随想録『パラボラ・アンテナ』


★P−09

理性的なあなたは、世界の真実を映す鏡を持っていると自慢する。
だが、その鏡が時として曇ったり歪んだりしていることに気づいているだろうか。
しかも、その鏡はあなた自身の背後に隠された意味まで映し出してはくれない。


私という一個の哲学者が、科学に対して根本的なアンチテーゼを提出してみよう。
「現代科学は、地球の半分ほどもある巨大な目を持った観測者、あるいは分子に等しいほど微細な目を持った観測者の存在を否定できない。なぜなら、科学において観測者は没価値であり、誰にも成り立つことを要請するからである」
いっそ、周囲360度同時観測可能な人間を要請しても矛盾を感じないのではないだろうか。
もしも矛盾を感じるとしたら、科学的普遍妥当性とはそもそも何を誰のためにどこまで保証してくれるものかを明示出来なければならない。
多少いい加減なアンチテーゼを持ち出すなら、同じ現象の観測者の視点が、犬や猿や鯨であってはいけない理由がどこにあるのだろうか。
科学者は没価値の意味を真剣に考えてみる必要がある。
数学者は、見事な幾何学の巣を作る蜘蛛自身であってはいけないのだろうか?
科学者は、正しい時空の感覚によって渡りをする鳥自身であってはいけないのだろうか?
それをノーというなら、その理由を科学的に立証せよ。


−−人間にとっては、幸福になるためには、自分を知らない方がずっとよいのではなかろうか。
  パスカル 『パンセ』


おそらくパスカルの反面教師が、スウィフトである。


あなたが永遠を信じたいなら、束の間など信用しないことだ。
しかし、束の間の美しさというものが、この世に確かに存在する。
あなたはその束の間の美しさを見逃したために、不幸なのである。
なぜなら、あなた自身が束の間の命に他ならないからである。
私は偏見を持ってはっきり言う。
この世の束の間の美しさを知らない者は、どんな天才であっても信用できない、と。
だから私は、この世を嫌悪し、来世のみ讃える宗教を心底信用できない。


宗教は要らない。
宗教が人間精神をだめにする。
だめになった精神が、倒錯した博愛を主張する。
その博愛がいっそう人間精神をだめにする。
だから、宗教は要らない。
私は、死なない宗教の真理よりも、死にゆく人間に真実を見る。
真実は真理にまさる。


人間が皆、自己中心的なのは、生まれ落ちたときからの本性である。
その自己中心的な考えが実は「偏見」に他ならないことに、いつ気がつくかによってその人の哲学が決まるといってよい。
気がつくこと、それは非常に重要なことなのだ。


「偏見」という言葉は、なぜかいつもマイナスのイメージで捉えられてきた。
しかし、すべての人は心の片隅に、自らの偏見に対する何らかの不安を抱えている。
じつは、それほど「偏見」は誰にとっても、現実に馴染み深い心のイメージなのである。
言葉の持つ魅力を知りたいために、私は「偏見」という言葉にプラスのイメージを賦与する事は出来ないだろうかと、つねに念じてきた。
そして、私が到達した哲学は、私が知り得るすべての世界解釈が、すなわち「偏見」に他ならないということであった。
私が、神あるいはロボットになれない限り、この「偏見」を克服するすべはない。
あなたはもっと、神と人間の差、ロボットと人間の違いを省察すべきである。


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