随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−97
私が今一番ほしい物−−電源を入れたらすぐに使えるパソコン。
高性能のパソコンほど、もったいぶって起動までにやたらと時間がかかる。
ただの道具のくせに、人間の仕事を長々と待たせるとは失敬なやつだ。
テレビのように洗濯機のように、電源を入れたらすぐに使えるようにならないものか。
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ある中年の酔っ払いがからんできて、愚痴をならべた。
「俺はさ、カント様やヘーゲル様といった大哲学者のくどくどとしたお説教を聴きたいわけじゃないんだ。そんな何百年も前に死んで、墓に苔が生えているような哲学なぞどうでもいいんだよ。俺はさ、今生きているあんたの哲学を聴きたいんだ。図々しく悩ましく生きている、のっぴきならないあんたの哲学ってやつを、さ…」
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端的に言って、「悪魔は喜劇である。神は悲劇である。」
喜劇と同様に悲劇もまた人間の生まれ持った属性である。
子供は喜劇に近く悪魔的である。老人は悲劇に近く神的である。
人間以外にこの二つの属性を持つものは存在しない。
牛や馬の歴史を書いてみても、喜劇も悲劇も出てこない。
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姿なき狡猾な魔物、それが戦争というものである。
その狡猾な魔物は、まず何よりも人間の過敏な自尊心に語りかける。
「祖国の危機である。民族の苦難である。敵に蔑まれて恥ずかしくはないのか?」
魔物に唆された人間は、たちまちパラノイア、キツネつき、誇大妄想、自己犠牲の鬼神に変身する。
見たこともない敵に対してひたすら独り善がりの憎悪を膨張させる。
戦争をする当事者にとって、敵は決まって攻撃をしかけてくる相手である。
敵対する相手を理解することは、最も扱いが困難な武器である。
敵対する相手を憎悪することは,最も扱いが簡単な武器である。
人類はつねに扱いが簡単な武器を選択してきた。
それが実は、姿なき魔物の思うつぼだとは考慮もせず。
戦争当事者は、戦前戦後もつねに加害者か被害者かという二者択一で歴史を語りたがる。
だが、そこに姿なき魔物が大きく介在していることを気づこうともしない。
生身の人間に押し付けられる戦争責任や永久戦犯は、姿なき魔物の隠れ蓑である。
戦争とは、飽くことなき魔物の祭壇に、おびただしい英霊のドクロを捧げることである。
勝者も敗者も、手にするのは幸福ではなく、おぞましくも無価値なドクロのみである。
次の文章を読み、虚しいと思わず、いくつのドクロが魔物の祭壇に捧げられたか、答えてみてください。
−−事件がおきたのは東アチェ県にあるヤシ油の大規模農場。ジャワ島からの移住者に交じってアチェ人が働いている。8日未明、自由アチェ運動(GAM)のゲリラが、農場内の国軍の詰め所を襲い、20人以上の兵士を殺して逃げた。これに対して翌朝、同県の中心地ランサからトラック2台の国軍兵士が送り込まれた。兵士らは農場内でアチェ人だけを探し出し、50人の男性が上着を脱いで一列に並ばされた。中には2歳半の幼児がいた。女性とほかの子供は約20メートル離れたところに並ばされた。兵士の隊長は「ゲリラの居所を知っているか」と尋ねた。男性らが「知らない」と答えると、「悪いが報復しないといけない」と、一斉に乱射を始めた。30人以上がその場で殺され、多くが重傷を負った。男性一人が逃げ延びたという。
2001年8月15日 朝日新聞夕刊より
姿なき狡猾な魔物、それは昔も今も人間の精神に否定しがたく巣食っている。
その魔物は、人間同士が流す生き血が大好きなのだ。
その結果、人類の歴史はおよそ理想や博愛や平和から程遠い事実ばかり刻みつけてきた。いや、今も相変らず刻み続けている。
ペシミストのショーペンハウアーはこれを称して、「この世界は考えうる最悪の世界だ」と言ったのではないだろうか。
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