随想録『パラボラ・アンテナ』


★P−23

宿業体系という哲学を標榜しているかぎり、私は無神論者呼ばわりされても致し方ない。しかし、私自身はサルトルのように無神論者であることを積極的に標榜しはしない。
というより、そもそも無神論者とはいかなる者なのか、私の内面できちんと解決されてはいないのである。誰か、無神論者とはいかなる存在者なのかを、私に教えてほしい。

−−今こそヴァレリーの言葉が想い出される。その底まできわめれば、理解できるような言葉は一つとして存在しない、というあの言葉が。
  サルトル 『想像力の問題』


いにしえの船乗りたちが、不動の星として崇めた北極星(ポラリス)でさえ、実は長い時間をかけて変化している。
中国の古書によると、孔子時代(BC500年頃)の北極星は、現在の小熊座の首星とは違っているということである。
一切の基盤が揺れ動いている。万古不易の恒星など、どこにもない。


宿業体系の出色な点は、古今の哲学者が「私の思想は誰にもまして正しい」ということを躍起になって論証しているのに、このぼくときたら、「私は偏見以外の何ものをも知らない」ということを躍起になって論証していることである。

−−「物の見方」ある人が事物を客観的に直視しつつ把握することから出発して順序正しく世界観を構成したとして、それが徹頭徹尾、間違っているということは、決してあり得ないし、最悪の場合でも、ただ一方的に偏っているに過ぎないでしょう。たとえば、完全な唯物論や、絶対的な唯心論などのように。これらはすべて真ではありますが、同時に一方に偏していますから、それらの真理はある単に相対的なものにとどまります。すなわち、そのような把握が、それぞれに、ただある定められた立脚点から見た場合にかぎって、真であるのは、あたかも一つの絵画が景色をただ一つの観点からのみ描写したものであるのと似ています。しかし、もしも、人が自分を高めてあるそのような体系の立脚点を超越するならば、その人は自分の真理の相対性、いいかえると自分が一方に偏していることを認識するでしょう。
  ショーペンハウアー 『哲学入門』


私の強固な偏見。
「人間に食欲や性欲や睡眠欲があるかぎり、人間は決して神にはなれない。
たとえば、あなたがぐっすり眠っている間、その不自由な肉体のために、あなたは神の配慮から見放されている。」


どこかで聞いた古い伝承。
「彼らマヌの子、人間に多くの神を崇拝させたのは、真実の神が存在しないことを、彼らに悟らせないためである。」


ツアラトウストラの永劫回帰。
「しかし、彼はその思想の重さに耐えかねて失神した。」


ある高慢な女性の告白。
「結婚して子供を産むなんて、せっかく高等な人間に生まれたのに、また下等な動物に戻ってしまうような気がする。」


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