随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−87
「不完全性定理」を唱えたゲーデルは、数学では厳密な論理主義者だったが、実生活では相当人間離れしていたという。
だから、晩年のゲーデルは、「神の存在論的証明」に取り組み、自らその証明に成功したと信じたのである。
しかし、論理的に証明された神は、少しもゲーデルの精神的な救いとはならなかった。
−−クルト・ゲーデルは、一九七八年一月十四日、七十一歳で生涯を閉じた。死亡診断書に記載された死因は、「人格障害による栄養失調および飢餓衰弱」である。身長五フィート七インチ(約百七十センチメートル)に対して、死亡時の体重は六十五ポンド(約三十キログラム)にすぎなかった。死の直前のゲーデルは、誰かに毒殺されるという強迫観念に支配された。そのため、食事を摂取できなくなり、医師の治療も拒否して、自らを餓死に追い込んだのである。彼は、椅子に座ったまま、胎児のような姿勢で亡くなっていた。
高橋昌一郎 『ゲーデルの哲学』
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私は若い頃、禅宗の坊さんになりたいと思ったことがある。
しかし、私の頭の形はひどく不恰好だったので、坊主頭はとても見られたものじゃないだろうなと不安になった。
性格が不恰好なら矯正しようもあるだろうが、頭の形が不恰好なのは生まれつきであり、自分の力ではいかんともしがたいのだ。
あるいは、出家するのに形にこだわってどうする、と叱られるかもしれない。
しかし、人間が形にこだわって生きていることも事実である。
「色即是空」といいながら、徹底的に「色」にこだわっているのも偽らざる人間の本性なのである。
結局、私は禅宗の坊さんにならず、コンピュータ技師の道を選んだ。
ある意味で、経文という形よりも、プログラムという形を選択したのである。
もしも、私の頭の形がもう少し美しかったなら、私は本当に坊さんになっていただろう。
あなたは笑うだろうか。
だが、人間の運命はそんな些細な、しかし決して無視できない形によって大きく変わってしまうものなのかもしれない。
あなたは自分の憧れる形を無意識に選んで、運命を大きく変えてしまったことはないだろうか。
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形といえば、漢字ほどシンメトリックで見た目の安定性を重んじた文字は世界中にも類を見ない。
漢字は、表意文字であるよりも、まず視覚的な美しさを追求した文字のように思われる。
シンメトリックな漢字の形の美しさは、とても実用一辺倒の表音文字の比ではない。
「口」、「目」、「木」、「草」、「門」、「本」、「画」、「量」、「薬」、「来」、「合」、「器」、「曲」、「森」、「山」、「里」、「東」、「西」、「南」、「北」、「空」、「光」、「人」、「天」
探せば、まだ十や二十の美しい対称性をもった漢字がたやすく見つかるだろう。
もちろんそれらは意味も重要であるが、見た目の美しさもまた重要なのである。
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形といえば、哲学や思想も体系という形を持っている。
しかし、見た目が美しく形が整っている体系が一番優れているというわけではない。
哲学者の生み出す思想は、哲学者のその時の精神状態や生活環境に大きく依存している。
当然ながら、哲学者はただ石像のように思索しつづけているわけではない。
不連続で非論理的で直観的なひらめきなどに頼ったりしながら、他人よりも多く考えているのである。
しかも、その思想は決して理路整然とした一本道ではない。
むしろ、首尾一貫してきちんと整った思想体系は、どこか非人間的で無機質である。
デカルトやカントの思想は、形が整いすぎていて、かえって人間的魅力に欠ける。
私はそういう思想をあまり有り難いとは思わないのである。
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