随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−88
神をどの位置に置くかによって、その人の宗教観がわかる。
その位置は人それぞれに無数の段階があるのだろうが、今は端的に三つに絞ってみよう。
ある人は神を手の届きそうな位置に置き(A)、ある人は決して手の届かない高みに置き(B)、ある人は絶対的に断絶しているから神をどこにも置かない(C)、という。
新興宗教の教祖はたいていAの立場であり、その教義は通俗的で独善的である。生きたまま神になれると思い込むほどに低級な宗教観である。
一神教はたいていBの立場であり、その教義は脱俗的で強制的である。生身のままでは神になれないが、死ねば聖者や守護神になれると思い込む来世志向の宗教観である。
懐疑主義者はたいていCの立場であり、人間を超越した存在を考えることに意義を認めない。生きているうちも死んでからも神になることはないと信じている。
人間の限界から決して目をそらすことができない私は、たぶんCの立場である。
「人間は、他人を救うことはできても、自分を救うことはついにできない」、これが私の率直な宗教観である。
★
☆
人間の精神は有史以来ずっと「奴隷制度」を存続させてきたのではないだろうか。
自らの魂をすべて主人である神に委ねて安心する人がいる。
自らの魂を主人の言いなりにさせるのは自由の放棄だと反抗する人がいる。
見えない主人のために自らの生命さえささげる人がいる。
見えない主人に生命をささげるのは俗悪な虚栄心にすぎないと見なす人がいる。
神の存在を考えると、人間の有限な精神が高揚されると考える人がいる。
神の存在を考えると、人間の有限な精神に対する侮辱だと考える人がいる。
人間の社会にさまざまな階級制度があることは否定できない。
しかし、本来人間の精神はあらゆる「奴隷制度」から自由なはずだ。
人間の肉体を滅ぼすことはできても、精神を滅ぼすことはできないからである。
なかには、人間精神の主人や奴隷の区別を認めない人がいてもいいはずだ。
その人は、ただ自然の摂理に従って生き、死んでゆく。
それで決して後悔はしないのである。
★
☆
自分の命を長らえるために、別な命を犠牲にすることは、ごくあたりまえの自然の掟なのだろうか。
地上に命を与えられたものが生き長らえることは、熾烈な生存競争以外にありえないのだろうか。
もしも人生がことごとく生存競争ならば、七十年、八十年と長生きすればするほど、その生き様は呪われた人生と化すのではないだろうか。
はたして誰がこの呪いを解くことができるのだろうか。
もっと根源的に、生き長らえるためにはなぜ食べ物が必要なのだろうか。
もしも、生き物が水や空気だけでその命を長らえることが可能ならば…。
だが、しょせんそれは超俗的な菩薩が宿る夢物語に過ぎないのかもしれない。
世界一の長寿国に生まれた我が身をつくづくと省みる。
★
☆
インターネットやイントラネット上では、セキュリティを最優先した暗号データが頻繁にやりとりされている。
換字と転置を組み合わせたDES方式暗号や、因数分解を利用したRSA方式暗号などが有名である。
人間が作り出すものだから、決して解読できない完璧な暗号などは存在しないが、少なくとも最速のスーパー・コンピュータで1000年かかっても解読できない強度をもった暗号は存在する。
ただし、暗号はいつか解読されることを意図して作られる。
だからついに解読されない暗号は、ただのいたずら書きである。
暗号を作り出すのはた易しい。しかし、暗号を解くのは限りなく難しい。
あたかも、他人の世界観を理解するのは、暗号を解読するくらい難しいのと同様に。
他人がどんなルールを暗号に適用したか探り出すのに膨大な時間がかかるからである。
結局、多くの人々は、暗号に満ちた他人の世界観をほとんど理解せず、そんなものが存在することにも気づかず、一生を安穏と過ごすのかもしれない。
「人ひとり死すごとに、ひとつの暗号世界が滅んでゆく…」
じつは私も、『マイ・パンセ』の「では数学の問題」のなかに暗号文を載せてあるので、時間のある方はぜひとも解読にチャレンジしてみてください。
(ヒントは50音とパイです。)
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