Welcome to Raw is Dolie!

WWEのスーパースターたちのインタビューを、Dolieが超訳しています。

2006年4月

【本日のCafe de Rene 2006.04.03】
アメリカではレッスルマニア開催。ジョン・シーナ、Mike Mooneyham(ジャーナリスト)に抱負を語る。
「5年前までは考えられなかった。5年前、トレーニングできるレスリング・スクールを見つけただけで、嬉しかったんだ。この1年学んだのは、タイトルを狙 う方が、保持するよりもずっと簡単だってことだな。チャンプになったら色んなことがかかってくる。24時間働きづめさ。色んなことを考慮しなきゃならね え。挑戦者は、タイトルを狙うってことだけを、考えてればいいんだからな。
 過去のレッスルマニアを振り返ってみるに、防衛したっていうのは少ないね。それにこれは俺の初めての経験なんだ。だけど、俺は全力で準備したさ。あとは、最高の試合をするだけだ。
 ブーイングを受けることは、ある意味、俺をもう一つ上のステージに上げてくれる機会だと思ってる。かつてのカート・アングルがそうだった。今、彼はファ ンの土台を作ることができてる。HHHだって長い間やって、そうなってるんだ。俺に対してファンの反応が入り混じってるのは、むしろ楽しいね。毎夜何が起 こるのかわからないのは、俺だけじゃなくてみんなそうだ。2大スーパースターが大イベントで対決する、それだけで十分さ。そして俺は、最高の試合をするこ とを心がけるだけだよ。
 マーチャンダイズがよく売れてるのは、俺が考えて、俺のキャラクターに沿うようにしてるからさ。最新の「Hustle, Loyalty, Respect」ってえのは、俺にブーイングしたって気にしない、俺がプロトタイプでハードにやってたことを知ってる人たちに、プライドを持って着てくれって言ってる。頑張ってる限り、人を感動させるって思ってるさ。
 俺は、愛と鞭っていう旧式の育てられ方をしたんだ。小さい頃から、自分で頑張らなきゃ何も得られないんだぞと教わってきた。俺は俺、オーソドックスなレ スラーじゃない。俺であることに自信を持ってる。そして沢山のロードをこなし、WWEを広めるために世界中を回った。俺が嫌いでも、俺たちが素晴らしい ショーを作ってることを知ってもらうためにね。
 映画撮影は上手くいったよ。初めての経験で、ライブのショーとはまったく違ってた。挑戦だったけど楽しかったぜ。エキサイティングで楽しい映画に仕上 がったから、金を払って見る価値はあるさ。これは俺だけじゃなくて、WWEにとっても一つのステップだと思ってる。まだ色んなプロジェクトが控えてるが、 映画産業に行くつもりはない。リングが俺のいる場所さ。
 毎晩ラップをするっていうのはやめたかったし、ジャージを着るのもやめて、自分のマーチャンダイズを着ることにした。唯一のピップホップ・スタイルは、 リーボックのスニーカーとバギー・ジーンズで、あとはジョン・シーナを見てくれ。ヒップホップで上手くいったんで、やらなきゃだめだった。誤解しないでほ しいけど、俺はヒップホップは大好きさ。だけど、それが俺の目標じゃない。ヒップホップと同様、スポーツ・エンタテイメントを愛してるんだ。俺はラッパー としてじゃなくて、プロレスラーとして覚えてもらいたいのさ。
 首脳部はみんな支持してくれてる。ブーイングを受けても、自分自身でいろって、ダスティ・ローデスがアドバイスしてくれた。俺はダスティをすごく尊敬し てるんだ。親父が大ファンだったし、彼も俺と同じような道を通ってきたんだからな。彼のアドバイスは貴重だよ。まだまだ学ばなきゃならねえことが沢山あ る。ようやく自分ってものができはじめたとこなんだ。だけど、これからもどんどん変わって、進歩していきたいね。
 みんなが貴重なアドバイスをくれる。みんなが俺がこの仕事が好きだって知ってる。俺たちのやってるショーが素晴らしいんだって、みんなに報せたい。それだけは、変わらない気持ちだ。
 若いハングリーな連中で才能のあるやつは多いけど、カリートが上昇志向があるし、まだ十分に使われてないと思ってる。もし未来を予測しろって言われた ら、カリートが業界の未来で、ビッグになってるって言いたいね。俺の10年後の未来は……レッスルマニア32に出ていたいさ。未来は闇に包まれてるけど、 この仕事を愛していて、ずっと続けていたい。リック・フレアーみたいになりたいって願ってるよ」


【本日のCafe de Rene 2006.04.05】
ブレット・ハートはOff The Recordで語ったようです。こんな感じのことを言ったとか。
「レスリング殿堂入りを承諾するのは、難しいことじゃなかった。だけど、実際に出るとなると、色んな感情が湧いたし、色んなことがあったから、ちょっと大 変だったね。申し出があったら、受けるつもりでいた。だって、俺にはその資格があるんだから。ただ、どうするかはその時になってみないとわからなかった な。断ろうかとも思ったけど、ヴィンスから電話があって、決めたんだ。
 HBKは来ないって言ってたのに、嘘をつかれたよ。俺は、HBKを許すつもりはない(はああ〜←いや、こりゃDolieの溜め息ですわぁ)。HBKに よって、俺は色んな意見でひどい目にあったんだからね。オースティンとは話したよ。俺たちゃホーガンは無視した。俺が昔にやられたことだったからね、90 年代にタイトルを獲った時、ホーガンに握手を求めたんだ。だけど彼は無視した。同じことをやり返すのは、楽しかったさ、ハハハハハ(はああ〜)。負け犬み たいにしっぽを巻いて去っていったぜ。
 殿堂入り式は、登場すると、色んなことを思い出した。でも思ったより感慨は少なかったかな。もっと沢山の人にお礼を言う時間があったらよかったのにと思う。俺が出た時、観客はエディのことで泣いてたな。
 俺はアーティストだったと思ってるんだ。HBKはハードに働いた。ホーガンは観客に大人気だった。フレアーは長くやってる。でも俺はその誰よりもすごい レスラーだと思ってる。一緒にやってて楽しくて、安心で、完璧なレスラーだった。スティーブも数日前にそう言ってくれたよ。俺と闘うって夜は「お、今日は 休みみてえなもんだな」って思ったってね。俺は俺と闘いたかったね。HBKと話し合って仲直りするつもりはまったくない。握手をした次の瞬間に裏切られ るってことが、何度もあった。彼は嘘つきだからね。俺に謝ったって主張してるみたいだけど、謝ってもらったことはないさ。」
カルガリー・サンのインタビューでは、
「今でもレスリングは見てるけど、WWEはイマイチだね〜。際どいディーバやソープオペラ満載で、うんざりって気がする。だけどカート・アングルとクリ ス・ベノアは好きさ。TNAにもいい連中がいて、時々面白いよ。だけど、TNAでやろうとは思ってない。話が来たら考えてもいいけど、サブで出るのは ちょっとねえ。パイパーやフレアーはやってるし、批判するつもりはないけど、俺はそうはなりたくはない。マネージャーやコミッショナー、アナウンサーとし てじゃなく、偉大なレスラーとして記憶に残りたいからね。
 殿堂入りの話は、俺が脳震盪で入院した時にヴィンスからあった。だけど、車椅子姿で登場するのは嫌だった。幸いなことに、十分に回復できて良かったよ。
 金は受け取っちゃいない。みんなが5千ドル貰えるんだけど、レッスルマニアに出なきゃならないんだ。俺はそのつもりはない。5千ドル受け取ることはできただろうけど、殿堂入り式に出て、2、3言例を言いたいだけだらからね。
 DVDは出したけど、WWEを許したわけじゃない。俺を覚えて欲しかったから、DVDを出したんだ。悪いイメージだけで覚えられたくはなかった。DVD を見てくれたら、今やってるのよりずっと素晴らしいレスリングが見られるさ。色々と悪感情は持ってたけど、脳震盪で倒れてから、そいつを捨て去ることがで きた。ただ、ああいったことが起こらなかったら、脳震盪障害にもならなかっただろうけどね。でも、過去は変えられないさ。
 WWEはTVでさんざんモントリオール事件を流して、自分たちの主張をしてたけど、気にしないことにした。それに煩わされてるってわかったら、もっとや るだろうからね。個人的にはいいアイデアだとは思わないけど、さんざんやられたから、俺は少しタフになったよ。俺は決して忘れないけど、もっと大事なこと がある。彼らは好きなことをするだろうし、もうそれに煩わされたくはないね。でも、いまだに「You screwed Bret」のチャントがあるのはいい気持ちだよ。古いファンも新しいファンも、何があったか覚えててくれてるんだ。俺は偉大なカナダ人の39番目に選ばれ たんだ。ヴィンスとアメリカに反抗したってことでね。俺にとっちゃ、あれはストーリーではなかった。オースティン対ヴィンスは、ストーリーだったけどね。
 もしレスリングが出来るのなら、対カート・アングルがいいな。ロックともやってみたい。ロックもHBKに対しては俺と同じ思いじゃない? ずいぶんとひどい目に遭わされてたからね。
 今、自伝を書いていて、もうすぐ終わりそうで、クリスマスには出せるだろう。それで俺も幕を閉じるつもりだ。その後は、演技の仕事や本の仕事に関わるつもりでいる」
ジムナイ(シェイン・ツィンズ)はトッドとマイクなのですね。二人がThe Register-Mail.comで言ってることをまとめると(←二人一緒にするんかい?!)、こんな感じ。マイクの方は結婚していて、2人の息子がいるそうです。
「子供の頃から、じいちゃんがAWAに連れてってくれて、俺たちはレスリングをやりたいって思ってたんだ。でもどうしたらいいのかわからなくて、ハイス クールはテニスをやって、その奨学金で大学に行った。卒業後お互いに仕事に就いたけど、レスリング・キャンプを探した。レスリング・キャンプって無茶苦茶 だよ、3千ドル必要なのに、仕事の保証はされてないんだ。ディーン・マレンコが運営してたんだけどね。
 その後IPWでやって、日本、スペイン、ガム、ペルー、プエルトリコなんかでやった。日本でやるのは、ファンが夢中になってくれるから、すごくいい経験 だよ。だけど、12時間もフェリーに乗っていかなきゃだめなショーもあった。オープン・スペースのカーペットの上に雑魚寝して、枕も買わなきゃだめなん だ。アメリカじゃ大スターなのに、みんなカーペットの上で雑魚寝の経験を持ってる。
 日本でのロード・ウォリアー戦が、俺たちをブレイクさせてくれたけど、俺(トッド)が気絶して、マイクがほとんど闘った。試合が終わって、俺は「まだレスリングするの?」って訊いたくらいさ。
 2002年にNWA-TNAで働いて、契約するからねんと言われて、そのままだった。ジェリー・ジャレットが嘘ついたんだけど、ま、プロってそういう世 界だしね。その後WWEから連絡があった。その時300ポンドあったんだけど、275ポンドに減らせって言われたんだ。ヴィンスとジョン・ロウリネイティ スの前で、1分間の試し試合をしたよ。ヴィンスが「彼らは双子か? 体重を落としたか? じゃ、雇うんだ」と言って、決まりさ。
 俺たちゃツィンで、アスレティックな動きをする。「ジム」がネーミングの由来さ。ブーイングを受けてるけど、それがいいね。いつかタッグ・タイトルが獲りたいよ」


【本日のCafe de Rene 2006.04.18】
ジョン・ハイデンライクは、
Voice of the Wrestlingで語ったようです。
「ロドニィ・マックとジャズの団体で働いたり、他のインディでやったりして忙しいよ。だけど、レスリングがしたいんだ、日本、TNA、どの団体でもかまわない。みんなからどうしてWWEをやめたんだって言われるのは辛い。だって、実質的にはクビになったんだからね。
 ハウスショーに出た後、耳が痛みだした。次の目的地までドライブして行こうとしたんだけど、できなくなって、雪荒らしの中車の中で一晩過ごしたよ。翌 朝、耳から出血し始めたんで、慌てて救急車を呼んだんだ。1日半病院で過ごしたけれど、ハウスショーには行けなかった。次のショーに出ようとしたけど、 WWEは1週間の休みを取れと行ってきた。で、その次の週にクビを言い渡されたのさ。俺を使う予定がないという理由だった。ハリケーン・カタリーナの時 は、家族や両親と離れて、一度もハウスショーを休まずに頑張ったってえのにね。だから、俺がハリケーンのせいでやめたっていう噂は、まったくの嘘さ。
 最初WWEをクビになった時は、UPWからOVWに呼ばれて、頑張ってやって、ハウスショーに出るようになってた。だけど肩を怪我して4度手術をしなきゃだめになって、リハビリして戻った時にクビを言い渡された。 言われた理由は同じだったよ。
 俺が詩を書くアイデアは、実際に飛行機の中でポール・ヘイマンの横に座って詩を書いてたんだ。で、ポールがそれを見て、「おまえがほんとに書いたの か?」って聞いた。「そうだよ」って答えると、彼はビンスに話を持って行ったんだ。ポールと一緒にやって、すごく上手く行ったけど、ベビーになってポール と離れたんだ。TVに出られる限り、ベビー、ヒール、どっちでもかまわない。でも、もうちょっとヒールをやっていたかったな。
 その後アニマルと組んで、いい感じで行ったと思う。でも今から思えば、あれはLODのDVDを売るための戦略だったんだね。だからすぐに別れさせられた。レッスルマニアでタッグタイトルを取り戻すようにするって言われてたのにね」



【本日のCafe de Rene 2006.04.20

チャーリー・ハースは復帰について語る。WWE.comより。
「WWEを解雇になったその日に、ジムに行ってハードにトレーニングを開始した。いつか復帰してやるんだと思って、諦めなかった。諦めないでやり続けるこ とが大切だってわかったぜ。ロウに戻ってこられて、満足してる。WWEに復帰したかったんだ。この9ヶ月、日本、イタリア、イギリス、アメリカと、世界中 を旅してシングル・プレイヤーとしての力量を磨いてきた。NFLの殿堂入りプレイヤーのランディ・ホワイトともトレーニングして、ありとあらゆることを やってきたさ。彼は大きなショーでどうやってリラックスして精神を保つかも教えてくれた。おかげで、いい復帰が果たせたと思う。呼び戻してくれたWWEに 感謝してる。
 最初の時は、神経質になってて、全部を完璧にやろうとプレッシャーをかけてた。だけど、俺は俺だと今は思える。自信が溢れてるし、やってることを楽しむことができるようになった。
 WWEに対して批判的なことを言ったが、ハネムーンから帰って来た時に、クビを言い渡されたんだぜ。そりゃ、無茶苦茶腹が立っていたさ。ワイフと一緒にクビになって、いきなり無収入になったんだからな。でも、戻って来れたのは嬉しいよ。
 連絡があった時は、天にも昇る気分だったさ。努力が報われたんだって思ったね。今度こそ上手くやってやると思ったさ。海外でやったことは、いい経験に なった。日本はまったく雰囲気が違ってた。おかげで新しいスタイルが覚えられた。ヨーロッパはテクニック重視だし、イタリアはまた違ってる。そんなのを ミックスしてやっていけるようになった。
 ロウに登場することになったが、家に帰って来た気分だ。スマックダウンで沢山のことを学んでいたし、ロウでもそうしたいね。ファンが俺を覚えててくれて るかどうかはわからなかったが、いい印象を与えたかった。みんなが応援してくれてたと思う。新しいチャーリー・ハースが見せられると思ってるけど、前回よ りもずっとリラックスしてる。自信もある。セカンド・チャンスが与えられたことに、感謝したいね」


【本日のCafe de Rene 2006.04.26】

ハードコア・ホーリー、感染症で腕切断の危機にも会ったようですね。現在は家で闘病中で、日に2度、抗生物質投与を受けているとか。感染症が起きた最初の 時、抗生物質で治まったので、重視していなかったことが問題だったもよう。エディ・ゲレロが亡くなった週のことで、ドクターたちの意見も違っていたので、 彼は海外ツアーに出たようです。感染症は肘から骨に広がったとの話。最初の肘の手術は指にしびれがきたことで行ったようですが、それがすべての原因となっ てしまったとか。ただ、手術を受けていなかったら、腕を失っていたか死んでしまった危険性もあったとか……大変なことだったのですね〜。
抗生物質投与で気分が悪い上に、体重も失ったとか。でも、復帰をするつもりだと、気概は失っていません。ファンの支えは嬉しいし、首の手術からも復帰したように、強くなって復帰するからな、とのことです。
WWEチャンピオンになったレイ・ミステリオ、WWE.comで語る。
「ちっこい頃からレスラーになりたくて、レスリングのテープを見てたし、叔父貴や有名なメキシコ・レスラーとトレーニングして来たんだ。メキシコじゃレス ラーになるにはライセンスが必要で、テストに合格しなきゃならないんだ。15でファンの前でレスリングをしたけど、ライセンスが取れるのは18からだっ た。でも、親の保証をもらったりして、ライセンスを取ったんだ。17になって、コナンのAAAからお呼びがかかった。コナンはメキシコ・シティでやってた んで、親や彼女と離れるのが嫌で迷ってたんだけど、プロになりたいだろっていう彼の一言で心を決めた。だけどAAAじゃ、ちっこいからミニ・レスラーでや れって言われた。ミニはミゼットより大きいけど、ヘビー級連中とは闘えない。コナンが擁護してくれて、チャンスを与えてやれってことになった。TVのテー ピングでシコシス、スペル・カロ、ヘビー・メタルとやって、ファンに印象づけて、プロモーターも認めてくれたんだ。
 みんなが俺はメインを張れないって思ってただろう。でも、俺のキャリアを知ってくれたら、敬意を持ってくれると思う。俺を疑ってるやつらを見返してやろ うと、返ってやる気になるね。WWEヘビー級チャンピオンにふさわしいって、証明してみせるさ。ファンの応援が力になってる。みんな、俺を信じて支えてく れたんだからね!」



【本日のCafe de Rene 2006.04.27】

マイケル・コールはWWE.comのマネージング・エディターに任命されたようです。「エキサイティングで、みんなが朝起きたら真っ先に開きたいっていうウェッブ・ページにしたいよ」と豊富を語る。
レイ・ミステリオの膝の状態は、かなり良くないとの噂。今のところお休みは取らないようですが、バティスタの復帰に合わせて手術するのでは、との噂。ま、噂に過ぎませんが。
元ディーバのクリスティ・ヘムは、ホラー映画やラジオ、モデルにと大活躍ですが、「TNAに入れて、レスリングに戻ってこられてすごくハッピィ、あたしは100%TNAガールよ」と宣言。


過去のRaw is Dolieへ

ホームにもどる