随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−110
「感じるとき、考えるとき、味わうとき」、人は意識しているかいないかにかかわらず、非常に孤独な状態である。
それは理性を持った動物のどうにもならない原始的な状態である。
「この感じは他人にもわかるのだろうか、この考えは他人にも通用するのだろうか、この味わいは自分だけのものではないだろうか?」
人は常に他人と自分の意識を峻別する。
その峻別の渦中に、孤独を痛感する人もあれば、共感を痛感する人もある。
そこから哲学に向かう人が現れ、宗教に身を投ずる人が現れる。
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この世に不思議は存在しない。
この世に神は存在しない。
この世に不思議を求めるのは、人間の怠惰な心である。
この世に神を求めるのは、人間の怯懦な心である。
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−−或る愚かな男が、おのれの心の中で言った。
「神は存在しない」と。
これは、時によっては、終焉と死との兆候であり、時によっては、始めと生との兆候である。
神が存在しないことを感じた瞬間に、人間は、突如として、悪夢の如き恐怖と、この地上における人間存在の奇怪なる狂気とを悟るはずである。また、それを悟った瞬間に、人間は、たとえ窮極的な認識にまでは至らないにしても、窮極の一つ手前の認識に至る道に向かって、目を覚ますはずである。
ニーチェ、スピノーザ、パスカル、ルーテル、聖アウグスチヌスには、いや、使徒パウロにさえも、実はそのようなことがあったのではないであろうか?
レフ・シェストフ 『死の哲学 二 天啓』
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人間は「夢」を追う動物である。
しかし、その夢は孤独の中にしか存在しない。
人間に生まれてきたための孤独感、それはほとんど絶望的な孤独感である。
しかし、この孤独感を徹底的に問いつめることしか、人生の真の意味はない。
「夢」は、私の中にあるたとえようもない「孤独感」の結晶である。
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コミュニケーション・ツールとして、今もっとも注目されているのが、「携帯電話」である。
日本の携帯電話は「PDC方式」、「PHS方式」が一般的だが、21世紀に入って、IMT−2000に準拠した「W−CDMA方式」のサービスが始まった。
やがて、自分のポケットにある100グラムの携帯電話が、そのまま世界中で使えるようになる。
そして、携帯電話の究極は、携帯コンピュータである。
やがて、あらゆる言語が同時翻訳できる万能携帯電話が登場してくるだろう。
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哲学を深く知ろうとすると、いやおうなく言語の壁に突き当たる。
過去の哲人たちの世界観は、やはり彼らの話していた言語に深く密着している。
プラトンも、パスカルも、そしてニーチェも。
私は、その人の世界観はその人の言語に深く依存していることを認める。
何ヶ国語も操る言語の達人に出会うと、心底羨ましく思う。
その人の世界観の豊饒さが羨ましいのだ。
私は、決して言語の達人ではない。
日本語とその多少の方言、10歳レベルの英語、7歳レベルの中国語がやっと話せる程度だ。
それでも、他人を、他国を理解する唯一の方法は、その人、その国の言語を理解することだ、と信じている。
言語を学ぶのに王道はない。
山登りのように、自分の足で一歩一歩確かめながら登り続ける他はないのだ。
決して、技術や武力や援助物資で、他国を理解できるなどと思わないこと。
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