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  事務局日誌バックナンバー
 
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 これは、クリアリングハウス室長の三木が個人的に書き込んでいるもののバックナンバーです。

2006年8月23日 大きな後悔、ちょっとした懺悔

 最近、あるプロジェクトを進めるために45都道府県の情報公開条例を使った(2県については、愛媛県がいわゆる住民以外の請求・申出を認めていないために使えず、もう1個所は諸事情により自粛)。そこでそれぞれの情報公開条例を改めて眺め、請求書やら申出書を書いていて気付いたのが、請求権者の定め方の違いだ。情報公開法が請求権者を「何人」としたこともあり、都道府県でも比較的、請求権者を「何人」とするところが多いが、一方で東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県がいわゆる住民以外は、理由を示せば請求権を認めるとする規定をとっている。この4箇所でこのような規定になったのは、おそらく東京都の情報公開条例改正が多分に影響していると思う。

 今から10年ほど前に東京都が全面改正をした際、私は幸運にもその検討を行った懇談会に公募枠で入っていた。旧都条例は、いわゆる住民にしか請求権を認めていなかったが、懇談会では請求権者の拡大が検討され、当然のことながら私は「何人」にすべきと会議の席上、意見を述べた。ところが、この私の意見に猛然と食ってかかってこられたのが、行政学では大変著名な大学教授であられる懇談会の座長。地方自治の観点から反対だと、声を大にして述べられ、「君は地方自治をどう思っているんだ」とおっしゃられた。一瞬にして場の空気が凍りついて、おそらく「何人」で良いと考えておられるであろう他の委員の皆さんは節目がちになっておられたと記憶している。思わず口元まで何かが出かかったが、あまりの冷え冷えした空気に、反射的に言葉を飲み込んだのを今でもよく覚えている。

 そこで折衷案的に出てきたのが、すでに都内の自治体条例で規定のあった、請求権者は原則住民とし、請求理由を示せば住民でなくとも請求権を認めるというもので、事実上の「何人」説をとるという案だ。当時の私は、まだ大学を出たばかりで若かったというか、青かったというか、体力がなかったというか、そもそもとても巻き返せるような状況でもなかったし、事実上の担保はあったので「仕方がない」と自分を納得させたことも、今でも覚えている。

 ところが、10年近く後になって各地の都道府県条例を使うために改めて見ると、当時の亡霊がふと面前に現われたかのごとく、よりにもよって東京都近隣の県で請求権者の規定を都と同じ形にしているところが次々と目につく。もちろん、中には愛媛県のように住民にしかアクセスを認めないところや、住民にしか権利は認めずそれ以外は「申し出」としているところもあり、どちらが良いかといえば東京都方式の規定の方がよっぽどましだ。しかし、事実上の「何人」なら「何人」と定めよと思うのだが、結局、このような道筋を引いた一端に自分がかかわっていたことを思うと、今更ながら大きな後悔が残る。

 いずれの県でもこのような規定になったことを後悔しても始まらない気もするし、今、あの当時と同じ局面におかれてがんばれるかと問われれば、当時よりもだいぶ面の皮は厚くなっているものの、たぶん、あの瞬間急速冷凍庫のような冷え冷えした空気にはまだ耐えられそうにもないので無理だろう。というわけで、こんなところで後悔を告白して、懺悔気分。ちなみに当時の記録は、当方、もちろん電子データでも紙でも、発言者名入りの速記録を保存している。まだ、東京都のHPにもあるかも。そうでなくても、こういうことは記憶にこびりついて忘れたくても忘れられないものだが…。

2006年3月17日 権利・義務と努力義務

 今日付けの各紙で報道していただいたが、情報公開クリアリングハウスで合併した自治体の情報公開条例と文書管理規程について調査をした。きっかけは、合併自治体での旧自治体文書の管理が危ない、というニュースをあちこちで見かけたことだ。今回は377自治体の情報公開条例を集め、条例の適用区分を調べるためひたすら「附則」ばかり見るという、胸焼けのするような作業で当分は附則は見たくない心境だが、その結果として、96の条例で合併前文書が情報公開条例の請求対象外になっていた、ということがわかったわけだ。

 この調査をしていてとにかく脱力したのが、権利・義務と努力義務の違いをまったく理解していない職員があまりにも多かったということだ。附則の規定があいまいな場合は該当自治体に問合せをさせてもらったが、96の自治体の多くは合併前文書に関する公開の努力義務規定があるためか、情報公開の請求があれば公開できるものは公開していますと言い張り、どの範囲で情報公開を求める「権利」がかかっているのか、なかなか要領を得た説明をしてもらえない。情報公開をしているからいいじゃないか、という意識がにじみ出ているようだ。

 しかし、「開示請求権」の対象になっていないといざ非公開のなった場合は、市民はそれを争うことができないという点で、決定的な違いがある。努力義務はあくまでも行政サービス的なものであって、市民に権利を認め行政不服審査法や行政事件訴訟法に基づき争うことを条例上認めた開示請求権とは別物だ。おそらく96団体の多くは、情報公開請求の件数自体が極めて少ない自治体であると思われる。情報公開制度で権利を行使せずに情報が公開されることがもっとも望ましいが、いざ利害が市民と行政で対立した場合には、市民にとっては条例が保険になり必要な情報の公開を争っても求めることが、情報公開条例の「核」なのである。そして、「権利」に対して発生する「義務」に基づき、自治体はそれらに対応することが求められるのである。

 こう考えると、努力義務があろうがなかろうが、合併前自治体の文書が情報公開請求の対象となっていない自治体は、市民には「権利」を認めず、自らの「義務」から回避しているとしかいいようがないのである。もちろん、努力義務に基づく情報公開はどんどん進めて欲しいし、情報公開条例によらずに情報公開をどんどん進めて欲しいとも思う。しかし、基本的な権利・義務の認識なしに「情報公開しています」といわれても、何の説得力もないことは理解をして欲しいと思うのだ。

2006年2月9日 パブリックコメント手続をめぐるジレンマ

 行政手続法が改正され、国でパブリックコメント手続が法定化されたことを受けて、今後、自治体でパブリックコメント手続の条例化が進むであろうことを見越して、より良い条例化を進めるため東京自治研究センターと共同でプロジェクトを立ち上げた。この5月か6月には報告をまとめる予定で作業中であるが、パブコメはある面で歓迎できるものの、意見を提出する人にとっては不満の大きい制度であることも否めない。

 パブコメはすでに要綱や閣議決定により自治体や国でも行われており、一部の自治体ではパブコメ手続を条例化して実施している。そのため、この手続により意見提出をした経験のある人はNPOの世界では非常に多い。そして、多くの人が口をそろえていうのは、意見を提出しても反映されない、ということに対する不満だ。確かに、私自身も資料を読むとたいてい既定路線が見えるので、むなしいなあと思いつつ意見提出をすることが多い。意見反映手続として機能しているかといえば、市民の立場からすれば機能していないという評価になるだろう。結局、パブコメを行ったことで意見を聴きましたというアリバイ作りに使われているのではないかという懸念もあり、パブコメは必要であると考えるものの、なし崩し的にことが進んでいく現状を前にジレンマを感じざるを得ないところがある。

 しかし、パブコメ制度を意見反映手続としてみると機能不全振りが際立ってしまうが、意思形成過程段階での情報公開を義務付ける仕組みという観点からは、実は得がたい制度だ。情報公開制度に基づく情報公開では、意思形成過程段階での情報公開を進めるのは難しいが、パブコメを一定の範囲で義務付ければ、意見募集に際しては必ず案が公表されるため、自動的に情報公開が進むことになる。また、提出された意見に対して一定範囲の応答義務が行政機関の側に課されているのも、得がたい仕組みだ。結局、情報公開と応答義務というパブコメの機能を活かしつつ、いかに意見反映手続として機能させるかは、制度論に尽きるものというよりは、組織文化の変化を必要とする大きな課題で、制度を作り運用していく中で育てていくしかないように思う。

 もっともどのような制度を作るかは非常に重要で、どの範囲で、どの段階の案でパブコメを義務付けるのか、どのくらいの期間で意見募集をするのか、どのように周知をするのかなどを、自治体であれば条例上で明確に位置づける必要がある。最低なのは、意見募集を必要に応じてする、としか決めていないところだろう。何をパブコメにかけるのかすら行政の裁量に委ねている点で、すでに公正、適正な意見反映手続としては機能しているとは言えないだろう。まずは制度を作り、その結果発生するジレンマをどう克服していくかを運用しながら模索していくしかないのではないかと思う。

2005年12月27日 建築確認

 この間の、構造計算書の耐震強度偽造問題で、やはり情報公開の問題に考えが至る。そこで、情報公開制度との関係では、3つの問題があると考えている。

 一つは、建築確認申請に関する情報の公開の問題だ。建築計画概要書は誰でも閲覧ができるが、建築確認申請そのものだと、図面や今問題になっている構造計算書などは情報公開の実績はほとんどない。審査会答申でも判決でも図面を非公開とする判断が中心で、その理由は一つは間取りなどを個人情報とし、図面や構造については設計者の法人情報とするものだ。そのため、今回の耐震偽装の問題があった場合は人の生命・財産等を保護することを理由に、あるいは高度な行政裁量で公開される可能性はあるものの、そうした特殊事情がなければ今の情報公開条例の枠組みでは難しいと言わざるを得ない。

 もう一つの問題は、情報公開条例での請求が可能なのは、自治体が建築確認にかかる情報を保有している場合、という限定つきであるということだ。民間確認検査機関が建築確認を行っていた今回のケースでは、自治体は構造計算書も図面も持っていない。さすがに各自治体は、今回の問題となっている物件に関しては検査機関から書類を取り寄せているが、通常は詳細な情報は持っていない。そのため、検査機関で建築確認が行われた物件については、自治体の情報公開条例の請求の対象外になり、そもそも情報公開を権利として求めることはできないのだ。

 この2つの問題を踏まえて最後に考えるのが、建築確認の情報公開のあり方だ。建築確認を自治体が行ったとしても検査機関が行ったとしても、事務の公共性、公益性は何ら変わらない。しかし、どちらかが行ったかで情報公開の法的義務が異なるのは明らかにおかしい。そして、現状の情報公開条例での公開に限界があることを考えると、単に情報公開条例の対象になるよう書類を整えるというだけでは不十分で、購入希望者や購入者、建物の安全性に影響を受ける近隣住民などに対して、建築確認にかかる情報を特に公開するような仕組みが必要だということだ。

 そもそも、建築確認がマンションなどの建物の品質を保証するものとすると、その根幹が今回の問題で揺らいでおり、その信頼回復が重要である。通常、消費者は消費対象の表示や適合規格を見て購入の判断をするが、それは表示や規格への信頼が前提であり、本当に表示などが正しいかまで個別に検証して追跡調査をすることはほとんどしないだろう。しかし、一生に一度であろう人生最大の買い物であるマンションのような場合、購入した物件の品質はその人の一生を左右しかねない問題である。また、近隣住民にとっては、危険な建物の存在は日常生活の安全を脅かす。だからこそ、建築確認制度の信頼回復は最低条件として、もっと消費者である購入予定者や購入者、そして建築物の安全性に影響を受ける近隣住民に対する情報公開を進める仕組みを、個別の条例や法律でする必要があるのではないかと思うのだ。

2005年12月6日 情報公開と個人情報保護と

 最近になってよく聞かれるようになったのが、「何で情報公開と個人情報保護の両方で活動をしているのか」ということだ。「情報公開」と「個人情報保護」は対立するものなのに、なぜ、ということのようだ。確かに、ここのところ「個人情報保護」といえば、ほとんど「セキュリティ」という文脈で語られることが多いので、その文脈で見れば違和感があるのかもしれない。

 なぜ、情報公開と個人情報保護を並行して取り組むようになったのかはさすがにわからないが、おそらく自分の情報を開示請求するという個人情報保護制度の開示請求権制度としての共通点があったことが、その背景にあるのだろう。私も初期の段階では、個人情報保護制度は本人開示請求などの請求権制度として、情報公開制度との共通点を見出していたように思う。

 今は、そもそも情報公開制度も個人情報保護制度も組織のアカウンタビリティ、情報管理という意味では、余り違いがないものとしてとらえている。情報公開制度も個人情報保護制度も、いずれも日常的な業務改革を求めているものだからだ。情報公開に対応し、それを進めるためには、適切な文書管理と公開に耐えうる日常業務の遂行が必要であり、その実現を日々努力することがアカウンタビリティを果たすことにつながる。

 一方、個人情報保護制度も、個人情報の取扱いをルールに基づいて適切に行うためには、これまでの個人情報取扱いの状況を見直し、日常業務の改革が必要だ。昨今では、個人情報保護といえばセキュリティと言う側面から注目され、いかに漏らさないか、なくさないかが主要な課題のように思われがちだが、むしろそれは個人情報保護の一側面であって、本来は個人情報の収集、利用、提供の適正化がまずあり、その上で収集した情報の適正管理が求めていのが個人情報保護制度だ。さらに、個人情報保護のためには、個人情報の取扱状況について一定範囲の情報公開が必要であり、単に個人情報を保護しているというだけでなく、それをどのように実施しているのかを明らかにすることで、個人情報保護の制度の適正な運用が確保される。一部では個人情報保護と情報公開が相互に抵触する場面もあるが、だからといって双方が対立概念ということにはならないのである。

 それにしてもこういう質問がたびたびされるということは、一般的な個人情報保護に対する認識が相当片寄ってきているということなのだろうか。それとも、私の両方の制度に対する理解の仕方が特殊なのだろうか。いずれにしても、かつての個人情報保護という言葉のとらえられ方が、以前に比べて変わってきたことは、間違いないように思う。

2005年10月24日 こんなものだと思いつつ…

 しばらく更新をしていなかったので、何だか以前のレイアウトのまま更新する気分ではなくなり、さらに自分で作っておきながらこれまでのレイアウトがうっとうしくなり、大幅にレイアウトだけリニューアル。まだ、コンテンツの中にはレイアウト変更ができていない部分も多いが、作業が終わるのを待つといつまでも更新できないので、暫定的にアップすることにした。今回のリニューアルで、やっとhtmlのタグをいじることをちょっとだけ覚えた。相変わらず難しいことはできないし、理解もできていないが、ネット上にいろいろ便利な情報が転がっているおかげで、素人でもなせばなるもんだ。

 住民基本台帳の閲覧制度などの見直しを検討していた検討会が報告をまとめた。政府が動き出す以前からこの件については活動をしていたので、今年前半はこの問題に忙殺されたと言っても過言ではなかった。ところで、この検討会は市民に対しては傍聴を認めず、報道機関のみ傍聴を認めるという形式で進められた。

 検討会自体、半年の予定で報告書を取りまとめる予定だったし、何よりも市民の情報を自治体から大量流出させている制度をどうするかという点で、市民にとっては大きな関心事だ。そこで、会議は公開で行って欲しいと思い、検討会の第1回会合の直前に、何度か総務省の担当課に交渉をしてみた。話をしていく中で、出てきたのは「議事録は公開しますから」、というお返事。これはここに限らず、一般傍聴を認めない会議の場合のお決まりの回答だ。そのたび言うのが、「議事録が会議終了後であっても公開しさえすればいいということですか」ということだ。

 個人的には、ちょっと待ってよ、という気持ちを込めてこう話すのだが、こういうむなしいやりとりをするたび思うのは、何のために情報公開をしているのかということだ。公開しました、という既成事実を作ることが行政としては大事なのだろう。しかし、事後の公開は、意思形成段階での情報公開ではなく、事後検証に耐えるのみだ。もちろん、会議録を作成するにはそれなりに時間がかかるが、議事内容の公開の方法を工夫しないと、厳しいことを言えば、もはや本当の意味での「情報公開」ではなく、その名を借りたアリバイ作りなってしまう。

 住基台帳の検討会は、私の交渉があってかどうかわからないが、1ヶ月程度で議事録はできるけどとしつつ、速報的に議事概要を公表する、ということに交渉の中でなった。ところが、議事録は1ヶ月ではできず、議事概要も速報とはとてもいえないレベルだった。何より、報告書が公表された10月20日時点で、8月30日分の議事概要すら公表されていなかった。9月末から10月はじめにパブリックコメントをとったにもかかわらずだ。

 予想をしていた事態なので、こんなものだろうと思いつつ、こういうことが平気でまかり通るのには、やはりうんざりする。これは、この検討会だけの問題ではない。それぞれ事情はあるのかもしれないが、そんなことは説明されなければ市民は知りようがない。その結果、不満だけが募る。こういう負のスパイラルはいい加減にやめてもらえないかと思う。

2005年8月29日 息の詰まる作業

 総選挙の予定候補者に対し、急遽アンケートをすることとなった。公的部門に対しては情報公開制度の制定がおおよそ終わりつつあり、残すは裁判所と国会だけだ。裁判所は、最高裁事務総長の依命通達で、行政機関情報公開法に準じて情報公開制度を運用しているため、まったく仕組みがないのは国会だけだが、指して動きもない。そこで、予定候補者アンケートとなった。

 時間がなかったので今回1人で作業をする羽目になったが、とにかくデータをそろえるのが大変だった。政党公認の予定候補者名はある程度容易に把握できるが、連絡先を調べるのは大変だ。今回の調査では、900人以上のリストができ、818人分の連絡先が収集できたが、それも容易ではなかった。いろいろとご協力いただきながら、何とか収集しリストを整え送信できるようになるまで、睡眠を削っても2日近くかかり、さらに並行して行っていたFAXでの送付に2日はかかった。

 私たちのように、地域性まったくないNPOでは特定選挙区の予定候補者の意見を聞けばよいとはならないので、全国的に意見を聞こうと思うと、果てしなく息の詰まるような作業が続く。さらに最初のリストに加えて、公示近くになると報道機関が予定候補者のリストを報道するので、すでに作ったリストとのすり合わせ、アンケートを送付できたかどうかのチェック、回答内容の処理など、なかなか大変。

 成果はこのサイトにも掲載したとおり。ほとんどが国会の情報公開法を制定すべきとしている。後は、本当に制定に動くかどうかだが、この答がわかるのは、少し先のことだろう。

2005年3月30日 大いなる勘違い

 最近の傾向なのか、それとも昔からの傾向なのか。行政の政策形成にかかわる第三者機関の議事録の作成の仕方が、なんだかとてもおかしいように思う。

 最近、法務省司法試験委員会を相手に起こした情報公開訴訟も、現在最高裁に上告受理申し立て中の司法制度改革推進本部の検討会に関する情報公開訴訟も、そもそもの原因は、議事録の作成の仕方の問題だ。両者とも、議事概要を「公表する」としているのだが、一方で公表できる議事録しか作成していない。そして、両者とも誰が発言したのかは公表されたくないようで、そもそも作成される記録自体、発言者名を記載したものが存在しないのである。

 この状況は、私には理解しがたい。情報公開の世界は、公開できる文書を作って公開していればよいというものではなく、そもそも文書は適切に作成し、それを全部公開するかどうかは請求があった時点で個別に判断し、非公開としなければならない部分があれば、部分公開にするものである。確かに、議事概要という形で情報が自動的に公表されると、多くの人が容易にアクセスできるので、そのこと自体に意義がある。しかし、だからといって誰がどのような発言をしたのかという記録を残さなくても良いという話ではない。議事概要はあくまでも記録の一部であって、本当に説明責任を果たすのであれば、それとは別に発言者名の入った議事録を作成し保管すべきなのである。重要課題であれば、なおさらである。

 残念ながら私が抱えることになった二つの裁判は、そうした当たり前の作業が行われなかったことに端を発し、仕方がないので議事内容を録音したものを請求したものだ。その結果、非公開や不存在(行政文書に該当しない)と判断され、争訟に発展しているだけのことである。本来なら、記録はきちんと作成し、その公開・非公開については個別に判断をするようになっていれば、こんなことにはなっていないと思う。ここまでくると、「ちょっと、勘違いしているのと違います?」と思わず言いたくもなるのである。

2005年3月18日 なんだかとっても忙しい

 いつもだらだらと忙しい感じなのだが、ここのところなんだかとっても忙しい。

 住基台帳の大量閲覧問題と、情報公開法の見直しと、個人情報保護法の施行と、個人情報保護条例の動向と、ついでにどういうわけか公益通報者保護法関連と、なんだかいろいろと動き、さらに相談の電話やら、報道機関からの電話やらがいつになくかかってくる。なんだか、盆と暮れと正月が一緒に来たような気分だ。さすがに、この1ヵ月半ほどの間に集中していろいろとやりすぎたので、かなりばててきた。が、へたっていてもいいことは何もないので、とりあえず淡々と仕事はしている(つもり)。

 少し前に、学生時代の友人にあったところ、本人は「命の危険を感じる忙しさ」としきりに忙しがっていた。そのときは、そういうものかと聞き流していたが、いまならとってもよくわかるよ!といいたいところだ。ところが、こういう状況になるとどうも余計なことをしたくなってしまう。よせばいいのに、最近はメーラーを変えてみた。

 これまで使っていたのは使い慣れていたが、何かいまいち。そこで、新しいメーラーに乗り換えたのだが、それをインターネット上でダウンロードしたのはかれこれ1ヶ月半前。今ほど殺気立った忙しさではなかったにもかかわらず、何となく忙しかったので放置していたが、最近になって急に思い立って、深夜の事務所で1人、新しいメーラーをインストール。インストール自体は簡単で、これまでのメーラーからのインポートも順調。でも最後に落とし穴がり、アドレス帳もインポートされるのだが、これまでのアドレス帳でフォルダ分けしていたものが、なんとすべて一つのフォルダに入っている。仕方がないので、記憶と記録を頼りに結構な量のアドレスをフォルダわけする羽目になった。それも、すぐにでも大量のメールを同報で流す必要があったため、作業をする以外に選択の余地はなし。やるんじゃなかったと思いつつも、どうも、忙しいときに限ってこういう余計なことをするのがやめられない。そんな暇があれば家に帰れ、と自分でも思うが、学習効果がないのか、そううまくもいかないのが私の私たるゆえんかなあとも思う。

2005年3月10日 名乗らない人

 先日、法務省を相手に情報公開訴訟を提訴した。その原因となった情報公開請求の手続の際に、法務省側と何度かやりとりする機会があった。その中で、不開示決定を前に決定について法務省の請求文書を持つ所管課から電話がかかってきたのだが、そこで質問した内容について即答ができず、後日電話で回答してもらうことになった。

 電話を切る前に担当者の名前を聞き忘れ、「しまった」と思ったが、電話がかかってくるからそのときに名乗るだろうと思っていたところ、かかってきた電話は「司法試験係のものですが」。え、名乗らないの?とちょっと驚いた。昔は、国、自治体ともに今後の連絡のために職員の名前を聞こうとすると、露骨に嫌そうな声になることもあり、不愉快な思いをした事が少なくなかったが、最近では、かかってきた電話で名乗らない人は少なくなった。だから、余計に何かおかしくなった。

 そこで、名乗られなかったので名前を聞けばいいものを、今度はいつまで名乗らないのだろうかという好奇心から、私から名前を聞かないことにしよう、と電話で話しながら思いそれを実行。この係にはその後も情報公開請求をしているし、不服申立てもしているし、裁判もしている。だから、最初の名乗らなかった電話の後も電話がかかってきたが、まだ名乗ったことはない。

 個人的には、相手に電話をするときにも名乗らないのは社会人としての常識としてどうかと思うが、一般市民なんぞに名乗らないというカルチャーが組織内にあるならば、それが法務省での常識なんだろう。法務省だけでなく、そういうところはまだまだあるとも思うが、ここまできたらいつまで名乗らないのかちょっとした興味があるので、これからも私から名前は聞かないことにしようと思っている。

2005年2月23日 性善説と性悪説

 情報公開法見直しについての検討会での検討が、もうすぐ終わる。結局、法改正はしない、というのがこれまでの流れである。これまでの検討会を見ていて、改めて気づいたことがある。それは、性善説と性悪説の視点の違いが制度設計の議論にはつきものだということだ。

 今回の検討会でのまとめは、運用改善に留まる内容になる見込みだ。一方で、情報公開法利用者は、情報公開法見直されるべきだと考えている。同じ問題を見ているのに結論が違うのはなぜかといえば、それは制度を運用する行政機関に対する視点が性善説、性悪説であるのかの違いだと思っている。

 運用改善や解釈運用の適正化である程度運用上の問題が改善されることもある。一方で、そうしたとしても、条文がさほど明確ではない場合は解釈に幅が出るし、情報公開法でいえばいろいろと手続に時間がかかっていることが請求者には不満だが、それが違法ではないような場合は、そう単純な話しではない。性善説に立てば、行政機関による運用改善でよいとなるし、問題を数々経験した請求者にとっては性悪説で、現に問題が起こっているのだから同じことは起こりうるから条文を明確に改正すべきとなる。この溝は、埋めようもなく深く広い。

 結局、情報公開法の見直し議論は、性善説的な立場で行政機関に適正な運用を求める検討会のまとめと、情報公開法のユーザーの思いは大きく乖離し、埋めようがない。この視点が違うまま議論を続けることの、なんとむなしいことか。数々ぶつかる情報公開法の運用上の問題に、いまだに体力を消耗して場外乱闘を繰り広げている自分の置かれている状況を考えると、立場と視点の違いは理解しつつも、全く納得できないのである。