随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−07
釈迦(BC566-BC486)、孔子(BC551-BC479)、キリスト(BC4-AD28)、マホメット(AD570-AD632)、それぞれに偉大な宗教の創始者である。
この四人のなかで、ただひとり異質な創始者がいる。それはイエス・キリストである。
釈迦、孔子、マホメットは六十歳から八十歳の老齢でその生涯をほぼ全うしている。
だが、キリストだけは、三十三歳の壮年時、しかも十字架上の刑死という劇的な最期を遂げている。
偉大であるが故に、ひとりだけこの劇的な最期は、神学的ばかりではなく、歴史学的にもさまざまな憶測や偏見を呼び起こす。
いかに熱心にマタイやルカの福音書を読んでみても、キリストがなぜ十字架にかけられなければならなかったのか、その真相はわからない。
キリスト教は、キリストを神の子、罪の贖い人、救世主とするが、キリストは実際にキリスト教を創始したわけではない。
三十三歳で刑死したキリストは、自らの神学をうち立てる時間的余裕がほとんどなかった。
その神学と布教に尽力したのは、キリストと直接面識のないパウロである。
だから、「キリスト教を作ったのはむしろパウロ自身であり、パウロ教と呼べるものである」と唱える歴史学者もいるほどである。
これに関して、私がいつも心に引っかかってならないのは、「いくら粗野な精神を謳歌していた古代ローマやエルサレムだからって、後世大聖人に讃えられるような罪なき宗教者をあんな酷たらしい方法で殺す必要が、本当にあったのだろうか?」ということである。
ローマからはるかに隔たった辺境の地で、盗みをしたわけでも人殺しをしたわけでもない柔和な一宗教者に対して、ローマ総督ピラトはなぜ死刑を宣告したのだろうか。
キリストが紀元30年頃、ゴルゴダの丘でローマ式の処刑方法で刑死したことは疑いようがない。
とすれば、「本当はキリストはローマ式処刑で殺されなければならなかった本当の犯罪者ではなかったのか?」という疑問がわいてくる。
しかし、『新約聖書』は、キリストを救世主として崇めるために忙しく、本当の処刑理由を語ってはくれないのである。
さらに、『新約聖書』では、キリストに洗礼を授けたバプテスマのヨハネは、救世主の道を示した先駆者とされる。
その洗者ヨハネも、伝説ではヘロデ王の寵妃サロメの所望で酷たらしく斬首され、その生首を盆に載せられて献上されたのである。
神学的に血を分けた兄弟といえるヨハネとキリストの両方が、なぜ時の権力によって酷たらしく処刑されなければならなかったのだろうか。
そんなとき私は、ジョエル・カーマイケル著『キリストはなぜ殺されたか』を読んで、その歴史学的事実の一端に触れたような気がした。
私は、どんな歴史書も、それが伝統的で偉大な歴史書であればあるほど、記述者の膨大な偏見に脚色されていることを知っている。
何かを美化すればするほど、歴史の真相は背後に遠のいてしまう。
だから、私はたいていの歴史的記述を鵜呑みにしたりしない。
それでも、「キリストはやはり処刑されるべき理由があった偉大なユダヤの犯罪者なのである」と認めざるを得ない。
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−−福音書記述者たちが、イエスに対するパリサイ人の敵意をたえず強調しているのは、彼らの深い、時代錯誤的な偏見を最もよく示しているのである。ユダヤの父祖の教区とその原始キリスト教の分派とのあいだに生じた疎隔が大きくなり、イエス刑死の責任をユダヤ人にすべておっかぶせた瞬間から、イエスの全生涯もまた、こういった観点から眺められるようになったのだ。十字架そのものが、事実、すべての事件を眺める有力な観点をなした。初期キリスト教徒は、ローマ帝国の異教徒大衆のあいだで布教する決意をかためていただけではない。一方だんだんユダヤ人のあいだで布教することは困難になったのである。この二つの事実の相互作用のため、すべての制止がきかなくなって、ユダヤ人の感じやすさ、あるいは歴史的真実性をも顧慮しなくなってしまっている。
疎隔がどんどん進んでいく結果として、ユダヤ人はすべてこみで、イエスの敵とみなされるようになった。初期キリスト教徒のこの神学的偏見が進むにつれて、時間を超越した要素まではいりこんできた。すなわち、ユダヤ人はたんにある一時期、イエスの敵だったというだけでなく、その本姓から敵なのだということになった。
ジョエル・カーマイケル 『キリストはなぜ殺されたか』
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