随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−17
真理への烈しい願望にせきたてられながら、光と闇の打ち消しがたい葛藤相克に苦しんできたのが、すなわち人類の精神史の提要である。テーゼの光明に対して、アンチテーゼはこっそり暗闇に潜んでいつか思いがけず人間精神を引き裂いてやろうとねらっている。
なぜ光の中にしか真理を見ようとしないのか。むしろ一度は闇の中に真理を求めてみるべきである。そこには人の眼をあざむく蜃気楼ひとつない。
人工の光で夜陰を打ち消した都会に住む者たちは、白昼にもまた自らの薄ぼんやりした影を引きずっているかのようだ。本物の闇と向かい合うことが稀だからだ。
過剰な光にさらされた人は、知らず知らずのうちに生気を衰退させてゆく。ひたすら闇を忘却することで、ついには光の意義までも忘れてしまう。
20世紀の人間は、19世紀の人間よりも、闇の深さを知らない。はるか古代人の闇の深さはいかばかりだっただろう。
人口過疎の村には本物の夜が訪れる。夜になると本物のぶ厚い闇に包まれる。漆黒の森や山は羅刹のごとく間近に迫ってくる。
日常の法則をことごとく塗りつぶした闇の深さと、私は真剣に対話を試みる、ときには戦慄をおぼえながら。やはり、この私はどこまでも有限であるということを確かめるために。
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眼を瞑る。まったくの闇だ。
こんなに何も印象に残らない一日の終わりがあろうとは。
絶叫と沈黙の無風地帯。そして脈拍の停まった言葉の死骸。
判断の基準が失われた時代。異常の区別がつかなくなった時代。
人間性の黄昏。疲労困憊した霊長類。
各人が1とそれ以外で割り切れない素数だらけになってしまった。
もはやどこにも共通項は見出されない。
言葉の砂漠におびただしい不信感が堆積してピラミッドを成す。
現代文明という名の巨大なバベルの塔は完成する見込みもなく、やがて野晒しにされる。
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誰ひとり、未来を正確に予言できないから、人はとかく自分にとって好都合な願望を抱いて現実に対処する。あまり自分に不都合な未来を願望したがらないものだ。
ニーチェが予見したように、歴史の未来に全面的なニヒリズムが到来するとすれば、そのあまりに好都合な未来願望こそ、最大の病患なのではないだろうか。
それでもなおかつ人類が総じて願望しつづけるなら、ニヒリズムの到来をも忍従すべきである。
例外者として、ニーチェは未来に暗いニヒリズムを予見した。だが、それもニーチェ哲学にとって実は好都合な願望だったとすれば…。
「ニヒリズムは一つのよき徴候であるのかもしれない。」 そこまで見抜いていたとは、鉄槌のごとく辛辣なニーチェ。
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−−己れこそ 己れの寄る辺
己れを措きて 誰に寄る辺ぞ
よく整へし 己れにこそ
まこと得難き 寄る辺をぞ獲ん
『法句経』
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社会には、コンピュータに強い人と弱い人が確かに存在する。
それは単にコンピュータ操作経験の長短だけに起因するのではない。
むしろ、その人がコンピュータ思考、デジタル思考、論理的思考が得手か不得手かという性格にも因ると思われる。
これは経験だけですべて解決できないことである。
このことは逆に、コンピュータ思考で、人間存在を究極的に説明しつくせないことをも意味しているのではないか。
人間は計算できない存在である。
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