随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−90
水戸市の中心に、市民の憩いの場である千波湖公園が広がっている。
水戸藩の烈公徳川斉昭が偕楽園を造ったのは、千波の水景が目の前にあって、「山水双宜の佳景」を一望できるからであった。
往時千波湖は東西幅2730メートル、南北幅650メートルもあったといわれるが、明治以降の干拓によって、その湖面は半分以下の広さになってしまった。
それでも季節の渡り鳥が多く飛来し、白鳥や黒鳥や鵞鳥などの留め鳥が棲息している。
季節を問わず、休日に千波湖周辺をゆっくりと散策するのが私の一番の楽しみである。
千波湖の住人のなかで、白鳥よりも黒鳥のほうが私には上品に見える。
嘴が紅く、黒くて長い首をすくっと立てて湖面を渡る姿は完璧な芸術品である。
ある日、その気品あふれた黒鳥の一羽が、ひどく卑屈そうに首を垂れて歩道をよたよた歩いているのを見かけた。
上品に首を伸ばした黒鳥の姿と、卑屈に首を垂れた黒鳥の姿の落差は、見るも痛ましいほどだった。
千波湖の釣り人のすてた釣り針と糸が嘴にからまって、満足に餌もとれずに苦しんでいたのだ。
公園の管理人のひとりがそれに気づいて、すぐに黒鳥の後を追いかけた。
翌日、千波湖に行ったとき、嘴に釣り針をひっかけた黒鳥の姿は見当たらなかったので、管理人がどうやら黒鳥の危急を救うことに成功したようだ。
釣り人は、千波湖で釣れた魚など食べもしないだろう。単なる楽しみのためだけに釣りをするのなら、よその川や海でやってもらいたい。
もしも現代に「生類憐みの令」が許されるなら、私は千波湖での釣りを全面的に禁止する。
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☆
私は、自ら徹底した現実主義者だと思っている。
もちろん、「現実主義」という言葉もいざ厳密に説明しようとすると、蜃気楼のように捉えどころのない概念であることを知っている。
「理想主義」の反対が「現実主義」であると説明しても、どこか説得力に欠ける。
それでも、決して「権威」を盲信しないこと、これが現実主義者である私の基本的な信条である。
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☆
人間存在を本当に悲観的にとらえるのはとても勇気が要る。
人間は究極的に自分をどうにもならない悲観的な生き物だと見なすことはしないからだ。
ほとんどの人間は、他の生き物を心底憐れみ、ありとあらゆる生き物の中で自分が一番高等な存在だと思い込んでいる。
これは単なる人間の自惚れというより、実は人間が自分を悲観的存在と見なさないための究極的な安全弁の役割をしているのだ。
人間精神を本当に懐疑的にとらえるのはとても根気が要る。
人間は究極的に自分をどうにもならない疑わしい生き物だと見なすことはしないからだ。
人間は自分を疑うことはあっても、切羽つまるとイエス・ノーの判断をいったん停止する知恵を身につけている。
これは単なる人間の狡さというより、実は人間が自分を否定的存在と見なさないための究極的な安全弁の役割をしているのだ。
人間の身体はライオンや象よりも弱い。だが、悲観的になる必要はない。
人間の精神は間違ったり狂ったりする。だが、懐疑的になる必要はない。
人間は悲観的存在を免れるために、正義や名誉や歴史や神さえも作り出したのではないだろうか。
神の正義を持ち出したがる人間は、その存在の根底にどんな激しい苦悩が逆巻いているのだろう。
人間は懐疑的精神を免れるために、無関心や無感動や無感動や狂気さえも考え出したのではないだろうか。
狂人のふりをするしたがる人間は、その精神の根底にどんな暗い葛藤が渦巻いているのだろう。
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