随想録『パラボラ・アンテナ』


★P−53

人は誰でも生まれながらに遺伝子を持っている。
しかし、その遺伝子を金儲けの錬金術に変えてしまったのが「ヒトゲノムの解読」である。
ヒトゲノムの解読は、究極的にスーパーコンピュータが達成したものだ。
今や、生物学はコンピュータ科学となり、二十一世紀の最も有望な錬金術なのである。
ゴールドラッシュは人を熱狂させる。人はリスクよりも利益を優先させる。
ヒトゲノムを操ることでもたらされる人類の禍よりも、莫大な利益に目がくらんだ科学者や投機家が二十一世紀を牛耳る。


−−「このまま技術が進歩すれば、人類の滅亡を招きかねない」。現代コンピュータ技術の立役者の一人である米国のビル・ジョイ氏がこう問題提起し、米国を中心に国際的な反響を呼んでいる。ジョイ氏は、遺伝子工学、ナノテクノロジー、ロボットの三分野(それぞれの頭文字をとってGNR)を挙げ、コンピュータの急速な進歩によって、人類を滅ぼしうる技術をだれもが手にできるようになる、と心配する。科学技術を無制限に発達させるのは危険で、知的な探究そのものや情報の流通を制限する必要があるという、大胆な提言をしている。(中略)
GNRは二十一世紀技術の主流と目される分野だ。ヒト遺伝子の解読で病気の新しい治療の道が開け、ロボットは人間にかわって働いてくれるなど、これらの新技術が大きな恩恵をもたらすのは間違いないとしたうえで、同時に新たな危険を生むことを認識する必要があるとジョイ氏はいう。三つの中で最も進んでいる遺伝子工学は、新しい生物兵器につながる危険をはらむ。人種による遺伝子の差が明らかになれば、たとえば特定の集団だけを狙った生物兵器が現れる恐れも現実のものとなる。ナノテクノロジーは、原子や分子を操って極微の機械をつくる新技術で、これを使えば新しい病原体を設計してつくるのも自在だ。(中略)
これらの技術を可能にするのが、二〇三〇年にはその能力が現在の百万倍になると予想されるコンピュータだ。今なら千年かかる計算が八時間で、一生がかりの計算が三十分でできるようになる。新技術の本質はコンピュータが扱う情報にある。何でもほしいものがあれば、コンピュータの中で設計できる。つまり、情報そのものが「兵器」になる。その結果、二十世紀の核兵器とは根本的に異なる状況が出現する、とジョイ氏はいう。核兵器の開発には国家レベルの大規模な施設と、ウランなどの特殊な原料も必要だった。しかしGNRはごく小規模に、場合によってはパソコンさえあれば開発できる。必要な情報はインターネットから自由に入手できる。いったん情報が広まったら、管理は不可能。テロリストや邪悪な意図を持った人間にも簡単に手に入る。
ジョイ氏は人類が置かれた状況を、「乗客全員がいつでも『墜落ボタン』を押せる状態で飛んでいるジェット機」になぞらえる。史上初めて、一人ひとりに種としての人類の運命を左右する力が与えられるのだ。二十世紀の物理学者は、核兵器の出現を防げなかった。「その失敗を繰り返さないよう、技術がもたらす結果をあらかじめ評価して、これ以上進むと危険だと判断したら、知の探究はそこでやめる、技術情報の公開にも一定の制限が必要」とジョイ氏は提案する。
これに対し、科学者や技術者の間からはさまざまな声が上がっている。ナノテクノロジーに取り組むノーベル化学賞受賞者のリチャード・スモーリー博士は「実際に物をつくるのは、頭で考えるのよりはるかに難しい」とジョイ氏のシナリオに疑問を投げかける。ワイアード誌七月号の反響特集には、「技術の問題は技術が解決してくれる」「人間性は最終的にはプラスに働く」といった楽観論から、「遺伝子工学はプルトニウム同様の管理が必要」「パンドラの箱は開き、もはや手遅れ」という慎重論や悲観論までが載った。
  2000年8月28日 朝日新聞朝刊「オピニオン」


正直言って、あなたは楽観論派? 悲観論派?

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