随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−106
私はときとして科学に異論を唱えたりするが、科学は本当に面白いと思っている。
なぜなら、自分がふだん常識だと考えている信念の反面を炙りだして見せてくれるからである。
たとえば、「量子論では、光の相補性すなわち粒子でもあり波動でもあるという二重性を正しいと見なしている」
ここで面白いのは、光は粒子でもあり波動でもあるが、同時に出現することはないということである。
いくら光を観測しても、粒子と波動が合成された事象を見ることは決してない。
いや、本当は粒子と波動が合成された姿しか見ていないのかもしれない。
そもそも粒子と波動をどうやって厳密に区別するのだろう。
科学は基本的に問題の立てかたを誤っているのではないだろうか。
人間はその不完全さゆえに、粒子と波動を厳密に定義することは出来ないのである。
また、有名な「シュレーディンガーの猫」のパラドックスも、観測されるまでは生死の確率50%の重ね合わせ状態だが、実際に観測したとき猫が半分死んで半分生きた状態などではありえない。
だが、そもそも生と死をどうやって厳密に区別するのだろうか。
目で確かめたことはすべて正しいと信ずる根拠はあるのだろうか。
人間はその不完全さゆえに、生と死を厳密に定義することは出来ないのである。
「予測する、観測する、決定する、確信する」…こうした行為において、科学が取り扱うのは、「予測する、観測する」ことだけである。
「決定する、確信する」ことは、信念あるいは哲学の問題である。
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「光虫(ひかりむし)」という不思議な生きものを紹介しよう。
光虫は、当然動く、運動エネルギーをその体内に持っているから。
光虫は、生涯飛びつづける運命的な速度が与えられている。
しかし、光虫は、止まることができない。
止まったときは、光虫が死ぬときである。
光虫は、生涯加速度(加速、減速)が与えられないという運命を持っている。
しかも、驚くべきことに光虫には体の重さというものがない。
どんなに精密な体重計に載っても、その重さは妖精と同じようにゼロなのである。
では、光虫は何のために存在するのか?
それは、エネルギーという美味しい蜜を運びつづけるためである。
光虫はこのように不思議な生きものだが、少しも珍しい生きものではない。
この宇宙で一番多く存在するのが、じつは光虫なのだから。
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二十一世紀の今日でも、光は謎に満ちている。
光に興味のある方は、当然「光の3原色」もご存知でしょう。
「赤(RED)」、「緑(GREEN)」、「青(BLUE)」の3原色の配合でその他のすべての色を表示できる。
TVやPCのディスプレイはこのRGB3原色の混合を応用して何万色という多彩な画像を表示している。
しかし、そもそもなぜ3原色で足りるのだろうか?
それは、人間の目が3原色の混合にしか反応できず、紫外線や赤外線を知覚できないからである。
他の動物や昆虫などでは、3原色ではもの足りなく感じることだろう。
じつは人間自身も発光している。しかし、それは身体の絶対温度に応じた赤外線である。
だから、蝙蝠や蜂は、人間が発光しているのが見えるのかもしれない。
何はともあれ、「光」という最も身近なものが実は最も理解しがたい、というのが科学の最大のパラドックスではないだろうか。
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