単純な事が分からないのだろう、と思う。だが、私はこの種の議論がいかに不毛であるかという事を知っている。(その訳は、「クリシュナムリティの読後感」で既に書いた。) 従って、そういう低感度の人とは、インド、ヒマラヤから中近東辺りで議論しましょうという他はない。その場をただ素直に感じさえすれば自ずと不問に帰するであろう。……・
(ただ、私の先祖は熊襲ではなく、あのネイティブ・アメリカン=アメリカ・インディ
アンなのではないかと、ふと思う事がある)
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