随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−60
現代宇宙論では、「人間原理」と呼ばれるものがある。
宇宙はあらゆる必然性によって、人間を生み出すように進化しているとする考え方である。
宇宙にはその存在を讃美してくれる詩人がぜひとも必要なのである。
私はなんとなく旧約聖書で、エホバを讃美するダビデ王を連想してしまう。
たとえ人間が存在しなくても、宇宙は存在する。あるいは存在した。
少なくとも宇宙は100億年以上前に誕生し、太陽系が誕生したのはそれから50億年後であり、さらに地球上に人間が誕生したのはそれから40数億年後であるという。
その間、90数億年以上という膨大な歳月、本質的に宇宙は存在しないに等しかった。
かりに、恐竜が滅亡した6500万年前に、同時に地球が破壊されてしまったなら、「人間原理」は意味をなさなくなる。
宇宙は冷たい無知の闇のなかに横たわっているだけだ。
知的生命体の誰にも承認されない宇宙とはそもそも何なのか?
目を持たないミミズだけが存在する宇宙は、本当に存在しているといえるのだろうか?
これが「人間原理」の確固たる哲学的基盤である。
悲しいことに、私の哲学も人間原理を認めているのである。
★
☆
−−ぼくたちが知っている物理定数を持つような宇宙では、なるほど、星のまわりに惑星系があり、地球があり、明らかに人類が誕生している。では、なぜ宇宙がその物理定数を選択しているかということの意義を見つけようとすれば、それは宇宙が、人間が存在し得るように進化したいが故にそうした値を調律した、というのが、これまでの人間原理であった。しかしぼくは、宇宙の進化の一つの必然的な過程として、完璧な<水惑星>が実に見事にでき、そこには必ず生命が誕生するという、より積極的な意味で人間原理を確認すべきだと思うのである。しかも、この宇宙にはぼくたちだけが唯一存在するのではなく、人類などありふれたものと考えることすらできるのである。
松井孝典 『地球・宇宙・そして人間』
★
☆
つい最近、日本の旧石器文化を捏造した考古学者が自らの嘘を認めた。
かれは、そのめざましい遺跡発掘の業績から、「ゴットハンド(神の手)」と呼ばれていたという。
神は存在する…考古学の中に、歴史の中に、学問の中に、人間の嘘の中に。
だが皮肉なことに、あらゆる宗教の中で、神は不在である。
★
☆
究極的に、生命と物質は区別がつかなくなるという意見がある。
それは、科学が進歩するにつれて生と死の区別がますます曖昧になりつつあるからだ。
脳死の人間はどこまでが生命体で、どこから物質なのだろうか。
しかし、非科学者である私は、生命と物質はきちんと区別できると思っている。
たとえ話だが、右手に生きている鳩、左手に木製の鳩のデコイ(おとり)を持っているとしよう。見た目にはその両者はそっくりである。
だが、いったん両手を同時に開くと、生命と物質の区別がつくのではないか。
木製のデコイはまっすぐ地面に落下する。
生きている鳩もまっすぐ地面に落下することがあるかもしれないが、いずれはきっと羽ばたいて飛び去るに違いない。
★
☆
−−しかし自然のほんとうの姿は、永久に分からないものであり、また自然界を支配している法則も、そういうものが外界のどこかに隠れていて、それを人間が掘り当てるというような性質のものではない、という立場をとれば、これがほんとうの自然の姿なのである。自然現象は非常に複雑なものであって、人間の力でその全体をつかむことはできない。ただその複雑なものの中から、科学の思考形式にかなった面を抜き出したものが、法則である。
中谷宇吉郎 『科学の方法』
次ページへ
前ページへ
目次へ