随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−19
キェルケゴールを始めとして、実存哲学者が最も目の仇にする神話上の人物を紹介しよう。ギリシャ神話に登場する盗賊プロクルステスである。
この悪漢は鉄の寝台を持っていて、捕らえた者をその上に仰臥させ、身の丈が寝台の寸法よりも長ければその足を斬り、短ければその関節を伸ばし、むりやり寝台の長さに合わせた。このことから、固定した一つの基準、一つの体系に何がなんでも統一しようとする乱暴なやりかたを「プロクルステスの寝台」という。
科学者は何がなんでも方程式に当てはめないと気が済まなくなる。
聖職者は何がなんでも神の戒律に当てはめないと気が済まなくなる。
政治家は何がなんでも我が党の政策に当てはめないと気が済まなくなる。
心理学者は何がなんでも精神分析学に当てはめないと気が済まなくなる。
マルクス主義者は何がなんでも弁証法的唯物論に当てはめないと気が済まなくなる。
カミユ愛好家は何がなんでも不条理に当てはめないと気が済まなくなる。
ニーチェ信奉者は何がなんでもニヒリズムに当てはめないと気が済まなくなる。
そして、何がなんでも「偏見」に当てはめないと気が済まなくなる宿業体系よ、おまえもか!?
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☆
漢字の解釈学で、「偽」とは「人と為す」、人をある基準に律する、人を加工する、から出ているという。
ある基準を帯びた人、思想を持った人は、もはや「偽」なのかもしれない。その対極をなすのが、老子の「無為自然」である。
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☆
蜃気楼は、古く大蛤が気を吐いて出来ると信じられていた。
では、人間が吐く気から果たして何が出来上がる?
やはり蜃気楼ではないのか、科学や思想や文学でさえも。
現代社会にあって、人間は自らの吐きだした気息、その言葉のジャングルで、迷子になっている。
そのジャングルのかなたに、果たして憧れの楽園はあるのか。
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☆
あるとき、こんな夢を見た。
かつて、青く透明な湖は豊饒だった。さまざまな者が湖にでかけて、思い思いの知恵ある魚を釣ることができた。
ソクラテス、プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ルソー…彼らは同時代の人々の眼を見張らせる大物を釣りあげた。
しかし、ニーチェにいたって最大級の魚は釣り尽くされ、二十世紀にはほとんど雑魚しか残されていなかった。そして、二十世紀末になると、もはや一匹も釣れなくなり、湖は不毛となった。そんな湖に釣り糸を垂れる者がいても、人々から気違い扱いされ、努力のしがいもなく挫折するだけだった。かくて、不毛の湖はすべての人々から忘れ去られた。
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☆
耳の聴こえない人、あるいは言葉の不自由な人が、ただ黙々と働いている姿を見て、私は胸をうたれることがある。
その傍らでは、テレビやラジオががなり立て、大勢の人々が自己主張して際限もなく言い争っている。
人間の言葉は何のためにあるのだろうか?
くり返し、くり返し、私は砂を咬むように言葉の無力感を咬みしめている。
−−われ、心を尽くして知恵を知らんとし狂妄と痴愚を知らんとしたりしが、これもまた風を捕らえるがごとくなるをさとれり。それ知恵多ければ憤激多し。知識を増す者は憂患を増す。 『伝道の書』
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