随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−21
ひとりこんな事を空想してみたりする。
ソクラテスはどんな肉声をしていたのだろうか。かなりダミ声か?
パスカルはどんな肉声をしていたのだろうか。ハスキーな声か?
カントはどんな肉声をしていたのだろうか。金属質な声か?
シャカは?キリストは?マホメットは?
彼らの肖像画をながめるとき、人々は彼らの肉声も漠然と空想してみるのではないか。
もちろん、人それぞれに空想した肉声であり、すべての人が一致することはありえない。
情報が少ないと、それを補うように、人の想像力や感受性は豊かになる。
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人間は自分たちの住む世界から、さらに遠い異国のことを知りたいという知識欲が旺盛である。とくに単調な村落生活をしていた古代人には、何よりも異国の口碑伝説が尊ばれたことだろう。したがって、古代人は狭い世界にずっと閉じこもっていたのではなく、交易などによって異国の伝説を積極的に取り入れた。
日本古代のミステリーの一つ、厩戸の皇子こと聖徳太子には、はるか西方のキリスト降誕伝説が混入している。キリスト教もユダヤ教も知らない日本の皇子にそもそも混入した理由は何なのか。混入したことで、聖徳太子その人に何かメリットがあったのか。彼は西方の殉教者のことを、漠然とでも聴き知っていたのだろうか。聖徳太子の生前の事績は日本以外では誰も知らない。
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主体性とは何か?
たとえば、ぼくが急に耳が聞こえなくなったとしても、ぼくにはぼくの内なる声が聞こえるだろう。
それが、ぼくの魂の声、紛れもない主体性というものだ。
しかし、サルトルは皮肉る、「ぼくの魂ほど見事な不在(非存在)があろうか。」(『蝿』)
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戸外では、春の雨が降っている。
いや、わたしの意識が連続的に働いているからこそ、雨は降る。
わたしの意識がわたしに、雨の現象を認識させる。
雨はわたしの意識を度外視して降ることはない。
しかし、わたしは雨の一粒を意識することもないし、雨の全雨量を意識することもない。
雨を眺めるわたしの意識が、それ以上必要ないと告げるからである。
それ以上必要なときは、別な意識がわたしに告げるだろう。
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1906年、ウィーン大学の統計熱力学者ルドヴィヒ・ボルツマンは、原子仮説が正当に受け入れられるにはまだ何世紀もかかるだろうと絶望して、トリエステ近くのアドリア海に投身自殺した。エントロピー増大はボルツマン定数に比例する、という公式で有名な学者である。
同じ年の秋、エルヴィン・シュレーディンガーはウィーン大学に入学している。のちに波動方程式を発表して、ノーベル賞を受けるが、量子論に荷担したことをのちのちまで後悔した。有名な「シュレーディンガーの猫」は、今もなお量子論を根底から脅かし続けている。
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アインシュタインはある手紙の中で、「もし誰かが、E=hνの意味を理解したといったら、おまえはウソつきだ、といってやれ」と書いている。
この方程式が理解しがたいのではなく、プランク定数「h」が理解しがたいのである。プランク定数とはそもそも何を意味するのか?未だに物理学者もそれに明確に答えられないのである。
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