随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−61
ガシャーン!、円い皿はみごとに潔く壊れる。
四角い紙のゴモゴモした執念深さをあざ笑うように。
おまえは不屈の厚紙、わたしは脆弱な陶器…。
どれも人生はみな平等なんて、嘘っぱちだ。
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☆
私は今、自分が孤独であることを知っている。
日常生きていく上で、自分のことはとりあえず自分で処理できている。
また、できるだけ他人の世話にならず自分の力で生きたいと思っている。
それが私の基本的な処世術である。
どんな処世術を持っているかによって、その人の90%が分かる。
処世術はまた自分が張り巡らす障壁である。
障壁は他人の温かい体温を決然と遮ってしまう。
周囲にいる誰にも干渉されないから、いよいよ孤独を自覚する。
勤務から解放された土日に、ときとして誰一人とも言葉を交わさないことがある。
他人と話したいという欲求が起きない限り、ことさら電話もしない。
孤独であると、人は二つの行動パターンをとるようだ。
自分を全く省みないか、あるいは自分のことに徹底的に集中するパターンである。
趣味や娯楽に没頭するのが前者のパターンである。
私が哲学について思索を始めるのは後者のパターンのときである。
孤独な時間を多く持つ人ほど、よく哲学に親しむ。
といって、哲学している時間が幸福なのではない。
哲学はまったく精神の安らぎを保証してはくれない。
あるいは日常の倦怠から逃れるために、哲学しているのかもしれない。
四六時中いつも思索に熱中しているわけでもない。
しかし、なぜ自分がこんなにも孤独なのかは、いつも意識している。
個人としての自分が背負った宿命であるとさえ思っている。
家族や親友があってもなくても、人は宿命的に孤独である。
「宿業体系」にたどり着いた私は、この宿命的な孤独を癒すすべを知らない。
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☆
変わり映えしない日常の倦怠に捕らえられた精神は、まさしく籠の鳥だ。
若いときはそれでも未来を夢想し、遠方に憧憬を抱くことができた。
しかし、歳とともに夢想の羽ばたきもめっきり少なくなった。
籠の鳥は羽ばたくことを知っているが、自由な大空があることを知らない。
狭い籠の中であっても、無茶をしなければ安楽に暮らせる。
退屈であるが、飢えて死ぬことなど考えもつかない
そして、籠の鳥という運命に甘んじて短い一生を終える。
精神にとって、不自由な籠とはいったいなにか?
それは、社会や法律や習慣、または宗教などである。
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人間は死すべき存在である。誰も永遠には生きられない。
これは人間にとって何という精神的拷問であろうか。
人間は、苦しみから逃れようとすれば倦怠にとりつかれ、倦怠から逃げようとすれば苦しみにとりつかれる。
倦怠もまた何という精神的拷問であろうか。
人間にとって、この世は決して安楽な仕組みにはできていないのだ。
全く、フランクフルトの賢者、辛辣なショーペンハウアーの指摘には逆らえない。
ショーペンハウアーを理解しない者は、結局人生の片面しか見ていないのだ。
倦怠に苦しめられるまで、それほどまで人生に徹底して関与してみることだ。
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