随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−45
人生で最もぜいたくな読書習慣。
若いときは「聖書」に親しみ、老いてからは「仏典」に親しむ。
もちろん、若いときは「コーラン」に親しみ、老いてからは「論語」に親しむでもよい。
大事なのは、それでもなお終生無神論者であること。
無神論者であることは、人間的なものを人間的な立場で引き受けることである。
そこでは、人間の弱さゆえの誤魔化しや責任転嫁を厳しく問いつめ、なおかつ人間存在をその有限さで許容するものである。
だから私は、軽薄に神を讃美して人間を侮辱する者を、この世で最も嫌悪する。
しかし、だからといって人間存在を心底讃美する気にはなれない。
生物界に君臨すると自負する人間が、自ら盲信するほど生物的に優れた存在であるとはとても思えない
少し皮膚を怪我しただけで痛みに悶え、ちょっと他人の反感を買っただけで憎しみに悶える。
そんな人間が、生物的にどこがそれほど優れているというのだろうか。
人間は決して、他の生物を犠牲にしても救済しなければならないほど、優越した存在ではない。
仏教でそのテーゼを表明したのが、「捨身飼虎」である。
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人間とはそんなに美しい存在なのだろうか? 若いとき…。
人間とはそんなに醜い存在なのだろうか? 老いたとき…。
そんな見方なら、若木は老木よりも美しく、若駒は老馬よりも美しく、なにも人間だけの特徴ではない。
生物の細胞は若いほどみずみずしく美しいのは道理である。
しかし、人間がもしも他の生物にまさって美しいものがあるとすれば、それは細胞のせいではなく、精神のせいでなければならない。
ドストエフスキー描く『白痴』の無垢の精神は、現実に産室で産声をあげた無垢の嬰児よりも美しいだろう。
あるいは、スウィフト描く『ガリバー』のフウィヌムの精神に較べて、現実の人間の精神は耐え難いほど醜悪であるだろう。
本心を打ち明ければ、人間は皆、周りにいる人間すべてに対して嘔吐寸前なのではないのだろうか。
「こいつさえいなければ…!」
人間精神はいつも差別的で醜悪である。だから、まれに一瞬の美しい精神が開花する。
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noesis(純粋理性)さんへ
iモードメールをお送りいただき有り難うございます。
じつは私は、株式会社NTTドコモで働いております。
しかし、250文字のiモードメールで、哲学について語るのはあまりにも制約があります。
あなたは、哲学が好きですか?それは、自ら哲学することですか、それとも哲学の知識ですか。
私は、ソクラテスの「汝自身を知れ」を唯一の哲学課題としています。
他人の哲学は、それがどんなにきらびやかな衣装であっても、私にはサイズが合わない着心地の悪さを感じます。
だから、私は私自身の言葉で哲学を語りたいのです。
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noesisさんへ 仕事が終わって自宅に帰ってから、自分宛のメールを確認し、この時間に
やっと返事を書けるのが私の実情です。私は、数学でも物理でも哲学でも宗教でも、そ
の人の好むものに徹底的に沈潜してみるべきだと思っています。そのなかで自己の意識
にぴったり合致した考えなり思想なりが得られるでしょう。自己が見つけだした真理に
恍惚となるかも知れません。それでもなおかつ、「汝自身を知れ」と自らに問う勇気が
あるかどうかです。
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noesisさんへ 私が信じているのは「人間という孤独な有機体」です。それでは答えに
なっていないというなら、「人間の宿業」、「人間の実存」、「人間の不条理」、「人
間の偏見」、「人間の無知の知」を信じて、哲学的問いを発しているのです。
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