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2003/4

■2003/4/29(tue) 木梨憲武さんの個展

今日はみどりの日、昭和天皇の誕生日だ。今年の「ゴールデンウィーク」は、そう呼ぶにはちょっと物足りない連休で、暦どおりに仕事をしている人も多いはず。しかし、ぽつぽつと穴あきでとれる休日だからこそ、例年よりその一日が貴重に感じられるともいえる。今日はせっかくのお休みということで、代官山ヒルサイドフォーラムで開催されている、とんねるず木梨憲武さんの個展「Go With The Flow」を訪れた。

私は木梨さんの絵が好きだ。彼の絵をみて、「この絵が好きだ」とか「この絵を自分の部屋にかけたい」とか、そういう気持ちがどういうものなのか実感できた気がする。あたたかくて力強い心がその一つ一つを生み出している。一枚一枚の絵からとても優しいパワーを感じるのだ。描かれる人も草花も空気も、みな柔らかくてあたたかい。絵を見る時間がこれほど幸せだったのは初めてかもしれない。たぶん、私にとってはピカソより素敵だ。

木梨さんの個展が開かれるのは、これで4回目とのこと。1年1回ペースで開催しているようで、今回は昨年の個展を終えた後からこれまでの1年間に創作した絵画、ペン画、デッサン約100点が展示されている。心地よく、リラックス、流れのまま。そんなコンセプトで創られた色とりどりの作品たちだ。

お子さんの作品も展示されており、奥さんの安田成美さん(女優)の絵もポストカードになっていた。木梨さん本人以外の木梨ファミリーは、以前恵比寿のドラッグストアで見かけたことがある。安田成美さんは、想像していたよりずっと小柄でほっそりとしており、男の子二人を連れて、マネージャーさんらしき人と一緒にお買い物をしていた。あの時に放っていたあたたかな家庭の匂いが、個展会場にも同様に漂っている感じがした。


■2003/4/27(sun) 終末

自分の上に何も見えなくなった瞬間
世界一可能性から遠い人間になる


■2003/4/26(sat) 日常茶飯事

「開運のために小銭を数える」(1コ前の話を参照)なんてのんきなことは言っていられない。お財布を開くと、想像以上に中身がさみしいことになっているではないか。朝から必死に小銭を数えてしまった。まず家を出て駅で切符を買う時に、お札入れが空っぽであることに気づく。いろいろ紙きれは入っているのに、お金の紙は一枚も無し。しかし、小銭入れを開くと500円玉の他ちらほらと銀色のコインが見える。切符を買うのに500円玉を登場させなくても事足りそうである。とりあえず行きは乗り切れそうとみて、切符を購入し電車に乗り込む。

ここで注釈だが、私はここ1年以上定期券を買っていない。おそらく1年半くらいか、毎日切符を買って通勤している。なんでかと言われても、これといって何の理由も見あたらない。機を逃しているとしかいいようがない。ちなみに、切符通勤して1年を過ごすというのは、今の会社に入ってからこれで2度目。つまり、3年近く勤めているうち2年半ほどは毎日切符を買って通っているのだ。これまでに何の得もない。良い子は真似しないように。以上、注釈。

会社の最寄駅に無事到着。コンビニに立ち寄って朝ご飯を買っていくにあたり、500円では心もとないなぁと不安が募る。そこで駅前でお金をおろしていこうとお世話になっている銀行に足を踏み入れたところ、まぁなんという人の多さ。ATMの前は長蛇の列。そのまま失礼する。コンビニに到着して、再度手持ちの小銭を入念に数える。結果、550円あまりの所持金を確認。一つ一つ価格をチェックしながら、商品を選りすぐってゆく。

よし、これで大丈夫。レジのお姉さんの「4XX円です」という「4」の数字を聞いて、胸をなでおろす。得意げに500円玉を差し出す。善良なお客さんとして、ふふんとその店を後にする。お店を出て、すかさず小銭を数える。50円玉2枚、10円玉3枚、5円玉1枚、1円玉5枚。しめて140円なり。あとはこの先徒歩1分の会社に向かうだけ、銀色コインが2枚ついていれば怖いものはない。次に買い物に出る前に銀行に行かないと。自分の席に座って今一度小銭をチェック。開運祈願。ポストイットに「銀行!」。こんなのが私の日常。


■2003/4/25(fri) 開運のカギ

暗雲立ち込める本日、「今日の占いカウントダウン(フジテレビ)で魚座は最下位」との悲報が今朝方メールで届けられた。私は魚座なのだ。「開運のカギは、財布の中の小銭を数えろ!」らしい。なんじゃそりゃ。

占星術が導き出すものに、各星座のその日のランク付けまでできたとしても、「開運のカギが財布の中の小銭を数えること」までははじき出せないだろう。つまり、これは何らか占星術の抽象的な教えを、かなり限定的になるものの具体的な行動に落とし込んだアドバイスになるよう、仲介役の占い師さんが自分の想像力でここに落ち着かせているものだと思う。

こういうロジックで、「財布の中の小銭を数える」に至る手前の開運の施策を考えてみる。要するに、あんまりいいことないから、小さいことでも一つ一つに目を向けてちっちゃな幸せを味わいなさいよ、とかそういう教えだったのかなぁと勝手に考えているのだが、ちょっと安易すぎるだろうか。

それにしても、この「今日の占いカウントダウン」。テレビ局には苦情も入っていると聞くが、確かに自分の星座が最下位になっているのを通告されて朝が始まるというのもなんだなぁ。別にランク付けしなくてもいいじゃんさ、という気にもなるわな。でも、一度知ると気になってしまって、見る見ないの選択の自由があるのに結局見ちゃって苦しんでテレビ局に苦情いれてるんだろうなぁ。人って複雑な生き物。

お薦めなのは、FMラジオ「J-WAVE」の「BOOM TOWN」という番組の中で朝9:50くらいからやっている「スターマン」という占いコーナー。占い界ではおそらく有名な鏡リュウジさん監修のもと、スターマンがわかりやすくその日の星をよんでくれるのだが、ここでは何の星座が調子いい悪いという話ではなく、「今日の星の巡りはこうで、それはこういうことを意味しているから、今日は皆さんこういうふうに振舞うとよいでしょう」といった三段論法で全体向けのアドバイスをしてくれるのだ。抽象的な教えを具体的な行動例に落とし込む想像力も、実にしっくり・・・というか面白くて、飲み込みやすい。ランキングで落ち込むこともないし、お薦めだ。

何はともあれ、小銭を数えながら小さな幸せに目を向けながら、今日1日を頑張って乗り切ろう。すきすきのお札入れを見ても、余計落ち込むことだし。


■2003/4/24(thu) メリル・ストリープに学ぶ

雑誌「Newsweek」(TBSブリタニカ発行)を初めて買った。「シネマ!シネマ!シネマ!」と題された映画特集。表紙はマトリックス姿(真っ黒)のキアヌ・リーブスとキャリー・アン・モス。駅のキオスクに並ぶ雑誌たちの中でも一際目立っていた。で、先日買ってしまった。

たまにはあちら(米国、というか外国)の雑誌を読んでみるのも面白いなぁと思った(日本版ですが)。インタビュー記事などを読んでいると、あちらの人たちのものの考え方や感情の動き方が垣間見られたり、インタビューをした側がどういうふうにその人を言葉で描いてゆくのかがみてとれ、大変興味深い。

映画特集の中には、ジャック・ニコルソンのインタビュー記事や、映画「めぐりあう時間たち」で共演したメリル・ストリープ、ジュリアン・ムーア、ニコール・キッドマンの座談会記事などがある。観ればみるほど好きになる「恋愛小説家」で主役を演じたジャック・ニコルソンの生声もかなり衝撃的だったが、それにもましてメリル・ストリープ。彼女はなんだかすごいことを言うのだ。

「悲しすぎる選択でも、それが最善だというときが人生にはある」

私にはとてもとても口にできないセリフだが、彼女ぐらいの歳になって、そんなことを自然と語れてしまったらすごいなぁと思った。いくつになっても、そんなことできる器にはなれない気がするが。なんだか恐れ多い一言だった。

そして、やっぱり言葉ってすごいなぁって思ったのだ。こうやって断定して言われると、あぁそうか、そうなんだって気になってしまう。言葉が事実をつくっている感覚というのか、言葉に現実が作られてゆく感覚というのか。とにかくすごい。

言葉の威力は絶大だ。ほんと良薬にも毒薬にもなる。私にはまだまだそれをうまく処方する力量がない。ずいぶん足りない。反省することしきりである。


■2003/4/21(mon) タクシーの運転手さん

今晩は、23時半過ぎから急遽社内で会議が始まった。会議室にこもってあれこれと。結局会社を後にしたのは深夜2時前。帰りは当然タクシーコース。

一人でタクシーに乗ったときのその空間は、結構お気に入り。何かしようかなぁと思っても、夜だと車内は暗いし、車の中で小さな文字を見るとすぐ酔うたちなので、本や仕事の資料も開かず、それに悪気も感じずに最初から何かすることをあきらめられる。といって、一人で乗って眠ってしまうのもどうかなぁと思うので、必然的にただぼーっとするのである。

今日の運転手さんは行き先を尋ねた後何もしゃべらないお方で、車内にはラジオが程よい音量でかかっていた。頭が会社モードだったためか眠気にも襲われず、ぼーっとするにはとても良い空間となった。しかし、そんな悠長なことは許されない、ちょっと変わった運転手さんもいる。私がこれまでに出会った印象的な運転手さんは・・・。

一番愛らしかったのは、私が「乗せたお客さん第2号」だった人か。最近は脱サラしてまだ新米だというおじさんの運転手さんが非常に多い。その運転手さんはその日がデビューで、動き出してから少しして私が二番目のお客さんだと教えてくれた。メーターをスタートし忘れたり、目的地に到着してもドアを開け忘れたり。でも、そういうことを全部許せてしまうような愛嬌のあるおじさんだった。怖い人を乗せる前に一通りできるようになって!と心から願った。

新米さんの中でもとことん開き直っている人は、タクシーの運転手になるための試験勉強に使った地図を私に手渡し、「蛍光ペンでラインを引いてある試験範囲の道しか覚えてないから、それに沿って道順を説明してくれる?」という人もいたし、目的地までの経路がわからないようで、新米と悟られないために「どういう経路で行きます?」ときりかえしてくる人もいた。本当にベテランの人は、この一言の後に自分の知っている2、3通りの経路を提示してお客さんに選ばせるので、そこに差が出てしまってばればれなのだ。なんてことを考える客はイヤなお客であるよ。

次に困った運転手さんは、カーナビに頼りすぎの人。カーナビを得意げに使ってみせるのはまだいいのだが、「あれー、こっちだったっけー」とカーナビに疑問を投げかけつつも、自分よりカーナビの言うことを信じて、結局道を間違えてしまい、あとでUターン。これはかなり情けなかったぞ。知らない道ならまだしも自分の知っている道なのに、カーナビにゆだねて道を誤っていては、ちょっとプロっぽくないだろう。

最後に一番怖かった人。タクシーに乗り込んで行き先を伝えると、「××まででいいの?どこまでだって連れていってあげるよぉ。」と不敵な笑みを浮かべたお方。近場だったらちょっとしたイヤミかなぁと思えばいいけど、5〜6千円はする距離をお願いしてこれを言われたので、かなり引いた。「ハハ・・・」と乾いた笑いを返してみた。あとはひたすら沈黙に耐えた。

他にも、とくにお話好きの運転手さんとのやりとりには、これまでいろんなエピソードがあったと思うのだけど、忘れてしまったなぁ。もったいないから、また何かあったらここに残してゆこう。こういう体験談、おそらく誰しも持っていることでしょうね。


■2003/4/20(sun) ちんどんやさん

この週末は土日とも仕事で五反田に来ている。そして、二日連続駅前でちんどんやさんを見かけた。なんでまた休日の真昼間に五反田でちんどんやさん?さっぱり意味がわからない。

私が「ちんどんや」という言葉を覚えたのは悪口からだ。子供の頃、兄弟げんかになると決まって「バカ、アホ、トンマ、マヌケ、チンドンヤー」と、自分の知るかぎりの悪口言葉を勢ぞろいさせて叫んでいた記憶がある。(語彙が少なくて思いのたけを伝えきれていないのが無念だ。)

しかし、私はその頃「チンドンヤ」の意味を知らなかった。ただ悪口の一つとして単語登録されていただけなのである。今思うとちんどんやさんに申し訳ないことをした。ちんどんやさんがどういう人なのかを知ったのは、小学生時代に担任の先生が読んできかせてくれた黒柳徹子著「窓際のトットちゃん」の話の中に登場した時だったと思う。それが広告、宣伝とまでは頭がまわらなかったが、三味線や太鼓で音を鳴らし派手な装いで人目を引く人たちを指すものなのだと理解した。

昨日今日と五反田でちんどんやさんをしている方々は、桃色のお着物を召して、ぴーひょろひょろドンドコドンと鐘や太鼓を鳴らし、ゆらゆらと人並みに揺られている。ここまではイメージ通りなのだけど、よぅく見てみると、さしている雨傘はビニール傘、配っているのは普通のティッシュで、大きなお世話だがトータルコーディネートにもう一歩足りないなぁという感が否めない。

でも、そもそも五反田の渋いビル群をバックにちんどんやさん・・・というところからして似つかわしくないのだな。なぜかと考えてみれば、私のちんどんやさんはもう20年近く前に頭の中で思い描いた、そこからまた数十年遡ったトットちゃんの生きた世界にあるからなのだと気づいた。それでは無理もあるまい。


■2003/4/19(sat) 鉄腕アトム

先日、学生時代にお世話になった先輩から「おやじになりました」とのメールを受け取りました。その先輩と出会ったのは私が18の時。その頃から、小学生くらいのやんちゃなお子さんが二人ぐらいいてもおかしくないぐらいの妙な落ち着きをかもし出していたお方ですが、あれから早9年。とうとう本物の「おやじさん」になられたようで、関係各位に一斉に配信されたのであろうニュースリリースの文面から、なんとも幸せそうな様子が伝わってきました。

お子さんは男の子で、名前を何にしようかとあれこれ悩んでいる様子。私はお祝いの返信に添えて「アトム」はどうかと提案しました。その子のお誕生日は2003年4月7日。まさに鉄腕アトム生誕の日だったのです。でも、よくよく考えてみると、その日に生まれた男の子ってみんなアトムと命名されるんじゃないかしら。その日周辺生まれの子たちの間では、実はかなりありきたりな名前になってしまったりして。そんなことを思ったのは、そのお方に返信を差し上げた後のことなのですが、まぁたぶんアトムにはしていないと思うので大丈夫でしょう。結局何という名前にしたのか、結果発表の日が楽しみです。

さて、3月半ばあたりからにわかに巷を騒がせ始めた鉄腕アトム。彼の生誕が今年の4月とは、誕生日の数日前初めて知りました。古く昔から慣れ親しんでいるアトムが「今生まれた」というのは、なんだか不思議な感覚です。つい先日生まれた彼の存在が、これまでに多くの科学者を生み出し、日本のロボット産業を世界一に押し上げたという事実(朝日新聞のサイトに書いてありました)。偉大なり、御茶ノ水博士。

私の世代から上は久々の再会といった感じですが、ここ最近のアトム人気で初対面した世代もまたあるようです。先日通勤途中に出会った5、6歳の少年は、車内の広告を指差して「パーマンみたいのがいる!」と叫びました。小さな人差し指の先にいるのは鉄腕アトム。世の中に「鉄腕アトムを知らずしてパーマンを語る男がいる」とは、びっくりたまげました。お母さんが「あれはアトムよ」と返すと、「アトムって外人?英語しゃべるの?」と。うーん、斬新。(でも「パーマン」だってネーミング的には日本人ぽくないよね。)「世代交代」という言葉がいずれわが身を襲ってくることを、少しだけ意識した出来事でした。

この子や先輩のお子さんが大人になる頃には、きっとロボットが大活躍しているんだろうなぁと思います。夢見る科学者たちの研究の積み重ねがロボットを実用レベルに引き上げる日ももうすぐ。ただ、例えば20年後、我が家の家政婦ロボット「ロボンジョ」様と、となり町に住んでいる見ず知らずのおじさんと、突発的な事故で二人がそろって生命を脅かされている現場に居合わせた時、その時代の私たちはどちらを救いに駆け出してゆくのだろうと考えると、ちょっと恐ろしい気もします。また、出した答えは悩んだ末のものなのか、迷うことなく当然の答えなのか。現代ですら、溢れるモノたちとうまくつきあってゆくことに四苦八苦している私たちが、今以上に大切なものが増えた時どうなってしまうのか、思考がおばちゃんの私にはちょっと怖い気もしてしまうのです。


■2003/4/18(fri) 食べず嫌い

とんねるずの番組に「食べず嫌い選手権」なるものがあるが、あれは実際のところ「食べず嫌い」ではなくて「食べてみて嫌い」だろうと、中学だか高校の時分からずっと思っていた。嫌いになってしまったエピソードを聞くと、嫌いになる前にたいてい一度はそれを口にしているからだ。

えばっていうことではないが、私には列記とした「食べず嫌い」がある。まず、コンビニに売っている「イチゴジャム×マーガリンのコッペパン」。これは人によってはポピュラーなものらしく、小さい頃からその組み合わせで食べてきたという人がたまにいるようだが、私には信じられない。コッペパンに挟まれて、なんでイチゴジャムがマーガリンとべっとり交わらなくてはならないのか。あぁ、わからない。

続いて、こちらもまたコンビニで堂々と商品化されているものだが、「イチゴ×生クリームのサンドウィッチ」。これは透明の袋に封じ込められて売り場に並んでいるのを視界に入れるだけでも、ちょっと後ずさりしてしまうほどだ。申し訳ないが、目を合わせられない。きっとイチゴもパンも本意ではないに違いない。といって、別に生クリームを責めているわけでもないのだが。これを考案した人間の脳みそがおかしいんじゃないか?でも、これをおいしそうに食べている人を間近で見てしまったことがあるから、これを考案した人が少なからず世に幸せを提供していることは事実なわけで・・・。うーん、複雑だ。

先日はローソンの新商品で、「チーズ×おかかのおにぎり」というのを見かけた。全身をのりに包まれたそれは、外見で危害を加えるものではなかったが、いかんいかんと思いながらも踏みとどまれず、のりの中へ中へと想像を膨らませてゆくと、Oh my God...。レジに持っていったら「温めますか?」とか聞かれちゃうのかなぁと考えが及んで、またその先に行っちゃダメだ!と思いながら、電子レンジの中でとろけるチーズとよろけるおかかの交わってゆく様をキャンバスに描いてしまって、Oops...。お米は勿論のこと、チーズさんもおかかさんだって本意じゃないわよねぇと遠巻きに同情の念を送りつつ、しばらくおにぎり売り場の前で顔をうねらせた後、私は紅鮭おにぎりを手に静かにその場を後にした。

つまり、素材それ自体の「うまい・まずい」は一度はそれを食べてみてどうなるかというものだが、明らかに組み合わせの気色悪いものは、一度たりとも口に入れることなく「食べず嫌い」に登録されてしまうのである。最近の若干苦し紛れともとれる新商品には、そういうものが非常に多い。まぁ、昔から「酢豚×パイナップル」「メロン×生ハム」に代表される異色の組み合わせはあったけど。誰がいったいどういう経緯で考案に至ったのだろうか。

世の中には気の合う人、気の合わない人がどうしたっているだろう。気の合わない人とは一定の距離を置いてつきあうことで、逆に互いの存在を認め合えることだってあるだろう。私には、これまでに挙げた彼らの関係がどうもそれに当てはまるような気がしてならないのだが、これに異議を唱える人は世の中にどれぐらいいるのだろうか。うーん、なんかたくさんいそうだなぁ。メタメタに打ちのめされそうだなぁ。はぁ、私ってこういう頑固おやじみたいな頭でいるからクリエイティビティがいつまでも高まっていかないのだろうか。でも、素材をとことん生かすタイプの職人さんだっているわけで、私はそっちタイプで創造力を高めていけたらいいかなぁ。そのままでいいんだよ。いや、むしろそのままの君が最高なんだ!みたいな感じで。


■2003/4/17(thu) 海外行きのバス

聞き違いや読み違いの多いことが、私が天然ボケと呼ばれる所以(の一つ)でもあるわけだが、今日は朝から1ボケー(←単位)。

出勤途中、渋谷駅のバスターミナルへ目を向けると、発車したばかりのバスと目が合った。おでこのところに記されたそのバスの行き先は「海外」。そんなアホなぁ!と目をパチクリさせて今一度見てみるも、やっぱり「海外」・・・なんてことはなくて「清水」だった。(ちょっと似てるでしょ)

でも、実際がなんだったかなんてことは、この際どうでもよい。渋谷発の海外行きバス。これ、よくないですか?雑然とした都会から常夏のパラダイスへ。その旅の行方をあれこれ空想しながら一人夢心地で出勤。

いやいや、現実的に考えたらそりゃいろいろありますわよ。そんな長時間座ってたら腰が痛くなるわぃとか、長距離バスみたいに後ろにトイレがついてないのは辛いわぁとか、パスポート持ってきてないよぉとか、今日の打合せどうすんのさっとか。

まぁ、そんなことはとりあえず置いておいて、日常の一切を忘れてそのバスに乗り込む瞬間のワクワク感と、バスの窓から差し込む太陽の光が南国のそれに変わった瞬間のウキウキ感を想うと、それだけでちょっと幸せになれるではないか。

ここしばらく頭の中が仕事に占拠されているためか、つかの間の空想の旅にちょっと幸せな朝だった。世の中の人は私とは比べものにならないほど働いているというのに、情けないことしきり。まぁ、いきなり「できる君」になるわけでもなし、時々仮想の旅に出ながら1コずつやっていくしかないわな。


■2003/4/9(wed) 部屋の契約更新

なんだかんだ言いながら(2002/4/9の「話」参照)、今住んでいるマンションに住み始めて早2年の歳月が過ぎようとしているらしい。管理人さんは相変わらずである。先月顔を合わせた時に、いきなり不機嫌顔で「あんた、もうそろそろ更新時期なんだから、どっちにするのか決めてちょうだい」と攻められ、不意打ちにたじろぐ小心者の私。決める期限まであと一月も猶予があるのなら、いきなりそんな怒らなくたっていいじゃない・・・といじけてしまう。

で、とりあえず考える時間を設けてみる。まぁ決してベストな環境とはいえないわな。が、引越しすることを考えれば、ここで更新する方がはるかに安上がり。先立つものもないし、ここだって一旦玄関の内側に入ってしまえばそう悪くない環境だ。更新とするかなぁとなる。なんか、こう書くと考えるまでもない答えの導き方だな・・・。

そうこうしているうちに、更新するか否かを報告する期限が1日過ぎてしまったようで、玄関口で呼び止められ、「ちょっと!昨日までよ、期限。」と叱られた。期限って普通通達されないものなのか。以前お世話になった不動産やさんがたまたま懇切丁寧なだけだったのかなぁ。そんなことを思いながら「あ、はいはい。更新します。更新でお願いします。」と返す。すると、「更新でいいのね。家賃上がるけど。」って、おいおい。そういうのって、「更新します」って言わせる前に伝えるもんなんじゃないの?と思わず、心の中で声を大にして突っ込み。ちょっと唖然として、「はぁ」と答える。「まぁ千円だからね」って、おいおいおい。自分でフォローするなよぉ。私のセリフだよ、それは。

というわけで、千円値上がりしたお部屋に住み続けることにする。その後も更新手続きの書類のやりとりで、「あんたはいつもつかまらない」など叱られつつ契約書類を渡されて「自分と連帯責任者の署名・捺印を入れて、1週間以内に提出せよ」と指令を受ける。そこでふと気づいてしまったのが、契約書類と一緒に同封されている、不動産やさんが作成したらしい「契約書の記入方法」みたいなご案内資料。その日付欄にあるのは、この日からさかのぼって1週間も前。不動産やさんから管理人さんの手に渡ったのは、もしかして1週間前なのかなぁ・・・などと疑念を抱きつつ、部屋に戻ってすぐさま実家に電話。これから送る契約書に、連帯保証人の署名・捺印をして即効送り返してもらうようお願い。まぁ、どうにかなりそう。

いやぁ、気づかれするなぁ。不動産やさんも私同様尻にしかれているんだろうなぁ。なんか、言い返したところで非生産的な戦いに陥って互いに体力を消費するものの発展的解決を得られないのが想像できちゃうから、弱虫な平和的解決に走っちゃうんだよなぁ。まぁいっかーと。不動産やさん、実権取り戻さないかなぁ。まぁこの山は乗り切れそうだし良しとするか。ぐじぐじ愚痴言ってすみませんです。


■2003/4/7(mon) サクラ咲く

今春初めに出会ったのは、言葉の中のサクラだった。

「散ることを知りながら 咲くことを恐れない」

これは、用美社の「拝啓サクラさく」(黒田征太郎/絵 日暮真三/文)にある言葉。すでに品切れの本らしく、私もこの本を手にしたわけではないのだが、03/4月号の「ダ・ヴィンチ」で宮沢りえさんがこの本のこの言葉を紹介しているインタビュー記事を読んで、深く心に刻まれた言葉だ。

それが効いてかなんだか知らないが、今年はなんだか妙にサクラが目につく。世の中こんなにサクラがあったっけか・・・と思うほど、一本のサクラの木があちらこちらで私の視界に入っては意識化され、しばし目を奪われてしまう。

ぷりぷりっとしたエビみたいでおいしそうに見えたり、つるるんとした子ブタのお尻みたいでかわいらしく見えたりと、なんだかいろんなものを連想してしまうこともあれば、ただただその美しさに心奪われ、ぼーっと見とれてしまうこともある。

昨年までは、「まぁ、きれい」とは思うものの、正直あまり気にとめてなかったような気がするのだが、今年はずいぶんと扱いが違う。私とサクラが直に向かい合っているというのか・・・。サクラに向かって「サクラさん、あなたは本当に美しいです」とお伝えしたくなるような心持ちになるのだ。

これは、私が歳をとったせいだろうか。いろんなものに深みや味わいを感じられるようになっているという過程での出来事なのだろうか。例えば、昔大嫌いだったナスやピーマンを、ある日「おいしい」と感じてしまって、そんな変化が親にばれるのがちょっと照れくさくてしばらくは無表情で食べていたが、そんな年月をも乗り越えて、今や親公認の好物になってしまった・・・ような出来事の、もっともっと大人バージョンなのだろうか。

10代は食物。20代は植物か。30代はどんな大人の味わいを得ることができるのだろう。やっぱり食物に戻って、唐辛子とかタバスコとか、辛いものが大好きになったりするのかなぁ。ケホッ。あな恐ろしや・・・。


■2003/4/6(sun) 母との電話

所用で久々に母と電話で話をした。父は留守で、お葬式に行っているという。「誰のか」と聞けば「部下」のだという。まだ30代の男性。一昨日の晩に酔っ払って赤信号に飛び出し、タクシーにひかれて即死したのだという。とはいえ目撃者もおらず、ひいた運転手の証言しかないため、実際のところはよくわからないらしい。彼には責任ある仕事を任せていたらしく、父のショックは大きかったようだ。

会ったことがないとはいえ、「父の部下」というとちょっと身近である。30代というのは、やはりあまりに早すぎる。「元気に顔を合わせた翌日にその人がこの世にいない」というのは、ちょっと受け止めがたい。こんな話を親から聞くと、一層心にドンとくるものがある。彼の親御さんの気持ちを思うと、なんともいたたまれない。子供ももたない私には、その痛みの深さを推し量ることなどまず不可能だろう。

しばらく東京で一人暮らしをしていた妹が、明後日の晩に実家に戻るらしい。一時帰宅ではなくお引越しだ。妹は一人暮らししている間も実家にはちょくちょく帰っていたようだったが、それでも基本的には夫婦二人暮らしがしばらく続いたため、また騒がしくなりそうと母はとても嬉しそうだ。私が実家に戻った時にはまたテニスをしようなど、久しぶりにあれこれおしゃべりをした。

今日の電話の間は終始しみじみとした雰囲気が漂っていた。母の話というより、母の声に惹かれていた。聞き慣れた声から伝わる温もりに、知らず知らず寄りかかっていた。やっぱり母は偉大なり。大人になってからというもの、一番甘えん坊の妹が一番親孝行しているような気がする。私もちょっと見習いたい。


■2003/4/2(wed) 雨の一日

雨が降りそうなのに、傘を持たなかった。
置いてないのに、会社の置き傘を期待した。

会社に向かう途中からぽつぽつ降り出した。

雨が上がるのを期待して、昼ごはんと一緒に傘を買わなかった。
雨が上がるのを期待して、晩ごはんのときも傘を買わなかった。

仕事を切り上げて会社を出たら本降りだった。

もう買おう!と決めたのに、傘を買い忘れた。
今まさに雨にぬれているのに、傘を買い忘れた。

そのまま家までたどり着いた。
ずぶぬれだった。
アホやん、と思った。


■2003/4/1(tue) ふがいない自分に乗って

まずい
超低空飛行だ
足ひきずってるよ

もうちょっと
どうにかこのままで
力たくわえていこう

からだ上向きにして
障害物にぶつからないうちに
雲の上まで上がらないと


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