随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−67
世の中で事件が起こるたびに、警察の捜査はいつも後手後手に回り、取り返しのつかない段階になってはじめて、警察は捜査のずさんさを自白する。
最近の警察はおそまつである。しかし、しょせん警察の捜査も有限なのだ。
事件が起こる前に予測したり、犯人を確実に割り出したりできるほど絶対ではない。
そろそろ人は、警察が司法の絶対の権力ではないことに気づくべきである。
たとえシャーロック・ホームズが百万人いたところで、この世に未解決の事件は起こるのである。
私は、この世に氾濫している推理小説のようにトリックを使った犯罪よりも、全くトリックを使わない犯罪のほうが、はるかに捜査は難しいと思っている。
つまり、警察に捜査させる気を起こさせない犯罪が、じつは完全犯罪なのである。
そして、この世で起こる犯罪のほとんどは、トリックなしである。
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☆
20世紀は疑いようがなく科学の世紀であった。
20世紀の戦死者は、1世紀から19世紀までの全戦死者を上回るという。
19世紀までは、一発の大砲で何万人もの戦死者を生み出すことはできなかった。
しかし、20世紀の科学兵器は100万人単位で人類を滅ぼす恐るべき怪獣となった。
あるいは、20世紀は人類の思慮を超えた恐るべき人口淘汰の世紀であったのかも知れない。
20世紀を生き延びて21世紀を目の当たりにするあなたは、いかなる幸運の持ち主であろうか。あるいは、いかなる不幸の目撃者であろうか。
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20世紀を締めくくるような、何か重要な思惟に取り組んでみたいと思う。
たとえば、「期限つきの平和、期限なしの戦争、永遠の悲鳴…」など。
しかし、世紀の節目はあっても、思惟の節目などありはしない。
私が、20世紀の半ばに生まれ、今21世紀に立ち向かおうとしていることに、いかなる思惟の根拠もありえないのである。
人が時間の節目と考えるのはただ観念の世界である。
しかし生物としての人の時間に、明確な切れ目などありえない。
私に言えることは、「21世紀になってもやはり、汝自身を知れ!」
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孤独を慰めるため、現代にはTVやラジオや新聞、パソコンやインターネットや携帯電話がある。
しかし、100年前、200年前の人々はどうやって孤独を慰めていたのだろうか。
あなたは、全く電気を使えない世界で、生活してみたことはあるだろうか。
私は、少なくとも電気のない生活を体験したことがある。
TVや携帯電話に頼っているあなたは、果たして電気のない生活に耐えられるだろうか。
あなたの孤独は、電気の恩恵でたちまち解消するような底の浅いものなのだろうか。
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人生の真剣な問いに対して、明確な答えは何一つ返ってこない。
この世の真理は、何一つ手に入らない。
男という凡夫は、女好きになって、女嫌いになって、人間好きになって、人間嫌いになって、結局何一つ悟らぬまま、老いさらばえてくたばるのが関の山。
この世で悟るのは、「ただ生きていられるなら、人生に何一つ真理は要らない」ということだ。
若いあなたは理解できないだろうが、老いたあなたはいやおうなく理解するだろう。
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