随想録『パラボラ・アンテナ』


★P−55

一神教の本を読むと決まって似たような言葉に出会う。
たとえば、「神を持たない者は、地面から抜かれた花のようなもの。花がしおれるのは絶対者のせいではなく、絶対的な根なし草になったから。」という言葉がある。
しかし、私は反論して言う、「神を持つ者は、地面にはびこる雑草のようなもの。神の名を口にしながら自分の領地を広げるために争ってばかり。」


−−人びとは神にだんだんと、とりわけスコラ哲学の時代およびそれ以降、ありとあらゆる品質の衣服を着せかけてきたが、啓蒙思想は神からふたたび衣服を脱がせることを強い、一枚また一枚と剥ぎ取らせてきた。そしてもし良心の咎めさえなければ、人びとは神を丸裸にしてしまいたいところだろう。だがかりにそうしてみたら、あるのは衣服だけで、そのなかは空っぽということがわかるかもしれない。
  A・ショーペンハウアー


この世に神は存在しない。この世に魔法が存在しないように。
神とは精神の魔法、言葉の魔術にすぎない。


−−知恵がない者は、象がぬかるみに足をとられるように、言葉という泥沼にはまりこんでしまうものだ。
   『ランカーヴァターラ・スートラ』


私は、宗教家のように世界をすみずみまで有りのまま知ることには何の興味も覚えない。
そんなものは、地獄の閻魔大王の帳面にでも記述しておけばいい。
私にとって必要なのは、与えられた世界の中で自分を変えることである。


私は、神の視点で世界や人類を見下ろしたがることこそ、もっとも根源的な精神病だと思っている。
精神病者は決まって現実を超越した何かを盲信しているものだ。
私はむしろ、現実を超越できないという現実を盲信している。


人の精神構造はじつに不均衡である。
しばしば人は、自分が他人に言ったことはすぐ忘れてしまうが、他人が自分に言ったことはよく覚えているものだ。
だから、自分が他人を侮辱したことはすぐ忘れてしまうが、他人に侮辱されたことは一生忘れない。


よく誤解されるが、ニヒリズムに苦しんでいる人は、決してニヒリストではない。
むしろ、ニヒリズムに苦しんだことがない人こそニヒリストなのである。
「ニヒリズムとは何か?最高の価値が無価値になること。何のためにへの答えが欠けている」と苦吟したニーチェは決してニヒリストなどではなかった。


懸案の情報処理試験が終わって、私はこの半年間精神的飢餓に陥っていたかのように、精神を発揚させてくれる本に読み耽っている。
たとえば、V・E・フランクルの『フランクル回想録20世紀を生きて』。
私の精神の中でも、20世紀と決着をつけて、早く21世紀に向かいたいという衝動が湧き起こっているのを感じる。


私の肉体は一体どうなってしまったのだろう?
突発性不眠症? 情報処理試験の前日からもう丸三日ろくに眠っていない。
ベッドに横たわるのだが、何時間経っても眠くならないのだ。
酒を飲んだり、満腹したりと、眠気を誘ってみるが一向に効き目がない。
私の脳が、私の肉体を支配して、眠らせまいと策を弄している。
脳が私の自由を束縛し、私を苦しめる。
やがて肉体は、横暴な脳に操られるロボットと化してしまうのだろうか。
不眠症に悩む私は、どこかで自分の脳を信用していない。

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