随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−109
私が現在の自分に対して何よりも誇れるのは、思考することの自由な自分である。
これほど規則や習慣や法律などで不自由な世界にあって、思考することの自由は何ものにも換えがたい天の恵みである。
肉体的にも精神的にも決して自由とは言いがたい日常にあって、私はなおかつ思考することの自由を胸いっぱい深呼吸したい。
ただ呼吸するのに自覚はいらない。しかし、深呼吸するには自覚が必要だ。
私の思考は、私の人生の深呼吸である。
★
☆
私は寝付けないとき、輾転反側し長時間ベッドで思考していることがある。
そんな深夜十二時過ぎ、突如救急車のサイレンが枕元に近づいてくる。
私の住居の近くに赤十字総合病院があるのだ。
しかし、私にはその救急車が実際に私のところにやってくるような錯覚に陥る。
かくして私の意識は臨終の時をむかえるのではないか、と。
★
☆
この世に単独なものは何一つない。
すべては関係されたものである。
この世に唯一善いものなどない。
すべては比較されたものである。
聖なるもの、善なるもの、すべて幻想である。
★
☆
殉教も聖戦も、宗教の一面である。
宗教は偏狭な心を強制する。
この世に唯一善いものなどない。
★
☆
プラトンの「洞窟の比喩」は、現実と幻影、そして現実と科学について改めて考えさせられる。
洞窟に閉じこめられた囚人は、自分の本当の姿を知らず、壁に映った人影を現実の自分だと信じこむ。
同じように、科学者は現実の事象を説明するために仮説あるいは理論を提示する。
その仮説をあまりに信じこむようになると、洞窟の囚人のように現実の姿を見誤ってしまう。
−−科学者は、提示できないことに関して慎重であらねばならない。クォークは陽子や中性子やその他の粒子の奥深くに存在すると言われている仮説的存在であり、反事実的である。孤立したクォークが発見されたことはなく、またほとんどの理論においてクォークが孤立することは不可能であるという。もし陽子が分裂するのであれば、クォークはそのときできるものである。だが陽子は分裂しない……仮定されているクォークの性質は、我々がまだ理解していない簡明な現実を人工的に複雑にしているのではないだろうかと考える人たちもいる。たぶんいつの日か、だれかが本当はどうなっているのかを見いだし、現在の物理学者がこの現実の不自然な記述になってしまっていることを我々は悟るのだろう……答えは天国にあるのではない、我々の頭の中にある。
ウィリアム・パウンストーン 『理由の迷路』
★
☆
「この世界のおよそすべての人間は自尊心(プライド)をもっている。
自分が生まれ落ちたこの世界を評価する方法はさまざまだが、自分がこの世界で劣った存在のグループであることを認めるには、なによりも自尊心が許せない。
この世界に生まれ落ちたからには、自分はそれなりに存在価値があるはずだ、たとえ貧者弱者のグループであろうと。」
多くのことを見聞きし、多くのことを疑い、そうして形成された私の頑迷な精神は、習慣よりも経済よりも物理よりも、あるいは真実よりも「自尊心」こそ人間が最も重要視する確信ではないだろうか、と考える。
私は、「自尊心」を失った人間を、人間と認めたくはない。
「自尊心」は、人間を尊大にもし、偉大にもする。
あなたはまず自尊心の育て方を学ぶべきである。
次ページへ
前ページへ
目次へ