随想録『パラボラ・アンテナ』


★P−29

以下の文章は、私が別なURL、すなわち別なホームページに載せている「Network自慢」というセクションの内容である。

「我が家には、INSネット64、SOHOルータ、パソコンが4台あります。SOHOルータはNEC COMSTARZ ROUTERで、TA機能、DHCP機能、LAN機能の三役をフルに活用しています。
パソコンはPC-9821 V200、これにWindowsNT Server4.0とWindows98のデュアルブートで、PDC(プライマリ・ドメイン・コントローラ)に設定しています。
パソコンSOTEC PC STATION M760には、Windows98、Windows2000 Server、Windows2000 Professionalのマルチブートで、ドメインに参加させています。
パソコンPC-9821 Xe10には、Windows95で以前にはTAにつながっていましたが、今はルータ直結で、やはりドメインに参加しています。
ノートパソコンFMV-5120NA2/Wは、Windows95で、ドコモのDPカードでモバイルもできるし、ルータに直結し、ドメインに参加しています。
おかげで、古いモデム2台、TA1台、ハブ1台、ケーブルたくさん押入で眠っています。
Networkの進化は驚くべき速さです。私が自慢していられるのもいつまでのことやら。」

この文章説明で、どれだけの人が、我が家にあるコンピュータ・ネットワークの配線状況を頭の中に思い描けるのだろうか。
本当は他人の家の、スパゲッティのように混雑したネットワークなど頭に思い描くだけでうんざりするかもしれない。
この私も、毎日コンピュータを扱う。しかし、コンピュータは所詮仕事道具であって、崇拝する対象ではない。
キーボードやマウスという限られた装置を自分の手で操作しなければ、コンピュータは無機質なくず鉄と同じである。
CPUがどんなに驚異的な演算処理しようと、ディスプレイが壊れていれば、ただむだな電力の消費にすぎない。
最終的に、人間の目が、コンピュータの計算結果を選別するのである。
この世では、コンピュータを扱えない者ほど、コンピュータを盲目的に崇拝したがる傾向がある。数学をよく理解できない者ほど、数学を盲目的に有り難がるように。
一度でいいから、頭の中のもやもやした理論よりも、自分の手のひらの感覚を崇拝してみてはどうだろうか。
私の結論をのべると、どんなに複雑なネットワークであっても、キーボードをたたく指1本なければ無価値である、ということである。
指が、キーボードの「A」を正しくたたいたのか、隣りの「S」を押し間違えたのか、コンピュータ自身には判断できない。エラーメッセージが出て間違いを判断するのも、やはり人間自身である。コンピュータにとっては、「A」も「S」もともに正しいインプットである。
本来、人間だけが入力の正誤を弁別できるのである。


ジョン・D・バロウの『科学にわからないことがある理由 不可能の起源』を読んでいると、次のようなフレーズに出くわした。

−−イタリアでは、ボルジア家による支配下にあった30年間、戦争、テロ、殺人、流血があった。ミケランジェロやレオナルド・ダヴィンチやルネサンスを生んだ。スイスには、兄弟愛があり、500年間の民主体制と平和があった。その500年が何を生んだ?鳩時計だ。
  オーソン・ウェルズ 『第三の男 脚本』

しかし、ボルジア家に殺された者にとって、ダヴィンチやルネサンスなど何の価値もない。鳩時計の方がまだましだった。ウエルズの発想は、所詮ヴァイキングの発想である。欧米人一般の発想は、決まって歴史的進歩に残虐の免罪符を求めたがる。


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