ドンドン投稿板 第18弾!「テーマ:なんと法務省が裁判の民主化を提言!
アナタは陪審派、参審派、それとも?!」

M CI〜〜〜〜〜〜BG
みなさん新年おめでとうございます!伊藤佳子です。
遂に21世紀が来てしまいました!でも、これってキリスト教の暦なんですよね。。。
考えてみると所謂「グローバルスタンダード」の典型だったんですね!
( 近況ひとことあって )
さて、ニュースの向こうに何かが見える!我らニュースの探検隊。2001年の第一弾の
のテーマはこれです!

M 〜〜〜〜
先進国の中で唯一、裁判に「国民・市民達の参加」を事実上拒み続けて来た私達の国
ニッポン。所が、1月6日の朝日新聞一面トップに、何とあの法務省が「市民に表決権
を含む参審制」を刑事裁判に導入する方針を決め、具体的な内容の検討に入った!と
言うスクープ記事が掲載されました!
遂に、今まで先進国の恥・民主主義の恥と言われて来た「ニッポンのお上のお裁き制
度」がようやく変わる方向で動き出した!と喜びたい所ですが、もちろん異論反論も
ある筈です。
法務省という「お上の提案」に対し私達「国民・市民」も言いたい事が色々ある筈で
す!
そこで2001年第一弾はこの問題で幕を開けたいと思います!
「日本の裁判制度アナタだったらどうーする」?!

M 〜〜〜
疑問その1
アメリカ、イギリスは映画などでお馴染みの「陪審制度」を行っています。あの「O
Jシンプソン事件」では「陪審制の欠点」が世界中から批判の対象となりましたが、
その後の世論調査では、それでも「陪審制」に賛成の声がアメリカでは殆どだったと
か。
特徴は「プロの裁判官抜きで」有罪無罪を独立して決定する事。
戦前は日本でも行っていましたが、中断され今に至っています。
アナタは今の日本にこの「陪審制」を復活させる事に賛成ですか、それとも反対です
か? その理由はなんですか?

M 〜〜〜
疑問その2
今回、法務省が検討している「参審制」と言うのはドイツ、フランスなど多くのヨー
ロッパ諸国が採用しているものです。
これは市民から選ばれた「参審員」がプロの裁判官と一緒に「有罪無罪を決定」する
だけでなく、どんな刑罰をあたえるかという「量刑」にも参加します。
アナタは、今の日本にこの「参審制」を導入する事に賛成?反対? その理由は何で
すか?

M〜〜〜
疑問その3
検察を中心として「参審制」いわんや「陪審制」など今の日本国民の成熟度からして
無理だ!理想はいいが現実をみろ!
「司法と社会秩序の混乱を招くだけだ」と導入慎重論を展開しています。つまり、あ
のOJシンプソン裁判を見ろ!と言う訳です。
また、弁護士、検事も裁判官に互いに就ける事を推進する、いわゆる「法曹一元化」
にも反対しているそうです。
「人が人を裁く」ことは簡単ではない事は当然です。
でも「IT革命」が急速に世界を席巻すると言われている現在、何かもっと「画期的
な裁判制度のアイデア」はないものなのでしょうか?
その可能性と危険性。アナタのご意見をお待ちしていすます!

M 〜〜〜〜
貴方が知っている情報、体験、ご意見もDONDON投稿して下さい!素朴な疑問や、それ
に対する答えも大歓迎です!!
裁判の矛盾 シャリアブル  2001/01/08 (月) 12:45
最近の凶悪犯罪の増加を見るに付け、裁判制度、量刑制度の不備が目に付くような気がします。
その一つの方向として、陪審制の導入との事でしょうか、日本人の性格上かならずしも正しいとは考えにくいです。
まず、東京の様な異なる出身者が混じる土地ならともかく、住民が固定している場合などは地域で判審員になると地域の人間関係などの問題で正しい判断が出来るかは疑問です。IT時代だこそ北海道の時は九州などと、遠方で判審員を採用するなどの方法が必要になるでしょう。
陪審制を導入するとするならば、欧米のような方法を導入するのではなく、犯罪の種類や地域性の研究がまず必要ではないでしょうか。
特に、プロバガンダに影響されやすい国民性からして使い方によっては、どの様にも操作できるのではと。

めんどくさそう! 両性具有  2001/01/08 (月) 16:29
参審員とか陪審員とかって一般市民から適当に選らばれる訳でしょう?突然そんな事やられたら大変じゃないですか!
仕事も遊ぶ時間も犠牲にしてまで協力する人って何人いるんでしょうか?それとも、これは国の強制なんでしょうか?

Re: めんどくさそう! シャリアブル  2001/01/08 (月) 16:55
選択基準としては選挙の立会人と同じではないでしょうか。
また、選出されたものは有給扱いにしなければならない法律を当選付随法規として整備するでしょうし。

Re: めんどくさそう! シャリアブル  2001/01/08 (月) 16:55
選択基準としては選挙の立会人と同じではないでしょうか。
また、選出されたものは有給扱いにしなければならない法律を当選付随法規として整備するでしょうし。
12人の浮かれる男たち E.T  2001/01/09 (火) 00:29
 という作品を筒井康隆が書いてます。無罪と分かりきってる被告を陪審員たちがよってたかって有罪・死刑にしちゃおうというブラックな話で・・・
 米映画「怒れる12人の男たち」は裏を返せば、陪審制度が民主主義としてうまく機能していないといういらだちがあると思います。
 アメリカのように陪審員制度を導入するなら、判事も検事も選挙で選ぶようにすべきでしょう。その上で128人の陪審候補から12人を選ぶ熾烈な駆け引きを行い、裁判地で争い、でも結局、評決は検事と弁護士のスーツの色で決まったりして・・
 というようなことが民主主義とは思えませんがねえ。反対。 


小さな事かもしれませんが… くろ  2001/01/09 (火) 12:23
疑問1について。
 「陪審員」制に反対です。アメリカなど民族も宗教もライフスタイルも雑多な国であれば、一つの事件に関しても多種多様な判断がされると思います。そんな中、裁判長一人の判断で審判を下すよりは、「陪審員」によって審判を下す方が国民の納得は得られやすいと思います。
 翻ってわが日本を見てみれば、アメリカほど価値観が多様であるとは思えません。さらにマスコミ各社の主張の違いに大差があるとは思えず、結果、「陪審員」制にしてみても、マスコミなど大声に流された一辺倒の審判に偏ってしまうと思います。

 疑問2について
 「参審制」は賛成です。世論に対しいささか疎いと思われる法曹会、特に裁判所に世論を反映させることにつながると思います。

 疑問3について
 選挙のときに不適切な最高裁裁判官にペケをつける、というのをやりますよね。適当につけたり、全く付けなかったり、人それぞれだと思いますが、余りちゃんと機能していないように感じます。
 そこで、選挙の前には、各マスコミが、どの裁判官がどの事件を担当し、どのような審判を下したかを大きく公表するようにします。すると、裁判官も国民を意識した判決を出さねば、と、思うのではないでしょうか。
 特に国家賠償などの問題になると、政府から圧力を受けているのではないか、と勘ぐりたくなるような判決がとても多いような気がします。そこで、裁判所に対し国民からも何らかの圧力をかけられるようにすべきだと思うのです。
 事件が風化していってしまうのはしょうがないことかもしれませんが、不適切な最高裁裁判官を選ぶ際には、もう一度思い出して、で、選ぶ、ということが裁判所を変えていく第1歩ではないかと思います。

聞いた事 T中村  2001/01/09 (火) 15:31
この事は法律を学ぶ人間にとってとても興味をもつテーマです。
今回の陪審員制や参審制は最近取り入れるべきだという意見が、
高まっています。何かで読んだのですが、陪審員は戦後一時的に
取り入れられたことがあったらしいのです。しかし、今、陪審員
制がない事はつまり、陪審員制は、日本の裁判の制度に馴染まな
いのではないかと思います。私は、今回のテーマから言うと、参
審制のほうがいいと思います。確かに今の純粋培養のようなキャ
リア組の裁判官が大半で弁護士や検事を経験して、裁判官になる
人よりすぐ裁判官になる人が多いのが現状だそうです。そのため
一般常識では考えられないような、判決が出てしまう事があるの
です。そのため、参審制は良いと思いますが、前提として、もっ
と一般の人が裁判に興味を持たねばならないと思います。

参考までに まとば  2001/01/09 (火) 23:07
弁護士会が「陪審制」「参審制」について以下のページで詳細解説していますよ!参考までに。
http://www.l-wise.co.jp/baishin/

テーマについて 校倉木造  2001/01/09 (火) 23:33
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくです。
 ↑松の内すぎちゃいましたが。(^_^;)

さて、疑問その1。
 現在停止されている陪審法を読んでみましたが、刑事裁判で「被疑事実の有無」について判断する制度のようですね。
 被疑事実の有無を判断する…というのは素人にはかなり荷の重い事ではないかと思います。

 素人が陪審員になったとして、死体の写真を見て「首をザックリ切られているが、弁護人はこれを左利きの人間の切り方であり、右利きの被告人のものではないと主張しているがどうか?」とか、「焼死体の気管に煤がついている/いない」とか「腐乱死体のウジの生育状況と被告人のアリバイは…」とか「頭の皮を剥いだ写真によると頭蓋骨のヒビが…脳を取り出した写真では対面打撃が…」とか冷静に判断できますかな。
 写真見ただけで貧血起こす人も少なくないと思いますよ。カラーだし角度を変えて何枚もあるし。
 たぶん無理…だと思います。
 事実認定については、やはりプロにお任せしたほうがいいんじゃないですかね。


疑問その2について
 一般人が量刑に参加するのは、やはり反対。
 量刑を判断するには「事実」を知らなければなりません。
 前記の通り、事実を明確に判断できない者が量刑に参加すべきではありません。
 裁判官は聖職者のように判決を下してますが、新聞や雑誌などを読み自分の判決への「世論」を意識しているそうです。 それに任せていればいいのでは。
 「世論のプレッシャー」で司法を監視するべきと思います。

疑問その3について
 最近やってるかどうか知りませんが「解決熟女」とかいう番組ありましたね。
 一、二回見たのですがひどいひどい。
 もう初めから一方を「悪人」に仕立てて、徹底的にけなすだけ。
 あれが庶民のカタルシスなんでしょう。
 あんな番組が1クールで終わらないような社会は奴隷・愚民の社会ですから、裁判に参加させるなんて猿に飛行機操縦させるようなものです。
 O.J.シンプソン事件でも証人がハンサムだと陪審員が悪感情を抱くとか言われてましたし、衆愚裁判になることは目に見えてます。

 ただ、検察自身もかなりズサンなことやってたようですが。 現場にあった血のついた手袋を証拠として提出したものの、シンプソンの手には小さすぎたとか。 で、後から「血などがついて縮んだ」と言い訳してましたね。 検察官もやる気なくしてんじゃないですかな、アメリカは。
 
日本だけなぜ? アーサー  2001/01/10 (水) 00:34
新年おめでとう御座います。
さて今回のテーマ、これは大変むずかしい問題ですね。
私達しろうとがどこまで責任をもって人の犯罪を裁いたり、刑を決める事が出来るものなのか?
校倉さんや慎重派(否定派?)の皆さんのご意見とってもよく分ります。そこで感じた疑問なのですが、たしかにアメリカは色んな人種が混在しているので裁判官だけの判断では荷が重すぎるというお話も分りますが、ではイギリスはどうなんでしょうか?
アメリカ人イギリス人にできて、日本人にできない特別の理由って何かあるのでしょうか?
私には日本国民が両国民に比べて特に「民度」が低いとは思えないのですが?
司法制度改革 校倉木造  2001/01/10 (水) 00:37
 陪審制や参審制が今の話題ですが、司法制度改革には司法試験の見直しも検討されています。

 そちらは法科大学院(3年)出身者のみに司法試験の受験資格を与えるというもので、今の司法試験に比べるとずいぶん門戸狭くなるような気がします。
 今みたいに一念発起すれば誰でも受験できるほうが、いろいろな「一般人」が法曹界に参入して来ていいと思うのですが。
 (もちろん、一般人が司法試験に合格するのは大変ですが、そこはやはり一定の知識がなければ勤まりませんので試験が難しいのは致し方ないことです。)

 ここで門戸をせばめる代わりの陪審制・参審制だったら、余計に「一般人と生っ粋のプロ(大学院出身、当然大卒のみ)の区分け」がはっきりしてしまうのではないでしょうか。

 どうせ法科大学院作るなら、試案みたいに「受験資格」にしないで、入学・進級・修了基準を厳しくして「修了=司法修習修了(即判事補・検事任官、弁護士登録)」にしたらどうでしょうかね。
 だいたい、現行の司法試験の「受験3回以下の者を優遇」する制度がやっと去年あたりから機能しはじめたばかりなのに、またここで制度いじくるのか、という感じがします。
 司法修習だって定員を増やして、期間を2年から1年半に短縮したばかり。
 そこでまた3年制の大学院作る…なんか国立大の入学試験みたいにコロコロ変わりますな。

 …制度をコロコロ変えていればひとつの制度の欠陥が露見しにくい、という役人の護身術なのかしら。

 …だいたい、法学部出てるのに「記名」と「署名」の違いがわからんとか、民事の時効と刑事の時効の意味の違いがわからんとか、大学法学部の教育レベルも問題なんですがね。
想像で書きます。(失礼) 校倉木造  2001/01/10 (水) 02:08
>アーサーさんへ

 ちょっとイギリスの司法制度を調べてみましたが、イギリスの陪審制について詳しい資料がみつからなかったので引き続き調べてみようと思います。

 ただ、私がなんとなく感じているのは司法、特に刑事裁判というものは裁判官が「憎まれ役になる」という歴史があったのではないか、ということです。
 アジアの多くの国では、司法関係者が賄賂をもらうことが当然のように行われています。
 要するに「処罰したって誰も得するわけじゃないんだから、金もらって見ぬふりしてもいいじゃないか」ということです。
 こういうことは、いま先進国と呼ばれている国々でも、歴史上は当たり前のようにありました。
 賄賂以外にも、国王や貴族の圧力とかも当然のようにあったでしょう。

 司法という制度は、正義を守るよりも国の体制を守り国民を押さえつける制度として機能してきた歴史があります。
 だから先進国では公開処刑や残虐な処刑が禁止されているんです。ヨーロッパでも中国でも日本でも、国民を威圧するためにこれらの方法が利用されてきましたから。
 (逆に怪盗ルパンとか仕立屋銀次とかの窃盗犯が「義賊」として国民に受けるわけですね。)
 民主主義という思想が広まったとき、こういう悪い先入観を払拭して正義のための公正な司法をアピールするためには、民意を反映させるため市民から抽選で選ばれた陪審員というものが不可欠だったのではないかと思います。

 日本の場合、同じような歴史はありましたが明治維新と敗戦という二度の大改革で、陪審制度を取り入れるまでもなく司法の歴史が断絶され、悪い先入観は払拭されたのではないかと思うのです。(完全に、とは言いませんが)
 つまり、陪審制が可能か不可能かというよりも、取り入れる必要がないのでは、と私は考えています。


★蛇足
 極端な話、いまの日本では公開処刑だって問題ないのではないか、と思います。
 いまの日本で、国のやり方に文句を言って死刑になることはないと全ての国民が知っていますから、威圧の効果がないからです。
 むしろ、犯罪者の名前や顔写真を公開するなら死刑も公開すべきではないかと思います。蛇足でした(^_^;)

【以上ほとんど、私の陪審制度に対する「感想」を元に書かせていただきました。失礼しました。】

参考サイトです ぽんぽこたぬき  2001/01/10 (水) 11:56
陪審と参審の一番分かり易いサイト発見!
http://www.baisansin.com/tuite.html

校倉さんありがとう御座いました アーサー  2001/01/11 (木) 00:54
校倉さんのご意見なるほどと思いました。歴史を考えるときっとそうゆう側面もあったんでしょうね。
ただ、現在の日本が主権在民をタテマエにしている以上、多くの国民が納得できる裁判制度であるべきなんだと思います。
これは聞いた話ですが、日本で戦前行われていた陪審制の時は被告が裁判官に裁かれるか、陪審員に裁いてもらうかを自分の意志で選択できたとか。 とすると、今より民主的だった面もある様な気もします。
それに、気の遠くなるような年月をかける日本の裁判はどう考えてもマトモとは思えません。陪審制は少なくともその弊害を取り除く事が出来ると思うのです。誤解を恐れず言わせてもらいますと、神ならぬ私達人間は時間をかければ誤審が無くなるとは思えません。かえって途中で何人も担当裁判官がかわるような今の日本の裁判よりもずっといいと思うのですが、これ乱暴過ぎるでしょうか?

別けて考えてみました くろ  2001/01/11 (木) 01:14
僕の中で中々意見がまとまらないなぁ、と思いつつ、なんでまとまらないのか、暫く考えつづけておりました。
 で、僕なりに結論としたのが、裁判にも二つのタイプがある、ということでした。
 一つは、ストレス発散のための裁判。もう一つは我が身を心配せざるを得ない裁判。
 具体的に言えば、一つ目は名誉毀損など判決が特に自分に関係しないもの。で、そのニュースを聞いたときに憤慨したりして、で、被告が重い量刑など受けるとその憤慨から来るストレスがスッと解消するというタイプのもの。
 二つ目は、公害裁判や不法投棄、或いは少年犯罪などの裁判で、そんな判決下されて明日は我が身なんてことになったらどうなるのだ!、というタイプのもの。
 この二つを別けて考えないとどうにも整理が巧くつかない、ということに気付いたわけです。

 一つ目で言えば、三面記事で楽しむ分には良いけれど、陪審員などに指名されて仕事を休む、なんて気はさらさらしません。
 しかし、二つ目で言えば、何としてでも自分の意見を反映させたいですよ。出世のために圧力に屈するような裁判官一人に委ねたくはないですよ。陪審員制にして、一人でも多くの被害者に近い立場の人の意見を判決に反映させてほしいですよ。

 と、考えて、いささかすっきりしたところで、一つ目と二つ目の境目について考えてしまうと、その辺結構あいまいだったりして。
 もうすこし考えて行く必要は感じました。
さらに考えたこと 校倉木造  2001/01/11 (木) 09:38
>アーサーさん
 戦前の陪審制は、被告人の希望による場合、有罪となったとき陪審費用(陪審員の日当など)を負担しなければならず、それで選択しない被告人が多くいたようです。
 また、当時の陪審員の要件として「引続き2年以上直接国税3円以上を納めていること」とあり、このクラスの方が今と比較してどの程度の生活レベルかわかりませんが、そこそこ名士ではあったでしょう。
 そうすると、お金で警察を動かせないような庶民と高等文官試験にうかった「検察判事」とのどちらに親近感を抱いたか…と思ってしまいます。
 今後日本で陪審制が復活しらこんな規定は当然なくなるでしょうけど。

 それと、裁判期間の問題。
 これ、司法制度の問題というより被告人側(弁護側)の引き延ばしが原因と指摘する記事を読んだことがあります。
 逆立ちしたって死刑、なんてときには“延命治療”ならぬ“延命弁護”というのがあるそうで。
 死刑の確定をここまで遅らせた、という実績のために。
 裁判官も検察官も、「身分保障のある自分らと違って、弁護士さんは自由業だから」と延命弁護にもそこそこ“お付き合い”してくれるのがしきたりだったとか。
 この記事を読んだときは半信半疑でしたが、麻原裁判で弁護側が「サリン事件の被害者(3000人以上)の名前全部読み上げろ」と要求したとの報道を見たとき「あ、ほんとにあったんだ」と納得してしまいました。
 それと、途中で裁判官が変わる件ですが、陪審員によって事実認定が変わる可能性というのも同じように困ったものだと思います。
 今の裁判官は、法律と自身の良心と心証のみを基準に判決を出すこととなっていますが、裁判官によって判決や量刑が違うという世論が起きないように、神経質に「他の判例との均衡」に気を配っているとのこと。
 判決と量刑のプロだからこその苦労だと思います。
 ここまのでの努力が、一般市民にできるのか…と思います。

 さらに「予断」の問題。
 裁判官は判決についての世論は新聞雑誌などで読んでいるそうですが、逆に起訴前の事件報道はなるべく読まないようにしているそうです。
 もし自分がその事件を担当することになった場合、予断を持たないように。
 さて陪審員・参審員はこれができるかどうか。 軟禁して、事件報道をマジックで消した新聞雑誌しか読ませない…なんてのは拘置所なみですな。(^_^;)

 どうも、私の中ではこういう懸念が渦巻いてしまっています。

校倉さんへ アーサー  2001/01/11 (木) 22:13
多くの国民は「最高裁判事の国民審査」をバカバカしいと思っています。そして選挙における一票の重さが二倍を超えていても妥当と判断する日本の最高裁に対し、多くの国民は民主主義の否定ではないかと感じていると思っています。
地方の意見を尊重をどう尊重し活かすかは本来まったく別の問題の筈ですので。
また、私はいわゆるエリートの能力、使命感、見識、判断力に頼り過ぎることの危険性を、国民は大蔵、警察キャリアの腐敗ぶりなどからいやと言うほど学んだと思っています。
司法に関しても、国民審査などというインチキではなく、具体的に国民が裁判をチェックできるシステムが今や求められているのだと思います。
たしかにどこの国でも、そのほとんどが利己的で無責任で愚かな欲望に生きる国民達がほとんどかも知れません。そんな連中に国の大事な問題を任せていいのか、という考えもあるでしょう。
それでも私は、民主主義のほうが官僚主導の国家運営よりもずっといいと思います。もっと言えば、もしそれで国民がひどい目に遭ったとしても自業自得。自分達に損害は跳ね返ってくるのです。
嫌なのは自分達が参加できない所で「賢いと自負するエリートの皆さん」が決定し、失敗し、そのツケを国民が負わされる事です。
ツケを払わされる国民の意思を可能な限り反映させることが出来るシステムが民主主義の基本だと思うのです。
もちろん国民の判断をなるべく誤らせない為には、マスコミの責任と使命が重大です。哀しいのはその自覚が感じられない事です。


Re:913 アーサーさんへ 校倉木造  2001/01/12 (金) 03:53
 陪審制を司法関係者が提言したとき、最初に私が感じたのは「
責任転嫁」です。
 マスコミに批判されて、「じゃあお前たちやってみろよ」と開き直ったのではないかと。

 人間社会の基本は「分業」です。
 プロは「じゃあ、あんたやってみろ」とは口が裂けても言ってはいけない。
 それは、自分の存在価値を否定すること。 素人にできない事をしているからこそ、料金を頂けるんですから。
 まして司法は、大工さんや調理師と違います。
 腕の悪い職人なら他に頼むこともできますが、司法はそうはいきません。
 司法権を独占しているからこそ重い責任を負い、権威もあり、批判もされるのです。
 素人を裁判に参加させれば、判決が世論に叩かれても「だって民意だも〜ん♪」と逃げられるというのが陪審制などの本当の目的じゃないでしょうか。


 バブル崩壊後に問題となった「変額保険」、最近問題になった「商工ローン」。
 契約書を読めば保険のマヤカシ、ローンの危険性は“被害者”たちだって事前にわかったはずです。
 でも司法は「業者(=プロ)」として、民間同士の対等なこれら契約について、「プロとしての」説明不足を理由に被害者側を保護する判決を出しています。

 そういう判決を出してきた司法が、素人である市民に判決の責任を負わせるなんて、全く筋が通らないと思います。
 これでは、口先では「だいじょうぶ」「安心してください」とその気にさせて、後になって読みにくく分かりにくい契約書を出して「ここに書いてあるんだ。ハンコ押したら内容ぜんぶを認めたことになるんだ。責任を負え。文句は言うな。」と迫った業者と変わらないじゃないですか。

 陪審制などは、量が莫大でもっともわかりにくい「契約書」である法律について、全てを理解しているはずもない素人に責任を負わせよう、としか感じられないのですが。


 それと、アーサーさんの発言で思い出したこと。
 「ナイキ裁判」とかで、国に都合の悪い判決出した判事が、その後異常に長い間地方の家庭裁判所(地裁と同格)の判事として冷遇された、ということがありました。
 こういう事に目を光らせ報道するのがマスコミの使命ですよね。
 最高裁判事の国民審査についても、たとえ部数を伸ばすネタではなくとも、タレントの話題より重要だと思います。「社会の公器」を自称するならば。
 民意が正しく定まるような正しい事実を提供する“報道”が必要だと思います。

この国は私達の国です。 アーサー  2001/01/14 (日) 00:30
この国はいったい誰の国なのでしょうか?かつて左翼系の方達は国家とは支配者階級のものだとアジりました。軍部や独占資本のための権力構造だと。だから反権力、反国家こそが民衆の解放思想であり、それはジャーナリズムの基本精紳でもあるみたいな事を言ってました。共産党は今でもそれに近いようですが。
考えてみますと、こんな矛盾した考え方はないのですが、私も若い頃そう思っていました。
この国は私達の国です! 私達が納得できる政治、経済、司法のシステム実現させることが最も大事なことだと今は考えています。
総理の選び方、選挙のやり方、裁判の在り方、様々なルール。すべて国民の多くが納得できるものに変えていくこに何の遠慮がいりましょうか。
しょせん完璧、完全なものなんてこの世に存在しません。
私達が「よりよいと思うもの」を実現させていく他ないのです。
失敗したらやり直せばいいではないですか。
どんなものにも欠点、欠陥はあります。いつの時代も試行錯誤の過程でしかありません。もっとも、あの敗戦はちょっとひどすぎましたけど。
その意味でも、こうして校倉さんはじめ皆さんと意見をぶつけ合うことが出来たこと、本当に嬉しいことでした。
あらためて有り難う御座いました。

角栄は無罪だった? まとば  2001/01/18 (木) 06:01
日本の裁判はやっぱり今のままじゃ変だとみんな思っているんじゃないでしょうか。そこで気になるのが、こないだ本屋で「田中角栄は無罪だった!ロッキード裁判の嘘」(?)なんて本が山積みになってました。そうかと思えば、この前テレビで田原総一朗が「当時の検事が金の受け渡しの場所と時間がどうしても合わなかった、と語っている」なんて発言し、ロッキード裁判批判をしていました。えー、うそーってカンジ。いまさらなんで? 二十年近くかけて、田中被告が途中で死んでウヤムヤになって、でも国民のほとんどは「有罪、悪人」とおもっているのに、これは一体何なんだ! 裁判官も検事も田中の死をホッとしているって噂は本当だったのだろうか?
とすると、日本の裁判って一体何なのか?立花隆も反論ぐらいしろ!

陪審制あれこれ 校倉木造  2001/01/20 (土) 08:11
 材木商A社の従業員が陪審員に選ばれたとする。
 そして、食品加工会社B社の社長の息子が被告人となった刑事裁判を担当した。
 A社とB社は過去、直接取り引きはない。
 しかし、B社は新社屋の移転にともない、建築・不動産会社C社がそれを受注すべく営業をかけていた。
 C社は建売り住宅なども手掛け、A社のだいじな得意先だった。

 こんなとき、C社経由で“圧力”がかかった場合、サラリーマンである陪審員は抵抗できますかな。
 欧米では、ある程度できると思います。
 国教としてキリスト教があり陪審員は聖書に手を置いて“宣誓する”ので、圧力かけた事実が露見すれば、神との契約を破らせようとした反社会的行為と糾弾されるからです。
 日本でも江戸時代ならば「お不動さんに酒断つって願かけちゃったんだ」と言えば、悪友たちもしつこく誘わなかった。 しかし、今の日本にはこういうモラルの基準はありません。


 バブルのとき。 司法試験・公認会計士試験と並ぶとされている資格の「不動産鑑定士」が何をしたか。
 「貸したい」銀行の意向にそって、都合のいい「鑑定」をしていたんです。
 いや、バブル以前にも、本来は絶対安全なはずの担保付き債券である“抵当証券”の安全性を「骨抜き」にしたのも不動産鑑定士。(担保価値があるかのように、デタラメな鑑定をした)

 三大資格などとも言われる専門の資格者にして、このザマ。
 まして一般市民がみな“自身の良心”のみで陪審員の仕事できるんでしょうか。


 昔、最高裁判事が陪審制に肯定的な意見を出したところ、高裁判事が反論したことがありました。
 新聞などでは「部下が上司に反論した」ように書かれていました。
 しかし、最高裁判事なんてのは裁判官出身者でも、事務方専門で法務省に出向したり代議士に顔を売った、裁判をほとんどやった事がない裁判官。 まじめに仕事(裁判)をつとめた裁判官は、最高裁判事にはなれません。
 そして最高裁判事には「調査官」と称する地裁判事クラスの裁判官が補佐しています。
 最高裁判事の意見や判決は、だいたいこの調査官が作成しているので、その事情がわかっている高裁判事にとっては「最高裁判事の意見・判決」などは「(格下の)地裁判事の意見」なのです。

 今回の法務省の「提言」も、しょせんは法務省トップを占める、実務経験のない事務方専門で出世街道だけを渡り歩く現場を知らない「裁判官からの出向者」の意見だと思います。

日本の裁判制度に思う事 ルパン?世   2001/01/21 (日) 13:47
久しぶりに投稿します。
今回のテーマ難しくて考えがまとまらずにいます。
自分が今思う事並べてみます。
1、日本の裁判は時間がかかりすぎる
2、一人の裁判官が抱える件数が多すぎる
(裁判官の数が少ない?)
3、弁護士がわざと時間稼ぎをしている
4、一般の市民に納得のいく答えが出ない
そんなところです。
参審制も陪審員制にしてもメリット、デメリット色々ありますが
今の日本にはたしてあっているか疑問です。それは校倉さんや
アーサーさんも指摘している通りです。
 陪審制にしても参審制にしてもそれを選ぶ基準や選考方法など
どのようにするんでしょう?それこそ国会と同じようにだらだらと
して本当に良い方法も見つからないまま与党の賛成多数で決定なん
て事になってしまうのでしょうか。
 
 余談ですが三田佳子さんの次男、保釈金500万円で釈放された
そうですね。何故二度もあやまちを犯した人をお金で釈放なんて
事をしちゃうんでしょう。そんな事して本人のためになるのかな?
親がお金持ちというのはいいですね。自分にはただの親バカとしか
思えませんが・・・

Re: 陪審制あれこれ まとば  2001/01/21 (日) 18:07
以前、映画で見たのですが12人の陪審員を選ぶのに、弁護人と検察側が激しくやりとりして候補者名簿の中から利害関係者を削る場面がありました。多分、日本でも昔は同じ様なことを一応やっていたのでは? そういえば一昨日の新聞に最高裁も参審制で行く方針に決定したとか出てましたね。