桃太郎神社

桃太郎神社
 名鉄新名古屋駅から犬山線の急行列車で犬山へ。ここで田縣神社方面へ向かう小牧線とは別の列車に乗り換え、1つ目の「犬山遊園」駅で下車。駅名からわかるとおり、ここから遊園地「日本モンキーパーク」へ向かうモノレールが出ている。もちろん、今回の目的地は遊園地ではない。「桃太郎神社」である。
 桃太郎といえば、普通は岡山が連想される。そういった一般的な認識に逆らい、「ここが桃太郎伝説の発祥地だ」と主張しているのが、この桃太郎神社である。この神社については、かつて存在した雑誌「ボーダーランド」で読んで印象に残っていたため、この機会に訪ねてみることにした。



 犬山遊園駅から約3km、木曽川に沿った風光明媚な一帯を30分近く歩き、桃太郎神社に到着。東京に住んでいた頃は、通学で毎日かなりの距離を歩いていたのだが、地方に住んでいると移動がほとんど車になるため、歩く距離は激減する。このため、3kmでもかなり疲れた。
 桃太郎神社前は、遊具がたくさんある公園になっている。その他、食堂や土産物店が数件あるが、平日のためか人はあまりいなかった。
 さて、最初の鳥居をくぐると「洗濯岩」がある。但し書きによれば、「昔々、この岩の上で毎日洗濯をしたお婆さんの足跡が遺っているので、前方の木曽川岸からここに移動させたものであります」だそうである。いくら洗濯を何十年続けたとしても、岩の上に足跡が残るわけはないだろう、という無粋なことをつい考えてしまうが、それ以前にこの足跡は30センチくらいある。お婆さんは鬼だったのかもしれない。

洗濯岩

 2番目の鳥居の下に、桃太郎が桃から生まれた瞬間を表しているコンクリート像があるのだが、桃と比べて桃太郎が大きい。「そんな窮屈な思いをしてまで桃に入ってなくても」とか「その状態で桃を切ったら桃太郎まで切れてしまうだろうに」とか、またも無粋なことを考えながら石段を上る。
 石段の上には、桃太郎と犬、猿、雉の他、赤鬼と青鬼の像があり、「国定公園 桃太郎誕生地」という表示板がある。そこから、今度は桃の形をした鳥居をくぐると、そこが本殿である。

桃太郎たちの像桃の鳥居

 桃太郎については、鬼退治をして帰ってくるところまでは知っているが、その後の消息については知らなかった。本殿には「その後の桃太郎」として以下のように書かれていた。

 桃太郎さんは鬼退治をして帰ってくると、お爺さんお婆さんに孝養をつくし二人共やすらかに天寿を全うすると或る日近くの山へ登り姿をかくされた。不思議な事にその山の姿がだんだん桃のような形に見えるので、村人はその山を桃山と呼んで麓に小さなお社を作って桃太郎さんを奉りました。桃太郎神社はその桃山から昭和五年現在の地へ遷座され、子供の守り神として崇敬されている。

 というわけで、桃太郎は山へ姿を消したそうである。岡山の桃太郎伝説では、桃太郎の消息はどうなっているのか、知りたいところである。
 本殿には、参拝した子供たちが書いたと思われる札が多数貼ってある。いくつか読んでみたが、まあたあいのないものが多い。
 本殿の横には、「涙をながす鬼」がある。見ての通りの赤鬼で、目から水がぽたぽたと滴っている。横には、「もう悪いことはしません。この涙を見てください」と書かれていて、なんだか可哀想になってくる。

鬼の目にも涙

 ここで、福沢諭吉の桃太郎評について考えてみた。細かいところは忘れたが、だいたい以下のような内容だったと思う。
 「桃太郎が奪った宝物は、鬼が所有していたものである。つまり、宝の主は鬼である。桃太郎は、鬼が大事にしていた宝物を一方的に奪った盗人であり、とんでもない悪人である。しかも、奪った宝物を持って家に帰り、お爺さんとお婆さんにあげたとは、ただ欲のための行為であり、卑劣千万である。このような悪人が、どうして英雄であろうか」
 つまり、「桃太郎は英雄である」という一般的な認識に対し、「桃太郎は卑劣千万だ」と言っているわけである。当時、外国人を敵視する攘夷論と闘っていた福沢諭吉としては、「相手が鬼であれば、何をやっても許される」という考えが許せなかったと思われるが、当時としてはなかなか思いきった意見である。
 私は、このような昔話はまったくの創作ではなく、なにか元になった話が変形したものだろうと考えている。それも、勝者側にとって都合のいいように変えられたものが、現在に残っているはずである。つまり、桃太郎伝説に登場する鬼は、決して極悪非道の悪者ではない。勝者である桃太郎側が、自分の行為を正当化するために、鬼を退治されても仕方のない悪者に変えてしまったのだと、私は思う。
 これは、昔話だけでなく歴史についても同様で、現在伝えられている歴史(特に古い時代の)は、勝者側にとって都合のいいように書き残されたものでしかないのだろう。まさに、「勝てば官軍、負ければ賊軍」なのである。

 少し話が硬くなったので、ここで神社内の宝物館へ。宝物館前の広場には、宝物を持って引き上げる桃太郎や、鬼退治シーンなどが再現されている。

引き上げる桃太郎

 入館料200円を払い、宝物館内へ。
 宝物館は、数年前に火災があり、焼失したものも多いようである。それでも、なかなか興味深いものがいくつも展示されている。特に面白いのが、「鬼の金棒」「鬼が島で発見された鬼の珍宝」「犬が噛み切ったと云ふ鬼の珍宝の化石(長さ15センチメートル)」の3点。「鬼の金棒」は、野球のバットのような形で、先のほうには突起がいくつも付いているという、予想通りの形状であった。鬼の手や足ではなく「珍宝」が2点も残っているあたりは、このような珍スポットのお約束といえる。形は、まあそれらしい形をしていると言えなくもない。
 火災で焼失したという宝物のうち、いくつかは写真が展示されている。ここで興味深いのは、鬼の頭蓋骨と、鬼の子のミイラで、なかなかリアルである。他に、「桃太郎が生まれたと云ふ伝説の桃」の化石の写真があったが、桃が化石になるとは知らなかった。これらについては、実物が失われてしまったのが残念である。

 さて、いったいどうしてここが桃太郎伝説の発祥地と称しているのか、これまで触れなかった。それについては、ここでもらったパンフレットに記述があった。要は、「地名」であるらしい。例えば、桃は木曽川上流の「大桃」から流れてきたもの。「犬山」「猿洞」「雉ヶ棚」という地名もある。他に、鬼との戦闘に由来するという「敵隠れ」「取組」「勝山」「今渡」など。「敵隠れ」で鬼軍の奇襲に遭い、「取組」で戦闘開始、これを撃破したのが「勝山」、可児川上流にあったという鬼ヶ島を目指して船で渡ろうとしたところ、「今渡ったぞ」と鬼が通報した場所が「今渡」といった具合。これらの地名は古来からのものということなので、それなりの根拠になっているのだろう。たしかに、うまい地名と言えなくもないが、根拠が地名というのも、なんだか弱い。青森県新郷村のキリスト伝説のほうが、「ナニャドヤラ」がある分だけ、まだしもと思われる。

 これで一通り見て回ったので、石段を降りて木曽川の川原へ。ここから犬山遊園駅近くまで「桃太郎航路」という小型船が出ているらしいが、次の便まで時間があったので、再び歩くことにした。しばらく木曽川を眺めてから、約30分かかって犬山遊園駅へ戻った。(久しぶりに、かなりの運動になりました)



鉄道専用化工事中
犬山橋
 犬山遊園駅の近くに、しばらく前まで日本で唯一の「鉄道自動車併用橋」として有名だった犬山橋がある。時折、TVでも紹介されていたので知っている人も多いと思うが、なにしろ列車と自動車が白線をはさんで併走するという、とても現実とは思えない光景が日常的に見られた場所である。かつての犬山橋の様子については、以下のホームページに詳しく紹介されている。

 名鉄ビデオランド http://panoramist.net/

 犬山橋は、隣に別の橋(新犬山橋)が完成したことにより、2000年3月28日限りで併用橋ではなくなり単なる鉄道橋となった。私が訪れたときには、鉄道専用橋にするための工事中であった。
 この列車と自動車の併走シーンを一度見てみたいと思っていたのだが、結局その機会がなかった。今となっては、学生時代に見に行けばよかったと後悔している。
 新犬山橋を歩いて渡り、犬山遊園駅からひとつ先の新鵜沼駅(ここは岐阜県になる)へ。ここで急行列車に乗り、今度は列車で犬山橋を渡る。予想していたよりも橋の幅が狭く、運転士はかなり緊張を強いられていたことが想像できる。併用橋でなくなったのは少し残念な気もするが、安全のためには仕方ないのだろう。
 なお、犬山橋通行時に列車が鳴らしていたという「ミュージックホーン」は、その後、新名古屋駅で特急列車が鳴らしてるのを聞くことができた。

(2001.3.16)