真昼の夢
愛
嗅ぎなれない煙草の匂いがする。
頬にちくりと剃り残した無精髭が幾度も当たる。
優しく髪を撫でられる。
温かい唇が、包み込むようにそっと重ねられる。
「ヴィンセント」
知らない声が呼びかける。
大きな手が、冷え切った素肌に触れてくる。
柔らかな温もりと、確かな重みが、全身に覆い被さる。
速くなる鼓動に引き寄せられるように、胸に顔が埋められる。
波のようにうねる感覚。
時々、打ち寄せるしぶきが細かい霧のように身体に散らばる。
指と指とが絡み付いていく。
熱い吐息が髪を優しくなぞっていく。
快い温かさに身体が包み込まれる。
耳元に深い呼吸と、規則的な鼓動がはっきりと聞こえてくる。
閉じていた瞼をそっと開けてみたくなる。
ほんの少しでいいから、見てみたくなる。
眼を開けると、半開きになった棺桶の蓋から、薄汚れた天井がのぞいていた。
鉛のように重い手を挙げて、乱暴に蓋を床に叩き落とす。
半身をゆっくり起こすと、両手で痩せた肩をかき抱く。
伸びた爪が、僅かな痛みと共に肩に食い込む。
確かに、温かいぬくもりを感じたのに。
確かに、優しい気持ちで心が満たされていたのに。
「夢・・・・・・・・か。」
薄暗い部屋に、自分の声が空ろに響く。
気だるい身体を起こして、久しぶりに両足で立ち上がった。
紅い眼で睨み付けると、双頭のモンスターはじりじりと後ろに下がる。
枕元に置かれていた銃で、うろうろと寄ってくる獣達を威嚇しながら、部屋を出る。
長い長い螺旋階段を上るのがうっとうしくて
苦労しながら、マントを翻して宙に浮かんだ。
外に行けば、さっきの夢が現実になるような気がして
身体をひきずりながら踊り場へ出る。
いつの間にか、古びて灰色になってしまった
たくさんの部屋を通り抜け、壊れかけた扉を開ける。
見慣れた陰気なニブルヘイムの街は、見渡す限り焼けこげた荒れ地になり果てていた。
踵を返すと、無言で扉を閉める。
力無い足取りで、元来た道を引き返す。
信じてもいない神様に、ほんの少しだけ祈ってみる。
もし、この罪を、僅かでも償うことができるのならば。
私に、あの幸せな夢の続きを、
どうかもう一度見せてください。
・ 終 ・