随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−13
もしかして、あなたは無限な神の視点を求めているのだろうか?
であれば、『マイ・パンセ』など読む必要は全くない。
私の『マイ・パンセ』は、徹頭徹尾有限な人間の視点で貫かれているからである。
むしろ、神の視点にたどり着きたがる人間の愚かさ、悲しさを表出している。
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まず、自分のパースペクティヴを見つけること。
それから、自分のパースペクティヴで、現代の哲学や科学がかかえているパラドックスに答えられるかどうか試してみること。
私はそうして、デカルトの物心二元論やシュレーディンガーの猫という難問に挑戦してみたのである。
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外部的なつけ足しなしに自然をあるがままに捉えると自認する唯物論者が敗北するのは、我が身の不可避な老化を悟ったときである。老残の目に映るのは、あるがままの自然ではなく、歪んでぼやけた曖昧な自然であり、まもなく自分を死の淵に引きずり込もうとする横暴な自然である。
弁証法的発展として多少なりとも唯物論が当てはまるのは、人生の若いときである。中年を過ぎると、自分が到底唯物論に当てはまらず、発展から取り残されてゆくことを、そのかすんだ目で思い知らされるのである。
ポール・ラファルグ(1842〜1911)と妻ラウラ(カール・マルクスの次女)は、老齢になると人間は革命的闘争の役にたたなくなるという弁証法的考えによって、夫妻そろって自殺を遂げた。その葬式で、レーニンは「ラファルグはマルクス主義思想のもっとも才能豊かな、かつ造詣の深い普及者である」と弔辞を述べた。
だが、ちょっと待て、レーニン!このことはとりもなおさず、マルクス主義の革命思想とは、役立たずの老人を冷然と見殺しにする思想なのではないのか?弁証法的唯物論では、人間が老化することはタブーである。この恐るべき帰結をマルクス主義者は真剣に考慮すべきである。
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−−自然学がひきだした結論は、精神界というものが間違った仕方で考えられていたということではなくて、そんなものは存在しない、原子から構成される可触的物体以外はなにひとつ真実にあるのではないというものだった。そこに残された成果は、哲学者たちが唯物論と呼び、宗教家たちが無神論と呼ぶ教説だった。ソクラテス哲学は自然学のこのような唯物論的動向に対する反抗なのである。精神世界を再発見するために哲学は、当面のあいだ、外的自然における物質的実体の探究をうち捨て、人間の魂の本性をめざして目を内に転じなければならなかった。これが、「汝自身を知れ」というデルポイの神命をたずさえてソクラテスが遂行した革命だったのである。
F.M.コーンフォード 『ソクラテス以前以後』
−−人生は一瞬にすぎず、人の実質は流れ行き、その感覚は鈍く、その肉体全体の組み合わせは腐敗しやすく、その魂は渦を巻いており、その運命ははかりがたく、その名声は不確実である。一言にしていえば、肉体に関するすべては流れであり、霊魂に関するすべては夢であり煙である。人生は戦いであり、旅の宿りであり、死後の名声は忘却にすぎない。しからばわれわれを導きうるものは何であろうか。一つ、ただ一つ、哲学である。
マルクス・アウレリウス 『自省録』
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私は以前に、最も束縛するのが好きな人間と、最も束縛されるのが好きな人間とに区別することを試みたことがある。精神的サディストと精神的マゾヒスト、そしてすべての人間はこのどれか中間に位置している、と。
自分の判断を唯一絶対視したがる人間がいる。一方、自分では何一つ判断したがらない人間がいる。精神的サディストは自分しか信じない無神論者である。精神的マゾヒストは自分以外のものを信じる狂信論者である。
ドストエフスキーの小説にはこんな典型的な人物がたくさん登場してくる。
しかし、現実の人間は、つねに一方の顔ではなく、両方の顔を持っていて、時と場所に応じて巧みにそれを使い分けるのだ。友情や結婚、家庭や会社、政治や経済において。
だから、私の宿業体系では、究極的に他人は宛にならない、と見なす。
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紀元前6世紀のギリシアの哲人クセノパネスは、「もし馬や牛が自由に使える手を持っていて、絵を描いたり、像を造ったりできるとすれば、神々の姿かたちを馬は馬のように、牛は牛のように表現するだろう」と箴言を吐いたという。
ニーチェは当然、クセノパネスのこの箴言を知っていたからこそ、「人間が自分の像に型どって世界を定立することが、唯一の真実な様式である。」と自説を敷衍したのである。
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