戦わなかった就学の話

 今よりももう少し若かった頃には「困難なことには真っ正面からぶつかっていく」タイプだったと思う。その結果、傷ついたり壊れかけたり荒れたり悩んだり……といろんな思いをした。しかし、不機嫌になればふてくされて自分の部屋に閉じこもっていればよかった独身時代とは違い、オットやコドモとの今の生活では、わたしの不機嫌やイライラはわたしだけの問題ではなくなる。ハハでありツマであるわたしが荒れていれば、オットコドモに被害が及び、結果オットもコドモも不機嫌になる。家庭だけはいつでも安らぎの場でありたいから、なるべく不機嫌にならないようにしよう、のほほーんと暮らそう!と思い始めた私は、困難なことに真っ正面からぶつかって砕け散るより「困難なこと、イヤなことはできるだけ回避する。回避して回避して、どうしても逃げ切れなくなったらちょびっとだけ関わって、またダッシュでトンズラこく(まぁお上品だこと!)」という道を選ぶようになった。

 次男の就学についても、結果として「逃げの一手」でここまできてしまった。まず、6月頃申し込みをするべきだったのかもしれない「就学相談」を受けに行かないことから始まった。明確なポリシーがあって受けなかったのではなく、先輩おかあさんたちの体験談などから「受けに行ったらきっと、イヤな思いをするだろう」と予想できたから受けなかったのだ。保育園から就学相談の勧めもあったが「就学時検診は受けますから、なにか問題があるようだったら、そこから話し合いを始めます」とおはなしして、理解していただいた。
  「受けない・拒否する」という選択肢だってある就学時検診を敢えて受けたのは、受けないことで目立ちたくなかったからだ。受けるしんどさと受けないしんどさをはかりにかけて、より楽なほうを選んだ。就学予定校の教頭先生から、就学相談を勧める電話をいただいたけれど、就学相談が任意であることだけ確認して、やっぱり受けなかった。こうして逃げ続けた結果、次男は1年1組の生徒になった。クラスが決まってからも、特に学校に話をしに行ったりもしていない。
 ココロの緊張がすぐカラダに反映してしまう小心者のわたしは、緊張の余りお腹が痛くなって、正露丸を飲んで入学式に臨んだ。子どもを教室に置いて親だけ体育館に移動するときには、心配で心配で、同じ保育園だった回りの子に「shinちゃんが逃げないように見ててね!」とお願いしたりした。しかしそんな親の心配をよそに、次男はなんとなく新入生の中にまぎれこみ、つつがなく入学式を終えたのだった。そして、教科書や帽子やその他もろもろの教材をもらって、担任の先生と個人的にお話をすることもなく帰ってきてしまった。

 1年1組から壁を1枚へだてると、そこに特殊学級がある。「障害児でも普通学級に行けるんだ」ということを知らないままに、就学相談を申し込み、就学指導委員会の判定に従っていたら、おそらく次男は特殊学級に入ることになっただろうと思う。
 『どろんこの会』のメンバーには異論のある人もいるだろうが、わたしは特殊教育そのものは否定しない。義務化以来、特殊学級や養護学校で培われてきた障害児教育のノウハウは貴重だと思う。その恩恵に浴したい人のニーズがある限り、特殊教育はあっていいものだと思っている。ただ、いろんな選択肢があることを知っていて特殊教育の場を選ぶのと、障害児には特殊教育しか道がないと思いこんで(あるいは、思いこまされて)特殊教育の場に入るのとでは、ぜんぜん意味あいが違う。思いこんでいる人、思いこまされている人の耳元で、チラッと「普通学級っていうのもアリなんだよ」とささやくのが、今後の自分の役目だと思っている。

 買い物のついでに、フェンス越しに学校の中を覗く。昇降口に、靴が1足キチンと揃えて置かれている。次男の靴だ。ちゃんと靴箱に入れなさいよ!と教室の中に念力を送る。4月15日には、はじめての学級懇談会も控えている。当分正露丸のお世話になりそうだ。(1997.4月)

《前へ》《次へ》《ほにゃららメニューへ》《トップへ》《ゲストブックへ》