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イニシュモア島までのとてもよく揺れた船
船着場は小さな入り江にあり、小型漁船が何隻も停泊していた。この島の基幹産業なのかもしれない。
予約した B&B の場所がわからないので、とりあえずインフォメーションへ行き、場所を聞くとインフォメーション横の急な坂を上ってすぐのところだった。その坂を上りきったところに、熊本県でよく見かけるコンビニエンスストアの SPAR があった(その後、ダブリンでもいくつか見つけた)。なぜアイルランドに突然 SPAR があるのだろうか。まったく別の会社かもしれないが、店のロゴとマークが日本と同じだ。あるいは、SPAR は外資系の企業で、日本に進出しているのかもしれないが、なぜ熊本県なのかという問題が残る。誰か詳しい人がいたら教えてほしい。
B&B は COSTELLO という名前で、すぐに見つかった。なかなかきれいな建物である。門の近くでオーストラリア人の老夫婦と出会った。同じ B&B に泊まるらしい。
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イニシュモア島のB&B
部屋数は全部で5部屋ほどだった。通された部屋はもともと2人用らしく、ベッドが2つあった。ゴールウェイの B&B と比べたら簡素だが、十分きれいな部屋である。自転車で島を回る予定だったので、荷物を置いてすぐに外に出た。
レンタル自転車は、船が着いた場所のすぐ近くにあった。2日間借りることにして、西のほうに向かった。デューン・エンガスまでは距離があるので、行くのは明日にして今日は他の遺跡を見ることにした。(なお、私が持っている「地球の歩き方97〜98年版」では、Dune Aonghus はデューン・エンガスになっているが、98〜99年版ではドン・エンガスになっている。こちらのほうが正しい発音なのかもしれないが、デューンという響きが気に入っているので、ここではそう書くことにする)
天気はアイルランドではめずらしく快晴、気温は15度くらいだが、自転車に乗っていると汗ばむほどである。船着場のある入り江を離れると、急な上り坂がしばらく続いた。その後もアップダウンが多く、上り坂ではなかなか疲れる。自転車で島を見て回っている人は意外と少なく、みんなミニバス(トヨタのハイエースがほとんど)かポニーが引く馬車に乗っている。キルロナン村から海沿いに島の西部へ向かうメインストリートには、道に沿ってところどころに集落があるが、廃墟になった小屋や家(あるいは遺跡か)も混じっていて、廃墟好きの私としては見ていて飽きない。至る所にある石垣は、耕地を作る際に取り除いた石をまわりに積み重ねたのが始まりだそうで、今は敷地の境界や家畜を飼うための囲いとして使われているようだ。
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イニシュモア島西部へ向かうメインストリート
しばらくすると、遠くの丘の上に何か遺跡のようなものが見えるようになった。そこを目指して走ると、やがて集落が途切れ、上り坂を登った左側に荒涼とした空間が広がった。メインストリートを離れて少し左側に歩き、周りを見ると下の写真のような景色がほぼ360度にわたって続いている。10分ほど眺め続けていた。
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イニシュモア島の荒涼とした景色
メインストリートに戻り、しばらく行くと左側に分岐する道があり、左へ行くと先ほど見えた丘の上の遺跡があるようだ。道の入り口に 'Dun Arann' と書かれた看板がある。デューン・アランと読むのだろうか。その道を少し行くと、自転車はここに止めるようにと書かれていたので、そこからは歩いて丘の上まで上った。
丘の頂上に着くと、古い灯台のような建物の前に門があり、遺跡の全体図が表示されていた。広い範囲にいろいろな遺跡が散在する遺跡群のようだ。門に着くと、門の横の小さな小屋からお爺さんと10歳くらいの男の子が出てきて、入場料が3ポンド、さらに遺跡群の見学コースについての説明を何語でやってほしいかと言ってきた。このお爺さんは、英語、フランス語、ドイツ語などいろいろな言語を並べていたが、本当にこんなに話せるんだろうか。試しに日本語と言ってみたが、それはだめだったようで、英語で説明をはじめた。約4500年前の遺跡から19世紀の灯台跡までいろいろな年代の遺跡があるようである。3ポンドを払って中に入ろうとすると、さっきの男の子が小屋からパンフレットを持ってきてくれた。見るとなんと日本語である。礼を言って中に入った。
パンフレットをみると、ここには約4500年前のくさび型古墳、大きな石の要塞、住居跡、非合法ウィスキーの製造機、灯台跡など、種々雑多な遺跡が点在している。全部見て回ったが、一番面白かったのはデューン・オハラという円筒形の石の要塞だった。直径約40メートル、高さ約5メートル、円筒部の厚みが約1.5メートルの石積みで、中には直径約10メートル、高さ約2メートルの円形の舞台のような石積みがある。紀元前500年ごろに作られたもので、防御のためだけでなく何かの儀式にも使われていたものと考えられているそうだ。
なお、デューン・アランには観光客はほとんどいなかった。広い面積の中に十数人といったところだろうか。デューン・オハラに向かって歩いているときに石積みの上に3人ほど見えたが、着いたときにはいなくなっていたし、そこには30分ほどいたが誰も来なかった。こんなところで30分も何をしていたのかと思うかもしれないが、廃墟好きにとっては石積みの上を歩いたり石積みを観察したりするだけで十分面白かったのである。
その後、ウィスキー蒸留器、石で作った雨水貯水タンク、牛糞で作った燃料、ジャガイモ畑、海草の束などの雑多な遺跡(というより遺物)を見て、灯台跡に登った。跡といっても現在は使われていないというだけで、建物自体はしっかりと残っている。屋上に登ると、周囲が一望できた。ずいぶんと平べったい島で、ぽつんぽつんとある家以外には、石垣と岩と草地しかない。灯台跡が島で一番高い場所ということだった。さえぎるものがないので風がかなり強い。この灯台は1818年に建てられたものだが、海から離れすぎていたので40年ほどで閉鎖されたそうだ。
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灯台跡からの眺め(円筒形の遺跡がデューン・オハラ)
下を見ると、石垣で囲まれた区画のひとつで豚を飼っていて、門のところで会った男の子が豚の世話をしていた。
下に下りると、小さなわらぶきの家があって、昔(おそらく18〜19世紀くらい)の調度が再現されていた。こういう家で暮らしていたのだろう。質素な家具と比べて食器の数がずいぶん多いが、本当にこんなにたくさん使っていたのだろうか。皿の上には正体のわからない食べ物がのっていた(食べなかったが)。
これで一通り見てまわったので、外に出ることにした。門を出ると、さっきの男の子がいたので別れの挨拶をして遺跡を後にした。
もう少し先まで行こうかと思ったが、結局来た道を通ってキルロナン村へ戻った。ごく小さな村で、しばらく自転車で散策したらすぐに村の配置がわかった。SPAR で買い物をしていったん B&B に戻った。
7時ごろに外出し、インフォメーションの近くにあるレストランに入った。ここで一度食べてみたいと思っていたフィッシュ&チップスを注文したところ、大皿いっぱいにポテトフライを盛った上に大きな魚のフライ2匹がのったものが出てきた。予想よりずいぶん量が多い。味の方はというと、まずくはないが別に美味くもなく、予想通りの味であった。まあ、この旅行は食べ物が目的ではないから構わないのだが。
十分腹一杯になったので、しばらく村の中心部を歩き回ってみた。B&Bが多く、他にはレストランとパブが数軒、土産物店が十数軒、郵便局と両替所が1軒ずつ、食料品店は先ほどの SPAR くらいである。1軒の土産物店に入ると、主にアランセーターを売っていたが、荷物になるので買い物は明日の出港前にすることにした。
ところで、アランセーターというものはかなり有名らしいが、私はこういうことには疎いので「地球の歩き方」を読むまでまったく知らなかった。アラン諸島の特産らしいので1着買って帰ったが、日本に帰って人に聞いてみたらほとんどの人がアランセーターを知っていて驚いてしまった。アイルランド産でこんなに有名なものがあるとは知らなかった。
その後、B&B に戻り、疲れていたので寝ようとしていると重要なことを思い出した。帰りの大韓航空のリコンファームである。すっかり忘れていたが、計算してみると出発72時間前の期限は明後日の夜である。明日電話することにして、日没前に就寝。