大 西 清 右 衛 門 美術館

                                   (地下鉄烏丸線「御池」駅6番出口より徒歩6分)

 大西清右衛門美術館 京都烏丸三条京都伝統工芸館2004年6月8日
     
  大西清右衛門美術館の3fではビデオが上映されていました。
   1.「釜師の家に生まれて」 2.釜と炉」 3.工房風景」
    お若い大西氏が16代を継がれて大変苦しまれた御様子が映像から伝
    わりました。

    「釜座」 座は、今日、世に言われる経済的なギルドのこと。一定の場所をさし、同職の座を占めるところからこの名が生まれ、中世において専売特許のようなかたちで発展しました。京都では三条釜座以外で鋳物をすることは許されず、材料の購入、販売、その他の既得権を有し、独自の自治的な組織が出来あがりました。このようにして三条釜座は、当時としては全国に類を見ないほど大きな組織となりました。
 桃山期には八十余軒に及ぶほど栄え、三条釜座は最盛期をむかえました。祇園祭の行列でさえも釜座では会釈をして敬意を表し、江戸時代には、大名行列も槍を納めて「下に下に」の先ぶれを遠慮したと言われるほどに、格式をもっていました。
    初期の釜作は芦屋(福岡県筑前の芦屋)と天明(栃木県天明)と言われています。
 「京釜」は京作と言われ、それまでの釜が地名であったものが、作者でもって釜が作られました。
 天正年間に辻与次郎が秀吉、利休の釜師として様々な名釜を作り、天下一の称号を名乗りました。
 西村道仁は一代限り、辻与次郎の家も絶え、京釜は西村家、名越家、下間家がありました。

 大西家の家祖は、山城の国南山城広瀬村(現代の南山城村)から京都にでて大西家を興しました。上洛した当時、辻与次郎、名越浄味、西村九兵衛などの名工が活躍していました。初代浄林より現住所、京都三条釜座に居を構え、当代十六代清右衛門に至っています。(大西清右衛門美術館 より)




       


戻 る