休まない翼  愛



「ルクレツィア・・・・・」
広い洞窟に、ヴィンセントの声が響く。
「ここに居るんだろう、わかっている。」
滝の裏側にあるとは思えない程、ひっそりとしている祠の内部。

「・・・・仲間は誰もいない。
皆、自分の場所へと戻っていった。
・・・・・自分自身の『戦う理由』を探して。」

静まり返る洞窟。滝の音が遥か遠くに聞こえるだけ。
意を決したように、息を吸い、告げる。

「・・・明日、セフィロスに会いに行く。」

ぼうっと光が天井から差してくる。
まるで天使が舞い下りてきたかのように、光の中に現れた女性は微かに頷いた。
「・・・・・・久しぶりね。」
「少し、痩せたな。」
「貴方も。」
静かに微笑み会う。
「もう二度と、ここには来ないと思っていたわ。」
「私もそのつもりだった。」
「では・・・・何故?」
「戦う理由を・・・求めに来た。」
女は、笑顔のまま、頷いた。



「宝条を、殺した。」
「・・・・わかっていたわ。」
陽炎の様に揺らめく女の姿。
「貴方が眠っていた時から、そう感じていたの。きっといつか、貴方は宝条に復讐するに違いないって。」
「復讐・・・・・・・。」
暫くの沈黙の後、ヴィンセントは微笑った。
「復讐では・・・・なかったよ。」
「いいのよ、今更。あなたは宝条の犠牲者なのだから。」
「宝条には、感謝している。」
「え・・・・?」
戸惑い、見開かれる大きな瞳。
こみあげてくる懐かしい想いに、ふと心がざわめく。


「仲間によって悪夢から目覚めた時、私の心はあいつへの復讐の念で一杯だった。
私の手で一日も早く復讐してやりたい一心で、旅を続けていた。」
左手のガントレットが無意識のうちに握り締められる。
「あなたを陥れ、決して許されぬ永劫の罪を無理矢理荷担させ・・・そして、私の罪に汚れた肉体に更に黒々と・・臆病者の罪の証を刻み付けた、あいつを・・・・いつか、私の手で殺してやると・・・」
一言一言、噛み締めるように呟く。
「だが、旅を続ける間に、私は、気付いた・・・いや、気付かされた。私にとって、戦う事は、私の背負っている罪の贖罪の為だと。」
静かにたたずんで、ルクレツィアは聞き入る。柔らかい笑顔で。
「刻まれる時に背を向けて、一人罪を抱えて立ち止まっていた私に、進むべき道を指し示し、背中を押してくれる仲間がいた。彼は・・・・罪におさえつけられていた私を、解き放ってくれた。」
静かな洞窟の中に、ヴィンセントの声だけが響き渡る。
「彼は、私に言ってのけた。
過去に犯した罪は、未来で償えばいい、と。
罪を償う機会を残した宝条に、感謝しろと。」
その言葉を聞いた女は、笑顔のまま、頷いた。


「あなたは・・・・すべてお見通しだった。」
ヴィンセントはルクレツィアを見上げる。
「セフィロスが死んだと嘘をついたのも、全部分かっていたのだ。
だから、私に、最強の銃と、最強の異形を委ねた・・・・・神になろうとしている者を倒す力を。」
ルクレツィアの微笑みが、哀しい影を帯びた。
「それが・・・・私にできる精一杯の罪ほろぼしですもの。」
「ジェノバの落とし子、セフィロスをも倒せるこの銃。
・・・・・・・もちろん、その生みの母親も・・・・。
この銃を私に託した意味も、やっと理解できた。」
デスペナルティを掲げ、ヴィンセントは言葉を続ける。
照らし出される鈍い銀色の銃身。
「あなたはもう十分償った。
あなたへの罰は、私が・・この身に引き受けよう。
もう永劫の時を罪を抱いて苦しむことがないように。」
ゆっくりと、微笑みながら、ルクレツィアは頷いた。
瞬きもせずその笑顔を見上げ、ヴィンセントは張り詰めた声で告げた。
「ルクレツィア、私はあなたを愛していた。
しかし、私の臆病な愛は、あなたの救いにはならなかった。あなたが、ひどい苦しみに堕ちていくのを、私は見ているだけだった。
そんな情けない私に、あなたは最後のチャンスをくれた。
あなたの望みを・・・・かなえることが、私のせめてもの罪滅ぼしだ。
私の罪が一つ増え・・・・・あなたの罪はここで消える。」
デスペナルティの銃口が、ゆっくりとルクレツィアの胸へと向けられた。
「セフィロス・・・・・・・あの子も連れてきてね。」
「・・・・・・・・約束する。」
デスペナルティを持つ右手が微かに震えるのを、ガントレットを付けた左手が支える。
「ありがとう・・・・・ヴィンセント。
最後の最後まで、貴方を苦しめて・・・・ごめんなさい。」
「謝るのは・・・・私の方だ。
あなたへの贖罪をこんな形でしかできなかった・・・・」
ルクレツィアの眼から涙が溢れる。
「泣いて・・・・いるのか?」
「嬉しくて・・・・。もう、苦しまなくていいなんて・・・
セフィロスに、・・・・・あの子に・・・・会う事ができるなんて・・・・・・・
ありがとう、ヴィンセント。そして・・・・・」





・・・・・・・さようなら。

 



洞窟の中に、ただ一発、銃声が響き渡った。

 

 

 




輝いていた光はかき消え、薄闇がヴィンセントを包み込んだ。銃を力無く下ろし、贖罪の結果を見る為に、よろよろと歩きだす。
先程まで光り輝いていたその場所には、彼女の姿は影も形も無かった。
・・・・彼女の残り香が漂う、白い衣の他には。
衣を手に取り、微かに焦げた匂いのする銃弾の跡を確かめる。その場に凍り付いたように、ヴィンセントは立ちつくしていた。

 

 

 


どれくらいの時間が経ったのか。洞窟の外は、既に茜色に染まっていた。
「おう、やっぱりここだったのか」
夕焼けの赤い光に長く伸びる、男の影。
聞きなれた声を聞いた途端、白い衣を握り締めたまま、崩れ落ちるように座り込む。
「おめえさんの乗ってたチョコボが勝手に戻ってきてたんだ。心配になったもんでよ、散歩ついでに・・・」
言葉は途切れ、ただならぬ表情のヴィンセントに、足音が近付いてきた。
青ざめた顔に気が付いたのか、探るように見つめてくる、蒼い瞳。
硬直した右手から、白い衣を取り上げると、シドは、ヴィンセントの横に座りこんだ。
ただ、黙ったまま。

 


洞窟の中まで、月の明るい光が差し込んできた。
「・・・・・・苦しいんだろ。」
長い沈黙を、シドの呟きが破った。
俯いたままの頭が微かにうなずく。
その頭にそっと大きな手が置かれ、優しく撫でる。
「泣けよ。俺様が許すから。
泣いて、すっきりしちまえよ。」
返事はかえらない。
シドはふっと笑みをもらした。
「・・・・・・・涙も出やしねえ、か。
あんまり悲しいと、泣けてもこねえもんだよな。」
シドの言葉だけが、岩肌に吸い込まれていく。
「泣けないなら、眠れ。眠っちまって、全部夢だったことにしてしまえ。」
無言のままのヴィンセントに、シドは、出し抜けに声をあげた。
「子守り歌、歌ってやるからよ。」
あまりに突拍子な言葉に、ヴィンセントは思わず顔をあげた。
「こもり・・・うた?」
きょとんとした瞳に見つめられ、頭をがりがりかきながら、シドはあわてて打ち消した。
「へ・・・へへっ、お前さんをなんとかしてやろって思っただけで、口から出任せ言うもんじゃねえよな。・・・・・歌なんて一つだって出てきやしねえ。」
鼻の頭をひとさし指でこすりながら、シドは恥ずかしそうに笑った。
思わず、ヴィンセントは泣きそうな笑顔をこぼした。シドの言葉のもつ温かさが、胸へと伝わり、凍り付いたヴィンセントの冷たい心を少しずつ溶かしていく。

「いや・・・・・一つだけ、ある。」
シドは短くなった煙草をもみ消しながら、深々と煙を吐き出した。
「どこの歌かもわかんねえんだけどよ。俺様がまだ神羅の空軍の訓練生だったころの相棒が、よく歌ってたんだ。そいつは・・・ユフィが聞いたら怒るだろうけどよ・・・・・・ウータイ出身の田舎者でさ。おめえみたいに、純粋で、真面目で一途で意地っ張りで・・・・・間抜けな所もある愉快な奴だった。」
ふと、シドの蒼い瞳が曇った事に、ヴィンセントは気付いた。
ついと手を伸ばし、ヴィンセントの髪を一房握りしめたその指は、微かに震えていた。
「お前に、似てる所があったかもしれない。黒い髪で、生っ白い面しやがって・・・。
夜中に故郷を思い出して、大粒の涙浮かべて泣いてやがると思えば、次の日にはいきなり激怒して訓練中に上官に掴みかかったりしやがる。細くて吹けば飛ぶようななりして、芯はとても強い奴だった。」
突然、シドは言葉を止めた。
つかの間の沈黙の後、シドは正面を見つめたまま、笑顔で呟いた。
「俺よぉ、そいつを抱いたことがあるんだ。」
ヴィンセントの眼が大きく揺れて、シドを見上げた。
懐かしい友に出会った時のように、シドの顔には優しい微笑みが浮かんでいた。
しかし、その瞳は笑ってはいなかった。哀しげな色を濃くするばかりで。
「俺は、憧れてた。脆い身体の中のあいつの強さに。
・・・恋焦がれるあまりに、どうしていいかわからずに、ひどい目にもあわせてしまった。
それでも俺をあいつは責めなかった。本当に・・・・・強い心を持ってた。」
空になった煙草のケースが、シドの拳の中でくしゃりと潰れる。
「その強さが命取りになってしまったけどな・・・・。」

「ウータイと神羅軍との戦争が勃発して、いよいよ明日空軍も出撃の命令が下るって時に、あいつはこともあろうに、神羅の軍用機を爆破しやがった。残った戦闘機に乗り込んで、あいつは故郷を目指して脱走して・・・・・・・・・・・そのまま神羅の追撃を受けて、空に散っていった。」

空っぽの棺。
中には、あいつの愛用していた手袋と、一房の黒い髪。

「泣けなかった。悲しかったのに、涙が出てこなかったんだよ。今のおめえみたいに。
俺は、あいつの苦しみをわかってやれなかった。あいつが命をかけて守ろうとしていたものに気付かなかったんだ。だから、永久に・・・・・あいつを、失ってしまった。
俺が気付いていれば・・・・あいつの力になってやれていたら、死ぬ事はなかったかもしれねえ。あいつを・・・・・戦争なんていまいましい物に、奪われなくてもよかったんだ。」
握り締められる拳が震えている。
暫くじっと前を見つめていたシドのきつい視線が、突然ふっと和らいだ。
シドは、洞窟からのぞく空へと視線を上げる。
「あいつが嬉しそうに見上げてたこの空に、あんな悪魔みてえなでっけえ星が落っこちそうになってるのを見たら・・・・・・・あの野郎、なんて言うかな。」
ふと横を見ると、ヴィンセントの紅い瞳が揺れながら、シドを見つめている。
「じろじろ見てるんじゃねえ」
ヴィンセントの首を抱え込むと、シドはその長い黒髪をくしゃくしゃとかき回した。目尻をそっと拭って、咳払いをすると、手を放し、軽くその肩を突き放した。
ヴィンセントの視線を避けるように洞窟の壁へと眼をやったシドは、つぶした煙草のケースを手でもてあそんでは、落ち着きなく頭をかいて、呟いた。
「・・・ったく、なんで俺様はこんな事を話しはじめたんでぃ?」
くしゃくしゃの頭を直そうともせず、俯いたままヴィンセントは微かに微笑んだ。どうしようもなく混乱し、張り詰めている自分の気持ちをなんとかしてほぐそうと必死になるシドの姿が、むしろ嬉しかった。
瞳を伏せたまま、シドの優しさを噛み締めていたヴィンセントの肩を、大きな手が掴み、ぐいと引き寄せた。
「子守り歌にしては騒がしい歌だけどよ。昔話のついでだ、歌ってやるから心して聴け。」
シドは、ヴィンセントの肩を抱えたまま、洞窟から見える月を見ながら歌いはじめた。


普段のぶっきらぼうな低い声からは思いも付かない程に、シドの歌声は明るく透き通った輝きを持っていた。
思わずヴィンセントは顔を上げると、自分の肩を抱く男の横顔を眺めた。
そこには、いつもの、くしゃくしゃの金髪をゴーグルで無理矢理押さえつけた、無精髭のざらつく頬の粗野な男の姿は無かった。



蒼い空の色の瞳をきらきらと希望に輝かせて、無心に空を憧れて見上げる、紅顔の少年の姿がそこにはあった。
休みなく大空をはばたき続ける渡り鳥を見上げながら、その力強さを求めて手を頭上へ掲げ、どこまでも風と共に追いかけていく、金髪の男の子。
あの鳥達のように強くなりたい。自分の翼で風まかせに空を旅する力が欲しい。
明るく、澄み切った秋晴れの空のような、輝く瞳が告げていた。
眼を逸らせずにその少年の瞳を見つめたままのヴィンセントの髪を、草の匂いのするすがすがしい風が通り過ぎていった。



よく通るシドの歌声は、暗い洞窟を通り抜けて、空へと響く。

「『休まない翼』っていう歌だ。よく空で聞かされたもんだ。」


歌声がヴィンセントを包み込む。
大勢の鳥達の力強い羽音がヴィンセントの耳に聞こえてきた。
生まれ落ちた時から、自分の翼で旅することを宿命づけられた渡り鳥達の、勇気の歌。
どんなに道のりが遠くても、決して迷うことなく飛んでいく強さへの憧れの歌。
静かに、紅の瞳が閉じられる。
いままで一滴も出てこなかった涙が、突然堰を切ったように溢れかえる。
固く結ばれていた唇から微かに漏れる、すすり泣く声。
張り詰めていた心が一気に熱く沸騰し、身体の奥から言葉にならない感情の波がおしよせてきた。
深く俯いたヴィンセントの震える肩を抱く手に、力がこもる。

「・・・強がらなくていいぜ。おめえが強いのは俺様が十分知ってるから。」

 



ヴィンセントは泣きじゃくっていた。
悲鳴のような鳴咽が洞窟に響き渡った。
涙はとめどなく流れ、長い黒髪を濡らした。
その長身を幼子の様に丸めて、シドの胸にすがりついて。
赤ん坊をあやすかの様に、シドの温かい大きな手が肩を優しく叩く。ただひたすらその温もりに縋って、いつまでもいつまでも大声で泣いた。

 

 

 


空にあがった月は、いつの間にか傾き始めていた。
泣き疲れて、膝の上で眠ってしまったヴィンセントの髪を、シドは優しくなでる。
洞窟の外から運ばれてくる涼しい風が、気持ちよく無精髭をなぶっていく。
シドは、その蒼い瞳を、膝の上の寝顔に向ける。月の光に照らされて艶やかに輝く黒髪に縁取られた横顔が、かつてシドの瞳に映っていた友の面影と重なる。
シドは低い声で、そっと語りかけた。
「おめえはきっと、星には還らなかったんだろう、わかってるぜ。
・・・・・・・おめえは、空に還ったんだから・・な。」
見下ろした黒髪がぼんやり霞み、熱い滴が白い寝顔にこぼれ落ちた。



俺様の戦う理由はよ、罪滅ぼしとか、星を救うなんてカッコイイもんじゃねえんだ、ヴィン。
・・・・・・もう2度と、俺様の大切な宝を、他人に奪われたくねえ、ただそれだけなんだよ。
俺様なんて、せいぜいそんな狭い了見しか持てねえ、ちっぽけな人間なんだ。
本当はよ、この旅に終わりが来て、おめえと離れなきゃいけなくなるのを、信じたくねえぐらいなんだよな。それなのにおめえときたら、愛した人と永遠に別れるのと引き換えに、あっさりとその罪を引き受けやがった。
おめえのその潔さが、すごく羨ましいよ。
その細くて頼りない身体の中の強さが・・・・・・羨ましいよ。

白状するよ、ヴィン、おめえに・・・・・・・目茶苦茶に惚れちまった。
・・・・・だから、俺様は戦ってるんだぜ。
セフィロスでも何でもかかってこいってんだ。
お前の胸の中の罪を、お前がその手ですっかり消しちまって、俺様に心底幸せそうな笑顔を見せてくれるまで、お前から離れてやらねえからな。
覚悟しとけよ。

分かっただろ、ヴィン、俺様は、おめえにまとわりついてるのが精一杯の、ただの情けない弱虫だ。
おめえが辛そうな面してると、本当にどうしていいかわかんねえんだ。
だから・・・頼む。
おめえの前で泣いてしまわねえうちに、いつものヴィンセント=ヴァレンタインに戻ってくれ。


青白い頬に、黒い髪に、幾つもの滴が光りながら落ちていった。

 

 



◇ ◇ ◇ ◇

 


シドが眼を開けると、洞窟の外は白々と明けていた。
ふと横を見ると、ヴィンセントの姿は無かった。起き上がろうとすると、肩にかけられていた彼のマントが手に触れる。立ち上がり周囲を見渡すと、銃やガントレットやブーツが、そこここに散乱している。胸騒ぎを感じて、シドはあわてて外へと走った。
朝焼けの眩しい光に眼を思わず細めながら、大きな滝が流れ落ちる湖へと歩きだした。
朝日の光を一杯に受けて、湖面は鏡の欠片を撒き散らしたようにきらきらと輝いている。
一瞬、シドは歩みをとめて、湖を見た。

腰まで湖に浸かったヴィンセントの後ろ姿。
風にたなびく黒髪に隠れて見えない視線の先には、ゆっくりと流れていく、ルクレツィアの形見の白い衣。
不意に、シドの脳裏に、忘らるる都の泉に沈んでいくエアリスの姿が走り抜けた。
考えるより早く、脚が、湖に消えていきそうな儚いその黒い背中を、水音を立てて追いかける。


「ヴィンセント!」
はっとその影は振り返った。
水を含んでぴったりと肌にはりつく黒いシャツから覗く細く白い腕が、風に生き物の様にうねる、黒い髪をかき上げる。漆黒の美しい流れは、その透けるような白い頬をさらに際立たせた。
そして、忙しくたなびく髪の間から覗く紅の瞳が、シドを見た。シドは息を詰めて、その紅の瞳を食い入るように見つめる。
足元の湖に反射した光の波が二人の顔をきらきらと照らし出す。まるで時が止まったかのように、二人は沈黙し、ただお互いを見つめていた。


おりからの風の中、ひときわ強い風が、湖上を駆け抜けた。シドのスカーフを激しく舞いあげ、ヴィンセントの額の布をさらおうとした。
風に吹き飛びそうになった赤い布を、あわてて細い指が押さえつける。
ガラス玉の様に動かなかった紅の双眼が、途端に生き生きと躍動しはじめた。
額に両手を当てたまま、ヴィンセントはシドに向かって・・・・・・・・・・にっこりと笑った。
哀しみも苦しみも涙で洗い流した、すがすがしい極上の笑顔が、山々の稜線から顔を出したばかりの朝日の眩い光を受けて、美しく輝いていた。それは、見るものの心を妖しく乱す怜悧な美しさではなく、無垢な子供の、汚れを知らぬ無邪気な表情であった。

シドは思わず呟いた。

「いい顔するじゃねえか。・・・・・・・惚れ直しちまうぜ。」

その言葉は風に乗って、あっという間に空へと消えてしまった。
「何か言ったか。」
聞き返したヴィンセントは、もう、いつもの無愛想な表情に戻っていた。
その冷ややかな顔に向かって、シドは笑いながら、ぶっきらぼうに怒鳴った。

 



「おら、出発するぜ! 地の底に。
ぐずぐずすんなよ、・・・・・相棒!」

 



・ 終 ・


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