随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−10
この世界には何とも不思議な限界定数がいくつかある。
1.光速度=30万km/sec
2.重力加速度=9.8m/sec(2乗)
3.万有引力定数=6.67×10(マイナス8乗)cm(3乗)/grsec(2乗)
4.プランク定数=6.55×10(マイナス27乗)erg/sec
5.最低温度=マイナス273度C(絶対0度)
6.人間の体温の限界=42度C
一体誰がこんな限界値を設定したのだろうか?なぜ、それにプラス1した値ではなく、その値なのだろうか?
それとも、ただ単に人間の観測装置が導き出した思いこみ定数なのだろうか?
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−−デカルトやニュートン以来、近代科学は人間の精神を無視して発展してきた。「一般相対性理論」でさえ、未来はすべてあらかじめ定まっているとし、人間の自由意志は考慮されていない。「量子力学」は、解釈によっては、自由意志による「観測」という行為により、物理状態が変化することを示唆している。しかしながら、この「観測問題」は多くの謎につつまれており、解決は二一世紀に持ち越された。人間は、宇宙とは別に存在する客観的な観測者ではなく、明らかにその中に包含されている。したがって、人間やその精神を除外して、物質世界のみに限定した近代科学の宇宙モデルは、やはり欠陥商品といえる。
天外伺朗・茂木健一郎 『意識は科学で解き明かせるか』
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私の机の上に一冊の興味深い本が置かれている。その本の題名は、『心は量子で語れるか(THE LARGE,THE SMALL AND THE HUMAN MIND)』、著者は20世紀を代表する数学者の一人であるロジャー・ペンローズである。
本の内容は、正直言って、私の理解力では相当難しい。
難解な数学や物理学の用語、そして漠然とした心や精神の問題に、理性的な解剖用のメスをあてているからである。
ペンローズはそれらを、「三つの神秘、三つの偏見」などというタイトルで考察しようとしている。理性的な数学者が、己れの理性でもって宗教の奇蹟を証明しようと悪戦苦闘しているようなものである。
−−”意識(CONSCIOUSNESS)”とは何か? 残念ながら、それを定義する方法を私は知らない。私たちは意識とは何かを知らないのであるから、今は、その定義を試みる時ではないと思う。意識は物質から導きうる概念だと私自身は信じているが、そのことを定義しても、おそらく誤ったことを定義する結果になるだろう。
ロジャー・ペンローズ 『心は量子で語れるか』
ペンローズは、コンピュータ上に乗せることができるものは計算可能なのもであると見なす。しかし、この世界はどんなに優秀なコンピュータを用いても答えを導き出せない計算不可能な要素に満ちている。
ペンローズは、決定論と計算可能性は別物であると主張する。確かにそのとおりだと私も思う。個体としての人間はいつかは死ぬ。それは生物学的な決定論である。しかし、生命保険会社の大型コンピュータをいくら駆使してみても、その個体がいつ死ぬかは計算によって割りだすことなど不可能である。
ペンローズは、量子理論と重力理論を包括した真の量子重力理論は計算不可能なものかもしれない、と予言している。それは、コンピュータによってついに答えを導き出すことができない理論なのである。
とすれば、真の量子重力理論は、奇蹟を信頼するような非論理を含んだものになるのではないだろうか。
つまり、科学の究極は宗教になるのである。
だから、やはり20世紀を代表する理論物理学者であるスティーヴン・ホーキングが、「基本的にペンローズはプラトン主義者で、唯一の物理的実在を記述する、唯一の観念の世界が存在すると信じている。一方、私は実証主義者で、物理理論は私たちが構築する数学モデルにすぎないと思っているし、また物理理論が実在に対応しているかどうかを尋ねるのは無意味で、それらは単に観測結果を予言するかどうかだと考えている」と指摘しているのは興味深い。
プラトン主義とは、完全な円の実在を信じて、それに基づいて世界を完全に証明することである。
しかしまた、社会科学者のナンシー・カートライトが、「要するに、物理法則は完全な支配者ではないのだ。多元論の下で問題になっているのは物理に関する現実主義ではなく、むしろ帝国主義なのである」という指摘も大変興味深い。
ペンローズのプラトン主義が、実は帝国主義の相貌を帯びているという指摘は鋭いものがある。プラトン主義=帝国主義=自国絶対主義=自説讃美主義。
こうなると自説を絶対化して、他のあらゆる説に対して聞く耳を持たなくなる畏れがあるのだ。つまり、科学の究極はやはり宗教になるのである。
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