随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−46
未明の地震(7月21日午前3時39分、震度5弱)に飛び起きた。蒸し暑いため、クーラーの効く居間で寝ていたときだ。
薄闇のなかでアパート全体がぎしぎし揺らぎ、電話機やルーターやパソコンのディスプレイが激しく横揺れする。
しかし、棚から物が落下することはなく、我が家でとくに被害はなかった。
ただ、それっきり眠れなくなって、TVを点けた。さっそく、地震速報が流れる。
震源は茨城県沖、マグニチュードは6.1、道路や建物に被害はなく、津波の心配もないとわかって、ほっとした。
伊豆諸島では、ほぼ毎日のように震度5の地震が発生している。住民の不安と恐怖が今更のように身につまされる。
未明の地震は怖い。目が覚めたとたんに、建物ごと押しつぶされるかも知れない。
自分の生命と自由を一瞬にして奪われる圧死の恐怖がこみあげてくる。
自分が何も抵抗できず芋虫のように死んでゆくのは、考えるだけでもたまらないことだ。
5000人を越える犠牲者を出した5年前の淡路阪神大震災も明け方の恐怖だった。
毎年、世界中で何人もの人がこの恐怖を胸に秘めたまま災害で死んでいる。
誰もそれを客観的に理解する手だてを持っていない。
★
☆
私の宿業体系は、何も難しい論理を掲げてはいない。私が普段悩んでいることを、言葉にしただけなのだから。
私が悩んでいるのは、あなたと私との間で絶対確実なことが一つでも有るのだろうか、ということである。私は、それが有ることをどんなに希求してきたことだろう。
しかし、単独者であることを日々体験している私は、あなたと私との間で絶対確実なものが何一つない、ということを否応なく見せつけられている。
絶対確実なものがなく、あなたと私の隙間を埋めているのは、あなたはあなたの価値をひいきし、私はわたしの価値をひいきするという「偏見」である。
このことの重要性について、あなたが哲学的な思いを巡らせてくれればと願っている。
☆
たとえば、私は、情報処理技術者試験に挑戦している。合格するという保証はない。
そんなことは、あなたにとって何の関心もないことかも知れない。私がわたしの価値観で、情報処理技術者試験を強制すれば、あなたは反発するだけだろう。
では、どこでこうした価値観のずれが生じてしまうのだろう。根本にあるのは、その人その人が自由意志をもって自分の価値を選択しているからに他ならない。
小さいものは食べ物の好みから、大きいものは人生観まで、すべての場合において、選択的価値はあっても、絶対的価値はない。
私の選んだ価値が、見事に私を幸福にしてくれるという保証はない。
そのことが私の精神を不安にさせもするが、私の実存を前進させもするのである。
絶対的価値がなければ何もしない、と唱える人は、確実に合格するのでなければ受験しない、というのと同じである。私はむしろ、確実に合格するような試験など受ける気にはならないだろう。
☆
たとえば、私は新聞の全国紙を購読している。出勤前のあわただしい時間を利用して、総合面、国際面に目を通す。
しかし私は、株価や為替の経済面はほとんど見ない。私には、経済面は、紙資源の無駄遣いにすら思える。
もちろん、私と全く別な価値観の持ち主も多いことを知っている。
しかし、やはり私は新聞紙面一つとっても、普遍的な価値観を見いだせない。
私は、今日になれば昨日の夕刊の記事をほとんど忘れ、明日になれば今日の朝刊の記事をことごとく忘れている。
あなたは、昨日の夕刊、今日の朝刊のどこか紙面に、一つでも唯一絶対の情報を見いだせますか。
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