家 元 利 休 忌
平成18年3月27日
於 表千家家元
| 利休忌は毎年3月27日に行われ、家元でも最も大事な行事です。 わび茶を大成した千家流の祖利休は天正19年(1591)2月28日七十年の生涯をとじました。以来今日まで四百年歴代のお家元がその心を受け継ぎその遺徳を偲ぶ行事です。 穏やかに晴れた暖かな日に京都お家元での利休忌に参加いたしました。名古屋駅新幹線ホームにはお着物姿で同じ仲間と見られる方が沢山おられました。8時に不審庵に到着。すでに全国から大勢の方々が参集されておられました。お包みを黄白ののし袋にご用意して受付が9時少し過ぎから始まるのをお待していると、普段閉められている表門が開かれました。受付をすませて新席でお薄一服頂きました。 午前9時頃からお家元が 若宗匠 お身内の方々と共に久田宗匠のお点てになられたお茶を利休居士の画像にお供えされ、お祖堂では大徳寺の僧侶方により読経が行われ、参詣に伺った我々はその読経を耳にしながら残月亭、九畳敷、七畳敷で10時過ぎより「廻り花」、午後から「茶カフキ」が始まるとのご案内を気長く待ちました。 参詣者は270名余りとお聞きしました。 「廻り花」は堀内宗匠と山下宗匠のご指導の下6人のお客様が竹三重器にかわりがわりお花を入れられました。前々日に家のお茶研究会で廻り花をした花材と同じような取り合わせに季節感をあじわいました。 12時半頃からお家元の執筆で「茶カフキ」が5名のお客様で行われ久田宗匠も同席されました。同じ頃新席で「廻り花」が行われたようですが、家でも「茶カフキ」をしましたので是非拝見したく、長い間じっと始まるのを待っておりました。今年は皆中者はなくなんとも残念なことでした。私が拝見しておりました所が丁度茶道口への通い口になっておりましたので、奉書と硯箱 折り据を持たれて通られるお家元様のお顔も何となく晴れないご様子に見えました。 この日は一日祖堂が開かれ、利休居士の像にお詣りしてまいりました。初めての利休像へのお詣りに感激しました。祖堂には道庫が設えられていました。 家元利休忌へ伺った次の日28日は堀内家で利休忌が行われたようですが 京都はひょうが降ったとのニュースがあり、利休の自刃された日もそんな天候だったと聞いております。 お祖堂 掛物 元伯筆 利休居士辞世写 人生七十 力イ希咄 吾這宝剣 祖仏共殺 提ル我得具足の一太刀 今比時ぞ天に抛 天正十九年仲春 甘五日利休宗易居士 花押 (じんせいしちじゅう りきいきとつ わがこのほうけん そぶつともにころす ひっさぐるわがえぐそくのひとったち いまこのときぞてんになげうつ) (本歌は冬木家から如心斎が戻され、家元に伝来している。) 居士像前ニ お茶湯 棗に濃茶・薄茶並びに精進膳供え 道庫ニ 金森得水筆 草人木百首 残月亭 掛物 印象筆 利休画像 即中斎賛 春屋宗園和尚賛写 (本歌 長谷川等伯画像 春屋宗園和尚賛) 「頭上巾兼手中扇厳然遺像 旧時姿 趙州且座喫茶底 若不斯翁争得知 ずじょうにきん かねてしゅちゅうにおおぎ げんぜんたるいぞう きゅうじのすがた ちょうしゅうしゃざきっさのてい もしこのおうにあらずんば いかでかしることをえん (頭の上の頭巾、そして手に持っておられる扇子。おごそかにおられる昔ながら のお姿。趙州和尚がいわれました。「まあ、座っていっぷくのお茶でも飲みなさい。 それは利休さんでなければ、どうして知ることができるだろうか」。) 利休居士肖像常随信男 宗慶照之請賛伽陀一絶係 上完香供云 文禄第四乙未歳舎季龝念四日 三玄春屋叟宗園」 前ニ 供茶 花入 如心斎好 伝来写唐金置 鎌倉彫花台ニノセテ 花 菜の花 書院ニ 惺斎好笹蒔絵硯箱 料紙ニノセテ 床柱ニ 竹三重切花入(廻り花用) 釜 覚々斎好 小阿弥陀堂釜 浄長作 炉縁 真塗 如心斎好桑捻梅透し腰風炉先屏風 惺斎好松ノ木スリ漆四方棚 水指 備前 一重口 茶器 りきいき(力イ希)中棗 棗ノ内(イ) 茶杓 そったく斎作共筒 茶の湯道歌 建水 萩焼 伝来白瀬戸写 蓋置 惺入作 白萩チキリ 九畳敷 掛物 大龍和尚筆 利休が居士号を賜った折の古渓和尚賀頌写 利休が正親町天皇から居士号を勅許された折の古渓和尚賀頌 「泉南之抛筌斎宗易猶予三十年飽参之徒也云々」を、如心斎の参禅の師大龍和尚が写され たものです。本歌も家元に伝来しています。 御仏間 掛物 如心斎筆 利休宗易居士号 前ニ 三田青磁小耳付花入 七畳敷 掛物 如心斎筆 名利頓休 利休の号の出典だといわれている語を利休を慕いその業績を追い求めた如心斎が書き下ろ したもので、名声や利益を追い求めないという意味です。 寄付(新館) 掛物 如心斎筆 発句 元伯影像を拝して 「百五十年の春も居士衣の光かな」 前ニ 箱書付並べ 松風桜 掛物 如心斎筆 利休ケラ判 利休居士の花押で俗にオケラに似ているので、ケラ判と呼ばれていますが、それを如 心斎が書いたもの。 琵琶台ニ 了全造切溜花入写 即全造 花 木蓮 香合 青磁木魚 釜 裏甲 浄寿作 炉縁 白壇塗 即中斎好霞切箔風炉先屏風 水指 瀬戸染付大瓶 紀州候ヨリ拝領 大板シキテ 茶器 力イ希棗ノ内 大棗(力) 力イ希棗(りきいきなつめ) 利休形の大中小棗に、それどれ利休の辞世の句より「力」「イ」「希」と吸江斎が棗の 蓋裏に黒漆で直書されており、利休居士二百五十回忌の茶事の時に追慕のために 出来たものです。 大棗は松風桜で、中棗は残月亭で、小棗は新席で使われます。 替 大雪吹 碌々斎在判 茶碗 弘入作 禿写 長次郎作の黒茶碗で利休が気に入り常に自分の手元に置いて愛玩していたところか ら「禿」と銘を付けられた本歌は家元に伝来し、茶事などにつかわれそれを弘入が写 したもの。 替 呉器 銘一松 茶杓 碌々斎作 即中斎追銘 西江水 建水 唐銅エフゴ 蓋置 弘入作 黄つくね 新席 掛物 大龍和尚筆横物 西江水 如心斎筆「利休参得語ナリ」ト奥書アリ 西江水というのは中国の揚子江のことで、揚子江の水を一口で吸い尽くすほどの気構 えが必要だという意味です。この言葉で利休が悟りを開いたということを大龍和尚がこ の掛け物に「利休参得語ナリ」と奥書きされています。 前ニ 桐木地丸卓 天板ニ 惺斎好紫交趾瓜香炉 妙全造 地板ニ 唐銅竜巻花入 床の中央には、利休形桐木地丸卓の天板に惺斎好紫交趾瓜香炉が供えられ、桐木地 丸卓がまだ棚として使われていない頃の飾り方 脇棚ニ 利休居士二百年追悼偈巻物 鎌倉彫軸盆ニ 釜 繰口丸 浄長作 炉縁 黒掻合せ塗独楽ツナギ如心斎 即中斎好日月風炉先屏風 惺斎好春慶塗旅箪笥 利休形旅箪笥を春慶塗に塗られた物で毎年新席で使われる。 水指 惺斎好 萩焼末広 茶器 力イ希棗ノ内 小(希) 茶碗 弘入作 織部写 替 萩焼 早船 茶杓 嵐山桜の木 銘 大悲閣 建水 碌々斎好 大樋焼エフゴ 蓋置 犬山焼 赤絵チキリ 覚々斎好朱網絵喰籠 菓子 おぼろ饅頭 虎屋製 以上 (同門平成16年5月号、17年5月号より) |