随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−91
創造と破壊は世の常である。
ヒンドゥー教のシヴァ神は、宇宙の創造神ヴィシュヌの化身であり、カリ・ユガの末に人間が堕落しきったとき、すべてを破棄して宇宙を混沌にもどすと予言している。
2001年3月、アフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバーンは、偶像崇拝を禁じるイスラムの掟に従って、バーミヤンの東西ふたつの大仏を爆破した。
アフガニスタンのこの地に大仏を崇拝する仏教徒はひとりもいない。
誰も崇拝しない石像をタリバーンは偶像崇拝の名目で葬り去った。
バーミヤン大仏は西暦400年ごろシルクロードの要衝の地に仏教が栄えた証であり、1600年後の今日ではむしろユネスコの世界遺産として最大の観光資源であった。
高さ55メートルの西大仏は徹底的に破壊され、その岩壁にはアラビア文字で「いまや真理は下り、虚偽は消え去った」とコーランの一節が殴り書きされていたという。
人間は自分の宗教を真理と確信すればするほど、他の宗教を虚偽と決めつけ、その偶像破壊に狂ったように熱中するものである。
世界のどんな宗教も、この自己陶酔的な愚行に手を染めなかったものはない。
しかし、熱心な信者は自らもやはり偶像崇拝に陥っていることをどれだけ自覚しているのだろうか。
端的な話、イスラム教徒もモスクや戒律やコーランといった偶像崇拝を行っているのである。
たとえば、日本の福井県の小さな町で、聖典コーランが無残に引き裂かれているのを発見したときの彼らの驚きと怒りは、とうてい日本の大勢の仏教徒には理解できなかった。
コーランを崇拝しない者にとって、それは古ぼけた雑誌が破り捨てられてあったのと大差はないのである。
人間は、自らの真理の名のもとに破壊すればするほど、自らの真理を汚してゆくのである。
怒れるイスラム教徒は、この辛辣な偶像破壊を真剣に捉えるだけの裁量が果たしてあるのだろうか。
「人間は必ず堕落する」、これがシヴァ神の予言のすべてである。
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ショートストーリー『人類最後の悲劇』
核戦争が繰り返され、地球がまだ元の軌道上を回っているのが不思議だった。
人類殲滅のハルマゲドン(最終戦争)を生き抜いた唯一の男がいた。
孤独な彼は、インターネットを使って必死に他の生存者を探した。
ほとんど破壊しつくされたインターネットのなかで、幸運にも一通のEメールがとどいた。
唯一生き残った女からだった。
彼はすぐに自分の居場所を告げ、会いたいと返信した。
これで人類滅亡は回避された、と彼は狂喜した。
一週間後、待ち焦がれた女が彼のもとを訪れた。
若い女だった。ただ、彼とは人種が違っていた。
彼は、喜びのあまり、両手で初対面の彼女を抱きしめた。
同時に爆弾が炸裂し、人類最後の男女は粉々に吹き飛んだ。
女の計画的な自爆テロだった。
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−−こういうわけで、もしキリストの誓いがなかったら、人間は互いに仲間同士滅ぼしあって、地上に最後のふたりしか残らなくなるだろう。このふたりさえも傲慢な性情のために、互いに助けあうことができず、最後のひとりが相手のものを滅ぼして、ついには自分自身をも滅ぼさなければやまないだろう。
ドストエフスキー 『カラマーゾフの兄弟 第6編』
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有限な自分を思い知るほどに、つぎのようなことを自嘲的に脅迫的に考えることがある。
「人間の手垢で汚れた自然観。
人間の精神に捻じ曲げられた世界観。
この宇宙のあらゆる名前は、人間の手垢に汚れ、精神に捻じ曲げられ、元の姿とは似ても似つかないものになっているのではないか。
自然をその強欲に汚れた手で測るのはもう止めたほうがいい。
世界をその傲慢に満ちた目で眺めるのはもう止めたほうがいい。
その結果は、人間存在の卑小さを暴露するだけだ。」
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