随想録『パラボラ・アンテナ』


★P−54

世界で最も短い小説 タイトル『地獄』
私は断言できる−−「人類が憎しみ合うことを止めないならば、地獄は文明の中にある」。


人は誰でも自らのうちに刃を帯びている。
怒りの手でその刃を抜くとき、地獄が現れる。
地獄は永遠に存在するのではない。
人の精神状況に応じて、その都度その歴史場面に出現するのである。


最大の二律背反−−「人は、他人を救うことはできても、自分を救うことができない」


華やかなオリンピックのニュースに混じって、世界の各地では毎日のように地域紛争や流血事件が起きている。
中世や古代には神の祭壇に多くの生贄がささげられた。
現代でもやはり、宗教や民族や国家の名の下に、おびただしい生贄がささげられている。
人間だけが生贄の習性をやめられない奇妙な生き物である。


私が模索し続けている思想は高尚なヒューマニズムではない。
むしろ、最も単純な思想である−−「どうすれば人が人を殺さずに済むのか?」
私は古今東西の多くの思想を知っている。
しかし、「どうすれば人が人を殺さずに済むのか?」ということに真剣に応えてくれる思想を未だに知らない。
あるいは、ホモ・サピエンスはまだそこまでの叡智を与えられていないのだろうか。
私は30歳代のある時期、こんなことを考えていたことがある。
「早く自分が50歳になればよい」、と。
もしも自国が戦争を始めても、50歳であれば徴兵されることはなく、直接人を殺さずに済むからだ。
30歳代で自国が戦争に巻き込まれたなら、あるいは兵役に採られる可能性は充分ある。
人が人を殺さずに済む思想を模索している私にとって、自らが戦場で直接人を殺すことは、自らの思想に対する裏切り行為となる。
幸い、私は直接自らの手で人を殺すことなく、間もなく50歳になる。
直接的には他人を殺していないが、間接的には生存競争、能力競争、経済競争などの理由で、見知らぬ大勢の人を殺して、ここまで生き延びて来たことになるのだろう。
それは、私が否応なく巻き込まれた現代文明の所為である。
こんな逃げ腰の思想を抱いている自分を恥ずかしく思う。
「どうすれば人が人を殺さずに済むのか?」
その思想への道のりは果てしなく遠い。


一つの抽象的な問い。
「ピラミッドは一体誰のものか?」
古代エジプトのファラオは、人民に生き甲斐を与えるために(農閑期の失業対策のために)、次々と巨大なピラミッドの建造を行ったといわれる。
しかしそれは、設計方法も、完成者も、運用方法も判らない空虚な建造物だった。人類が造った最も無駄な建造物である。
現代にもやはり、人々に生き甲斐を与えるために(ニヒリズムに陥らないために)、巨大なインターネットが必要である。
しかしそこでは、どんなユーザーも、IPアドレスも、商品も抽象化される空虚な市場である。
誰もがインターネットの運用に携わりながら、誰もそのシステムに責任を執らない。
人類が造った最も無責任な通信システムである。
インターネットのことをもっと良く知ること。
それが、地球規模のニヒリズムに過ぎないことを自覚すること。
そこには、いかなる価値も無意味と化すブラックホールが潜んでいる。
「インターネットは一体誰のものか?」

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