随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−43
私の日常生活は単調である。月曜日から金曜日までは、たいてい朝7時前に起きて朝刊を読み、8時15分頃に出勤する。帰りは夕方6時から7時頃である。夕刊を読み、好きなTV番組があればそれを観て、気が向けば自分の思索の手助けとなるような書物をひもとく。あるいは、自宅に構築したLANの環境をさまざまに弄っている。
休日には、雨天でないかぎり自転車を駆って市内の散策に出かける。書店、ファミリーレストラン、パソコンショップなどに赴く。インターネットにアクセスしたり、自分のホームページを更新したりするのは、時間的に余裕のある休日である。
私も、時間に縛られた日々を送る平凡なサラリーマンにすぎない。
私の妻は中国にいて、夫婦生活は途絶えている。遅かれ早かれ離婚を決意することになるだろう。
私に実子はない。今は不思議と自分の遺伝子を受け継いだ子供が欲しいとは考えなくなった。ペシミズムの所為だろうか。しかし、これ以上地球の人口を増やしてどうなるのか、という根本的な懐疑があることも事実である。
21世紀、人類の最大の課題は膨張する人口問題、それに付随するエネルギー問題である。そのとき、優勝劣敗、弱肉強食の論理が最も先鋭な形で、人類の歴史を蝕むのかも知れない。
思想や哲学は、平凡な日常の中にこそ深く根を張っている。
人類を滅亡させないために、何の思想もなく子供をもうけてはならない。
ニーチェの「善悪の彼岸」を極めれば、「自分の子供を欲することが悪である」というニヒリズムに行き着く。
あなたは、それを回避できる思想や哲学を身につけているだろうか。
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私は今、分子生物学者である渡辺格博士の『人間の終焉』をひもといている。
東洋的な考え方、日本的な思想にこだわる博士の痛切な心情が余すところなく綴られている。
これは、生物学書などではなく、思想書そのものである。
明治以来、思想的に祖国を喪失した日本人科学者の告発の書である。
科学も哲学も経済学も倫理学も、日本人はもはや日本の思想風土から切り離された祖国喪失者にほかならないのである。
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−−間違ってもよいから独特な考え方を出し、新しい方向を探す必要がある。独創的な研究をするには、勉強と博識だけではだめで、自分自身に沈潜し、日本という風土の中に深く浸らなくてはならない。それによる独自性を試みることが、西欧と対等に手をにぎる真の国際協力の出発点になるのであって、一見ナショナリズムではないかと見られる道が、実はインターナショナリズムに通じるという、いって見れば当然の事柄なのである。
それには、自己の思想が形成されていなければ意味がない。そう考えて、忽然としてわかったことは、われわれには思想が与えられていなかったという事実である。前にものべたように明治の初めの頃の人は和魂洋才であったが、われわれは日本人を親とし日本に生まれたが、日本的な思想の下に育てられておらず、といって西欧の思想も与えられたいない。日本の自然科学者はただ自然科学の法則という人工飼料だけをあたえられて放り出され、世にも不思議な人工的純培養の人間として飼育されているのである。
しかし自分の思想を培うためには、栄養豊富な「人工培地」の国を捨てて、苦しいかもしれない祖国の土の上での生活に復帰することが必要である。私の目は祖国に注がれているが、果たして何時の日にそこに復帰できるのであろうか。
渡辺 格 『人間の終焉』
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