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文禄元年(1592年)に豊臣秀吉は肥前の名護屋城へ来て、自ら朝鮮へ向かう将士の指揮に当たったが、秀吉の名護屋陣中、身の回りの世話をしたのは名護屋越前守経述の妹の「広」であった。 「広」は美人で気だても優しかったので、秀吉に可愛がられ、「広沢局」と称ばれた。 「広沢局」は、文禄三年(1594年)二月に眼病をわずらい、治らなかったので、五月七山郷滝川を訪れて、福聚院の観音菩薩に二十一日間、眼病平癒の願をかけたところ快癒したと伝えられている。 その観音様が「滝の観音」であって、今もその御分霊が「広沢局」にゆかりのある名護屋城山里丸の「広沢寺」にまつられている。 滝壺の近くに人間の目のようなくぼみがあって、そこに生目観音がまつってあり、その水を汲んで供え、またその水で目を洗うと眼病がよくなると言われている。 |
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(2008.9.14)