転がるイガグリのように

 実りの秋。習い事から帰る道すがら、こどもたちがイガ栗を拾ってくる。「こんなの落ちてたよ」という嬉しそうな報告を聞きながら「今のわたしって、このイガ栗みたいだよな」と思う。自分ではおとなしく粛々(?)と落ちていたいと願いつつ、実はまわりにトゲトゲをいっぱいつけて、まわりをツンツンつっついている。まわりにあるものが、片っ端からトゲに引っかかってくる。
 最近引っかかってきたのは、9月26日付朝日新聞の「論壇」。自閉症児に合った教育をするために「知恵遅れ学級(原文ママ)のある学校の何分の一かに自閉症固定学級を設置する」ことと、「知恵遅れのための養護学校(原文ママ)の何分の一かに自閉症養護学校を併設する」ことを訴えるものだった。こうして「分けていく」やり方では、いつまでたってもまわりの「健常児・者」が自閉症児を理解する機会は訪れない……という危機感から、反論の投書をしようかとまで思ったけれども、さすがにそこまでの勇気はなく、パソコン通信上の会員6,000人ほどの障害関係の会議室に、「論壇」の主張に異を唱える文章を載せた。賛否両論だった。自閉症児を抱える家族には、実際にそういうニーズを持っている人がいることもわかった。分けられることを望んでいる人もいる。通信上では意を尽くせないと思えたので、深追いするのはやめた。
 「健康で、五体満足で産まれてくれれば、男の子でも女の子でもいいです…」と嬉しそうに言う妊婦さんにいちゃもんつけたくなって、でもその場の空気が凍りつくことを恐れて、ガマンしたりもした。健康で五体満足……か。わたしもかつて、口にしていたコトバのような気がする。無邪気に、なんの悪意もないつもりで。でも、今となってはこのコトバも、わたしのイガに引っかかる。

 先日、保育園生活最後の運動会があった。大きなバルーンをみんなで操ったり、和太鼓を叩いたり、という一連の競技を、shinはソツなくこなしていた……と遠目には見えた。ところが、家に帰ってから、オットが撮影したビデオを再生して驚いた。和太鼓の順番を待つ間、shinがどこかに行ってしまわないように、こっそり手をつないでいる子がいる。入場門から演技をする位置まで走っていくときに、さりげなく後ろからshinの背中を押して、正しい位置につけてくれた子がいる。あまりに自然なので、遠くから見ていたら全然わからなかったのだ。それに比べると、障害物競走の時にいっしょに走ってくれた担任の先生の好意は、なんだか押しつけがましく感じてしまった。先生、ごめんなさい。でも、shinはゆっくりだったけど、先生がついていなくても、最後までひとりで走れたと思うの。
 クラス対抗のリレーがあった。みんなが猛スピードで真剣に走る中、shinはモタモタと走った。彼には「競争心」というものがないのだ。shinが2歳の頃からずっと、保育園で彼をかわいがってくれていた現在3年生の男の子が、それを見ながら「おー。shinくんがマラソンしている」と言った。「shinくんだけ遅い」と言ったんじゃない。「マラソンしている」と言ってくれた。その妙に肯定的な響きに、shinのハハであるわたしは心を打たれてしまった。
 こどもにはかなわない。shinにとって必要最小限の援助をいちばんよく知っているのは、毎日毎日shinと関わっているこどもたちのようだ。だから、shinを普通学級に入学させようとすることに、迷いはない。迷いはないけど、わたしはやっぱりイガ栗状態だ。知らず知らず心が波立っている。11月の就学時検診、そこから始まるであろう「お話し合い」のことを考えると気が滅入る。(1996.10月)

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