第三話「仮面」
号令で席を立ち礼をすると、一斉に喧噪が教室を満たした。
栞の検査から二日経った今日から授業が始まり、午後も学校がある。
ゆっくり席に座わって教科書を鞄へ仕舞うと、昼食を摂る時間であることを思い出す。
「香里はお昼どうするの?」
背中からする声は、やはり水瀬さん。
「学食よ」
初めて使う施設に、少し気が高まっているかもしれない。
そこで会話が止まり、水瀬さんは何かを待っている様にしている。
「ええと、名雪も学食なの?」
「うん。本当はお弁当を作ろうと思ったんだけどね、下ごしらえが失敗してて」
朝になって、中止にしたという。
鞄へ入れていた財布を持って立ち上がり、ふと思いついた意地悪を言ってみる。
「本当は寝坊したんじゃないの?」
「う、それもあるかな…」
苦笑いを浮かべて認めていた。
「それじゃあ行きましょう」
「うんっ」
廊下へ出ると、風圧の塊が目の前を駆け抜けて行く。
上級生に見えた。
「あ、急がないと席がなくなっちゃうのかも」
釣られたように足を弾ませる水瀬さんを、肩を掴んで引き止める。
「廊下を走っちゃいけないわよ」
「あ、そうだね…」
それは優等生を気取るつもりで言ったんじゃない。
むしろ、いつものあたしなら一緒に付いて行ったかもしれない。
理由は、歩くたびに右足へ走る鈍い痛み。
一昨日、さくらちゃんに飛びかかられた栞が転び、それに巻き込まれて軽い捻挫を負っていた。
当時、何もなかった風を装ってしまったので、意地を張ってまだ誰にも言ってない。
特に、日ごろ病院と縁のある栞や家族には言いづらかった。
「なんとかなったね」
そうねと答えてトレイを置く。
食堂は賑わっていたけど、横並びで二つの席が確保できた。
いただきますとお箸を持って、切れ切れな雑談をしながら狸そば定食。
そういえば、今日の授業で水瀬さんに聞きたいことがあった。
「四時限目の途中、寝てたでしょ?」
水瀬さんの顔が、急に色の無いものになる。
「うん、ちょっとだけね…」
「あのとき、うなされてなかった?」
授業中なので振り向くに振り向けず、終わりの鐘が鳴るまで気になってしまった。
「そのね、金縛りに遭ったんだよ…」
あたしは少し考えたあと、声を殺して笑い出す。
「ひどいよ。怖かったんだから…」
「だって、授業中に金縛りなんて聞いたことないもの」
あの時、先生の隙をついて振り向けば、珍しいものが見られたのね。
「ところで、部活はもう決めた?」
相当金縛りが嫌なのか、無理矢理に話題を変えられる。
「手芸部にしたわ」
見学に行ったときの事を思い出す。
「そういえば、猫のクッションをもらったわね」
「え!?」
付け加えた言葉に、顔を上げて大げさに反応する。
周りから集中した視線は、数秒もたたず分散していった。
「猫さん、もらったの?」
「クッションよ」
何か勘違いをされているみたいなので釘をさす。
すると、止まっていた彼女の箸から、マヨネーズの掛かったトマトが落ちた。
「わたしも手芸部にしようかな…」
空のお茶碗に入ったトマトを取り直しながら呟く。
「陸上部の部長さんに挨拶したんじゃなかったの?」
「うー…」
そう唸りながら、じぃっとあたしの顔を見つめてくる。
「もう人にあげちゃったわよ」
がっくりとうなだれ、トマトを口へ運んだ。
しばらくしてそれを飲み込み、またこちらへ顔を向ける。
「わたしたち、友達だよね?」
はっきり聞いてくるのは、困らせようとしている様にも見える。
「どうかしらね」
すると水瀬さんは不満そうに口をすぼめた。
あたしはこの仕草が誰かに似ていると思って、顔がほころぶ。
すると、からかわれたと思ったのか、イジワルと言って最後に残ったお皿に手を伸ばす。
「いっちご〜」
それまでの会話をもう忘れたのか、幸せそうにデザートを食べ始めた。
最後の授業は体育だった。
さすがに足の怪我では出られないので、先生にだけ本当のことを言って見学。
やっぱり病院へは行かないと。
ホームルームも終わり帰ろうと立ち上がると、右肩に押し潰されるような力が掛かり、足が悲鳴を上げた。
「あれ!?」
たまらず屈み込むと、すぐそこで水瀬さんの声が聞こえた。
「ごめんなさいっ。…もしかして、怪我しちゃった?」
いつまでも右足を押さえたままだったので気付いたのだろう。
あたしへ合わせる様にしゃがんでくる。
「…もともと怪我してたのよ」
痛みを振り切り、左手を机にかけて立ち上がろうとすると、もう一方の腕を暖かいものが支えてくれた。
「保健室、行く?」
耳元に水瀬さんの声が掛かる。
「これから病院へ行くから」
「じゃあ送るよ」
思っても見ない答えだった。
「部活は出なくていいの?」
「まだ見学期間だから」
あたしもそうだ。
「でも、保険証とか取りに帰らないといけないし」
「つきあうよ」
水瀬さんが家に来る。
抵抗感が生まれた。
今まで友達を家へ連れて行ったことはないし、話を持ちかけられても、考える前に断ってきた。
なぜそうしてしまうのか、理由は分かっている。
しかし、深く考えようとすると、分からなくなる…。
「行こっ。支えるよ」
水瀬さんは二つ目の鞄を持ち上げて言う。
家の中に入れなければいいか…。
いつもよりもだいぶ時間を掛けて帰宅。
鍵を取り出し玄関を開け、誰かいる方が珍しい日常に、いつも通り足を踏み入れた。
「おじゃまします」
後ろから掛かる声に思わず眉をひそめ、それを見つけられないよう顔を動かさずに言う。
「保険証取ってくるから待ってて。鞄はその辺りに置いておいて」
「わたしが持っていってあげるよ。二階だよね」
水瀬さんは自分の鞄を下駄箱の横へ置き、どんどん上がり込んで階段を昇り始めてしまう。
保険証のある居間へ足を向けていたので、すぐに引き留めることができなかった。
「ここかな? かわいいプレート…」
「やめて!!」
階段の上で追い付くと同時に叫んでいた。
「出てって! あたしたちの事は放っておいて!」
痛む足も気にせず、鞄を奪い取って感情の波を吐き散らす。
「え、えっと、ごめんなさい」
横を抜け視界から消える。
そして階段を急ぐ音と、ドアがゆっくり閉まる音。
怒鳴りつけたまま動かなかったので、最後にどんな顔をしていたのか見ることができなかった。
そして苦いものが込み上げてくる。
何やってるんだろう。
栞は朝から検査入院している。
部屋を少し覗かれるくらいで、追い出すことはないじゃない。
それに、ドアの前に鞄を置こうとしていただけなのかもしれない。
『栞』と書かれたドアプレートを持つ。
あたしはこの子を不安にさせないため、いつも平静を装ってきた。
それが自分の顔だった。
…そう、栞の事だけじゃない。
あたしが恐れているのは、仮面を剥がされて素顔を晒すことなんだ。
to be continued...
作:Chaki-EL
2003/11/1
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