随想録『パラボラ・アンテナ』


★P−20

−−まことにすべての存在は、証明することもむつかしく、言葉にもたらすこともむつかしい。しかるに、どうか私に言え兄弟たちよ、すべてのもののうちでもっともおどろくべきものが、まさにもっともよく、証明されていないか。
  ニーチェ 『ツアラトウストラ』

神とか宇宙とかを証明するために、人類は何と多くの無駄な思索を積み重ねてきたことだろう。スピノザやヘーゲルが、神について知ったかぶりに長口舌しているのを見ると、私はほとんど絶望的な不信感に駆り立てられる。美味をたらふく喰らい、排泄物を垂れ流し、いぎたなく寝惚けてる連中が、自ら神になったつもりで戯言を並べているだけだ。
最も証明不可能なことを、人々はありったけの知力でもって証明してみせる。そして、人々は、自分の証明こそ一番優れていると自負する。
そんな人々には、こんな辛辣な慰労の言葉をかけてあげよう。
「神の証明はもういい。それより、自分に関わるもっと大事なことがあるのではないか。あなたの証明のおかげで、この世に神はいる。しかし、あなたの証明を待たずに、間もなくあなた自身はこの世からいなくなる。」


もしも全能の神が存在するなら、私が同意するまでもなく、神は神であるだろう。
また、私がどう罵ってみても、神の全能を損じることなどできないだろう。ところが、それに対して腹を立てて非難するのは神ではなく、決まってそれを信奉している人間様である。誹謗されて神の全能が傷つくものなら、それはもはや全能ではない。


人間が終生失ってはならないもの、それは羞恥心。あのニヒリズムの権化のようなツアラトウストラでさえ、羞恥の感情だけは大切にしていた。羞恥は最大の自己省察である。どんなすぐれた哲学大系であっても、羞恥心を欠いているならまずインチキだと見なしてよい。


嘘をつく数式。
−−この本は4冊で10,000円です。
  4冊=10,000円
  ではこの両辺のルート(平方根)をとると、
  ルート4冊=ルート10,000円
  ゆえに、2冊=100円
  どこがおかしい?
皆さん、こんなすり替えが、科学的普遍性のもとで行われていることもあるので、充分注意しましょう。


哲学的寓話。
−−おまえが賢者なら、ぼくは愚者になろう。
   おまえが愚者なら、ぼくは愚者か賢者になろう。
   たとえ、愚者が二人いても何とかなる。
   しかし、賢者が二人ならもうお手上げだ。


有名なエピメニデスの逆理(パラドックス)、「クレタ人のエピメニデスは、すべてのクレタ人が嘘つきである、といった」
では、エピメニデスは正直な嘘つきなのか?
有名なラッセルの逆理、「ある町の床屋は、私はこの町で自分の頭髪を刈らない者だけの頭髪を刈る、といった」
では、床屋の頭髪は誰が刈る?
どちらの逆理も解決不可能である。
この世に、逆理はいくらでもある。
「日本語は日本語だが、英語は英語ではない」
「英語」は日本語であり、英語では「english」である。
では、こんな逆理はいかがだろう、「夢と現実は区別できない、という夢を見た」


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