随想録『パラボラ・アンテナ』


★P−08

私はいまだに数学の「虚数i」が具体的に何をイメージするのかよく分からない。
抽象的な数学に具体的なイメージを求めるのは無意味かも知れないが、やはり何らかのイメージを求めたくなる。
「i」を虚数単位といい、iの2乗=−1と定義する。しかし、3i>2iというような大小関係は定義できない。
複素数を「z=a+bi」と表すと、「a」を実部、「b」を虚部という。
また複素数を三角関数で表すと、「z=r(cosx+isinx)、r=|z|」となる。
そこから、オイラーの公式「eのix乗=cosx+isinx」が導かれ、ほとんどイメージすることも不可能な「eのiπ乗=−1」という式が導かれる。
そして、虚数iの極めつけは、量子力学で「シュレーディンガーの波動方程式」に応用される。
   h∂ψ
 i―――― = Hψ
  2π∂t 
簡単に記述できないような難解な方程式の中に、虚数が自己主張している。
そして、この波動方程式のイメージは、マックス・ボルンによると、「電子は粒子でもあり波でもあり、その存在する確率を表す」のだという。
虚数で表される確率とは何なのか? 確率は可能性だと私は解釈している。
無数にある可能性の中から、ある確率で1つの現象が実体化する。それが人間に観測される事実そのものである。
「科学的事実の前世に虚数が存在する」、何とも迷信じみたイメージである。


多少SF的な論理になるが、私が住むこの世界は多重世界ではないだろうか。
それは虚数iの確率を持つ多重世界であるのかも知れない。
無限に近い可能性を秘めた世界が、この私を包み込んでいる。
そのうちの唯一可能な自己を選んで実体化しているのが、すなわち私の人生である。
人間が自由であるのは、無限に近い可能性を秘めた多重世界に生まれてきたからである。
しかし、その可能性を実体化しないかぎり、いつまでも虚数iの確率を持った自由である。
他人も同様に、無限に近い可能性のうちから唯一の自己を選んで実体化している。
その時、出会いがあり、別れがある。
人生を決定づける出会いが生じ、あるいは永遠の別れが生じる。
虚数iに満ちた多重世界で、どの可能性を選んだかによって、人間の運命も具体化してくる。
ただ、人間が死すべき運命は、虚数iの確率によっても避けることができない。
それは可能性の確率[1]だからである。


『やわらかい者とかたい物』
生まれたときからやわらかい身体の持ち主は、成長することで自分が変貌することに不安をいだいた。
かれは気づいた、「やわらかい者は不安定である」と。
だから、かれは変貌せず安定したかたい物を外部に求めるようになった。それが唯物論である。
生まれたときからやわらかい頭脳の持ち主は、時として自分の精神が気まぐれで不完全であることに気づいた。
だから、かれは永遠に変わらないかたい精神を外部に求めた。それが有神論である。
かれはつねに、やわらかいものからの遁走者である。
しかし、かれは死ぬまでやわらかいものからのがれられない。


イワン・カラマーゾフは言う、「ぼくは神を認める。だが、神の創った世界、神の世界ってやつが認められないんだ!」
それに対して私は言う、「私は神を認めない。だが、今ある世界、誰が作ったかは分からない世界を認めるんだ!」


端的に言うと、宗教は時間を止めて真理を得ようとする。だが、哲学は時間の動くままに真理を得ようとする。
だから私は、時間の彼方にある宗教的真理よりも、時間の中にしかない哲学的真理を愛する。

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