随想録『パラボラ・アンテナ』
★P−05
私は、空間知覚に、人間の眼の構造が大きく関与していることを認める。
とくに、知覚の入り口である水晶体が凸レンズであることが一番大きいと思っている。
もしも水晶体が平板なガラスなら、それが焦点の合った知覚であるか否かは保証できないが、ユークリッド空間に賛成するだろう。
しかし、凸レンズの知覚をどう矯正しようとも、平板なガラスの知覚など得られるはずもない。
自然界は本当は3次元均等なユークリッド空間であるが、人間の眼が凸レンズであるために、本当の空間は知覚できないのだ、といわれたとしても、私は生来備わった凸レンズで知覚することをやめないだろう。
だから私は、立方体のように3次元均等な空間知覚をどうしても信用できないのである。
重力のある空間に、上下の区別は確かにある。もともと重力は、水晶体の凸レンズの形成にも影響しているだろう。
重力抜きで、眼球の膨らみは説明できない。
地球上にいるかぎり、1次元目は明瞭に区別できる。
しかし、そのあとの2次元、前後左右の知覚はどうやって厳密に区別できるのか。
区別できないし、もともと存在しない次元なのである。
X軸、Y軸、Z軸という相互に入れ替え可能な(いわゆるローレンツ変換可能な)3次元空間はじつは存在しない。
私には、自分の住む世界の構造は立方体空間ではなく、球体空間(正確には楕円体空間)がもっとも相応しく思える。
そこにあるのは、1次元とその基準からの空間的な偏角である。(決して、1次元からの空間的な距離ではない。)
空間的な偏角は、当然ながら人間の水晶体の曲率に影響されている。
私が「パースペクティヴ」という表現を使うとき、そのような曲率と遠近感をともなった空間知覚を意味しているのである。
仏説にいわく、「迷故三界城、悟故十方空、本来無東西、何処有南北」
★
☆
私は、早くから奇妙な「幾何学」について考えていた。
ユークリッド幾何学を「陸上の幾何学」とするなら、さしずめ私の奇妙なそれは「海上の幾何学」と呼べるだろう。
小さな円形のゴムボートで海上を漂流している数学者を仮定する。
海上の波はときとして荒く、ときとして穏やかである。
しかし、どの方角へ行っても陸地はまったく見えない。
数学者の彼には、上下の区別はできても、前後左右の区別はつかない。
そんなとき、彼にはどんな「幾何学」が可能だろうか。
★
☆
SFでおなじみの時間旅行の可能性について、たとえば私が時間旅行者だとして、どれくらいの時間範囲まで旅行が許されるのだろうか。無制限に? それはまずあり得ない。
現在と未来とを無制限に往復できれば、私は世界中の富を独占できるだろう。世界中の株価を事前に知ることができ、世界中の宝くじの当たりを事前に知ることができ、世界中の天変地異を事前に知ることができたなら、私は過たず世界中の富を手に入れられるはずである。
しかし、私以外に時間旅行者がいたとしたら、その者たちもやはり世界中の富を独占することになって、結局は矛盾した結果になる。
未来に行けたとしても、どうやらあまり期待した結果は得られないようである。
では、過去に遡る時間旅行はどうか。こちらは全く不可能である、と私は考えている。
それは、過去という歴史の因果律が大きく立ちはだかっているからである。
歴史の因果律を破るような現象を、たとえそれがどんなに小さな現象であっても、人間は1度も見たことがないからである。
たとえば、私が1年前の過去に遡れるとして、遡っている間、実際にどんなことが起こるのだろうか? 考えるだけでも眩暈がしてくる。
遡っている間中、私は自分の血肉から1年分の食べ物を作り出し、口から吐き出し続けなければならない。当然、逆に肛門では…。
SFの時間旅行は、物理時間(円環時間)と歴史時間(直進時間)とを混同した発想である。
物理時間を用いた物理法則では、過去も現在も未来も対称的である。
しかし、歴史時間を用いた歴史法則では、過去と現在と未来は非対称的である。因果律は歴史法則を貫く大原理である。
歴史は物理法則を証明できるが、物理は歴史法則を証明できない。
次ページへ
前ページへ
目次へ