傷 (後編)  by 愛




「・・・・・・すまねえ。」
暫くの沈黙の後、シドは眼をつぶって頭を下げた。
「・・・・・おめえが何を思ってるのか、知りてえだけだったのに・・・・な。」
「知ってどうするのだ。」
無表情な声が返事を返す。
「それはわからねえ。」
シドは顔をあげると、正直に告げた。
ヴィンセントはふっと嘲るような笑みを浮かべ、シドをちらりと眺めた。
シドは真っ直ぐに、ヴィンセントを見つめている。
その真剣な蒼い眼に再び眼をとめたヴィンセントは、突然、その眼から視線を外せなくなった。
自分の心の奥底に眠っている薄暗い闇までをも照らそうとする、強く蒼い光。
喉まで出かかっていた冷たい返事が詰まり、息苦しくなる。
射抜くように見つめるその視線がふと恐ろしくなった。
ヴィンセントは僅かに後ずさりした。
その腕を掴み、シドは無言のまま、ヴィンセントの言葉を待っている。


今までこんな風にまじまじと穴のあくほどに見つめた者がいただろうか。
忌まわしい身体を重苦しい幾重もの布で包み、顔すら満足に出せずに覆い隠す、その異様ないでたちに、一緒に旅をする仲間ですら、必要以上には近付いてこようとはしないものを。
かっと顔に血が昇るのを感じる。急に、恥ずかしさが体中を駆け巡った。
服をはだけられ、屈辱的な行為を受けながらも何の感情も感じることのなかった心が、突然、シドの視線を浴びることに猛烈な羞恥を感じた。
白い蝋のような頬は朱がさして熱くなり、身体を巡る血が沸騰したかのように、鼓動が早まる。
瞳を固く閉じ、シドの視線から逃れようと身体を縮める。
重い口が、まるで何か操られているかのように、勝手に開く。
突如自分に湧き起こった抗えない感情に、ヴィンセントは眼を閉じたまま、鋭く叫んだ。

「・・・羨ましかったのだ。」

まるで別人のようなヴィンセントの声に、シドはびくりとして、おうむがえしに聞いた。
「羨ましかった?」
「あんた達が、羨ましかったんだ。・・・自慢できる父を持った者達が・・・」
「だからよぉ、俺様のオヤジは飲んだくれでって・・」
シドの反論は、突然開かれた紅い瞳にのまれてしまった。
「私の父は、私の母を殺したんだ。私の眼の前で。」
ヴィンセントの顔は真っ青になり、呼吸が荒くなる。
シドは驚きに眼を見開いて、凍り付いたように動けなくなった。
「母は後ろから頭を撃ち抜かれた・・・・まだ幼かった私の言う事など、誰にも信じてもらえなかった。」
乱れた衣服を直そうともせずに、ヴィンセントは長い黒髪を両手でかきむしった。
骨張った右の手首がシドの眼に生々しく飛び込んでくる。低い呻き声が微かに聞こえる。
「父は・・・狂っていた。あいつは自分で母を殺めた事を理解できずに、母を探し回り・・・・。
私の中に母を求めて・・・・・・・・・・私を・・・・・無理矢理・・」




絞り出すような呻き声が、シドの心を冷たく凝らせた。
開いてはいけない扉を開けて、覗いて見てしまった気がした。
閉ざされた暗い心に土足で入り込んだうしろめたさが、シドを散々に責めた。
細い声は途切れ、細く白い手は顔を覆っていた。はだけた黒いシャツから露になっている肩は、見ただけでわかる程に大きく震えていた。
乱れた襟からのぞく、自らのつけた赤い刻印を散らした白い肌を正視できなくなったシドは、その服をなおそうと、思わず胸元に手を伸ばした。
「触れるな。」
低い、鋭い拒絶の声。
「あんたも一緒か・・・・・・罪に塗れ、呪われた私の身体を欲しがる・・・・・・・・。
何故、あんたみたいな人が・・・・私の様な者を求める?
物心つかない頃から辱められた、汚れた体を・・・・・・
もはや、人とも獣ともつかぬ、惨めに生を紡いでいるだけの、陵辱の塊などを・・・・!」
その声は泣いているようにも聞こえた。
シドの伸ばしかけた手は、どうすることも出来ないまま、下に降ろされた。
「・・・・わからねえ、かっとなっちまったんだ・・・・・・
お前さんを、困らせてやりたくなっちまって・・・・
でも、今のはお前さんの勘違いだぜ。
お前さんの服を・・・・・・着せてやりたかったんだ。」
ヴィンセントの沈黙を承諾の返事ととったシドは、おそるおそる彼に近付くと、無言でシャツのボタンを留め、ガントレットやマントの土を払い、ヴィンセントに手渡した。
ヴィンセントは俯いたまま、のろのろと手を動かして、乱れた衣服を整えた。
二人の間に、重苦しい沈黙が横たわっていた。
ふと、ヴィンセントの額に巻かれている、赤い布が取れかかっているのに、シドは気がついた。
先程の暴行で頭もぶつけたのだろうか。
何気なく額へと伸ばされた手を、ガントレットが激しく打ち払う。
「やめてくれ。」
「ヴィンセント・・・・」
「何故そんなに私の傷ばかり探り出そうとする?」
「傷・・・・・・・?」
「悪夢の始まりのあの館でつけられた罪の証を、そんなに見てみたいのか?」
シドは改めてヴィンセントの額に巻かれている紅い布を見つめた。
「・・・・・傷を・・隠すために・・・・・・?」
ヴィンセントは、シドを見て笑った。
無理に微笑んだ唇の赤さが、青白い頬に際立つ。

・・・・・・・・なんて顔しやがるんだ。

そのひどく自虐的な笑いは、シドの背筋を凍らせた。

・・・・・・俺様は、なんでまたここにこうしてきちまったんだっけ?
シドは自問する。

・・・・こいつのこんな顔を見たかったんじゃねえよ・・・!

 



「なあ・・・・・面白い話してやろうか。」
出し抜けに明るく言うと、煙草を一本取り出したシドは、地面に座り込み、ヴィンセントの冷たい顔を見上げた。
「宇宙飛行士になりそこなった、馬鹿な男の話だ。」
ヴィンセントは不意をつかれたのか、黙ったままシドに背を向け、じっと満月を見上げる。
そんな否定的なヴィンセントの態度には構わずに、シドは話しはじめた。
「長年の夢だった宇宙が、この眼で見られるたった数秒前に、自分の手で、その夢を摘み取ってしまった男がいたんだ・・・・・・・・」
ヴィンセントも、シドの故郷で、彼自身の手によりロケット発射が寸前で停止された事件については聞き及んでいた。

 


ロケットの打ち上げ中止は、シドの心を立ち直れない程に深く傷つけた。
「なに、まだ機会はあるぜ。」
と周りには強がっていたシドだったが、パイロットとしての今回の事件に関する責任は重大で、次回の搭乗に極めて致命的なミスとして評価されることは、シド自身が一番良く知っていた。
マスコミもこの事件をセンセーショナルに書きたてた。それも手伝って、シドはどこへ行くにも、周囲の非難の眼にさらされることとなった。



「・・・・・・・神羅ビルで報告が終わって、ビルから出てきたんだ。そしたら、入り口は野次馬で一杯溢れかえって、車さえ通れない状態だった。
TV局も来ててよ、『今回の失敗についてどう思われますか?』なんてバカな事をマイクで聞きにきやがったんだ・・・・・無言で通り過ぎるのがやっとだった。」
ヴィンセントは、いつしかシドを凝視していた。
「そしたらよ、一人の男がいきなり前に躍り出てきた。
手に金属の大っきい工具みてえなもん持ってよ。
その男、何を思ったか、いきなり殴り掛かってきやがったんだ。
『意気地無し!』ってな。」
シドは深く煙草の煙を吐くと、続けた。
「後から聞いた話なんだが、そいつはロケット村からミッドガルに出稼ぎに来てた若者だったらしい。同郷者であるそのパイロットに、自分の夢を託してたんだろうな。
それで、夢をぶちこわされた怒りで、・・・・・・つい、殴っちまったんだろうな。」
シドは息をついた。
二人の間に静寂が流れる。
ちらりとヴィンセントの顔に眼をやったシドは、顔をこすり、苦々しく続けた。
「かなり深手を負った。顔の半分は血だらけになって、片目は血が入って開かなかった。
その男はすぐ取り押さえられたが、ずっと泣き叫んでいた。何度も何度も『意気地無し!』と繰り返していた。」
シドは喉の奥で笑った。
「その意気地なしさんよぉ、今でもその時の傷見たくなくて、隠してるんだぜ。誰かさんみたいによ。」
煙草をくわえた口でにやりと笑うと、シドは左の人差し指で自分のこめかみを叩いた。
そこにはいつも通りに白い絆創膏が貼られていた。




シドは煙草を靴で踏み消すと、天に向かって気持ちよさそうにのびをした。
「つまらん話につきあわさせて悪かったな。」
ヴィンセントは相変わらず、身動き一つせず、シドを見たままだった。
「お月さんも、だいぶ傾いてきたぜ。そろそろ戻らねえと、朝になっちまう。」
シドは土埃を払って立ち上がると、岩肌に手をつきながら、下へ降りようとした。
「シド!」
張り詰めた声が空へ響いた。
シドは立ち止まり、不思議そうに振り返る。
ヴィンセントがゆっくりとシドへ歩を進めた。
シドの前に立ち止まると、躊躇しながら、その顔をじっと見つめた。
ゆっくりと、右手が自らの頭にあがる。
額を包む赤い布に、細い指が震えながらかけられる。
手に力が込められ、赤い布が上に引きあげられた。
紅い瞳が揺れながら、驚きに見開かれるシドの蒼い瞳を見つめていた。


その右手は、無骨な手にがっちりと掴まれる。
「やめとけよ」
ヴィンセントの、拍子抜けしたような顔を、蒼い眼が優しく見る。
シドはやんわりとその手を自分の胸に抱いた。
「俺様もよ、自分の傷の事、他の奴にしゃべったのは、初めてだぜ。・・・でもよ。それはおめえさんの傷を見せてもらおうなんて思ったからじゃねえよ。」
明るい笑顔に、ヴィンセントは戸惑う。
「誰でも、多かれ少なかれ、どっかに傷こさえて生きてんだぜ。見せっこしても仕方ねえだろう。」
シドは、人差し指で、ヴィンセントの額をつついた。
「でもな、おめえのおでこは、いつか俺様がこの手で拝ませてもらうぜ。」
悪戯っ子のような微笑みが、無精髭の顔に浮かぶ。
「覚悟しとけよ。・・・おめえはもうじき、その布っきれをとりたくて仕方なくなるからな。」
なんとも自分勝手で傲慢な言葉に、思わずヴィンセントは笑いかえした。

不思議だ。

ヴィンセントは笑いながら、心の中で呟いた。
さっきまで心の中にずしりとのしかかっていた、重苦しい鉛のような嫌悪感は、淡雪のように消えて流れ去っている。その代わりに、快い熱を持った優しい気持ちが心を満たしているのに気が付いた。
何故、この粗野な男の言葉一つで。
答えを求めるように、ヴィンセントはシドの顔を改めて見つめた。
すると、シドの蒼い瞳がこちらをずっと見ていたことに気が付いて、慌てて視線を避けようと首をそむけた。
「もう一度、よーく顔見せてくれよ。」
シドは、掴んでいたヴィンセントの右手を強く引き寄せる。
ヴィンセントは引き寄せられるがままにシドにもたれかかった。
シドはその白い顎をそっと掴んで自分の顔の方へ向け、屈託の無い笑顔で見つめる。
「本当に、綺麗だよな。見ごたえあるぜ。」
「ふざけるな・・・・。」
普段ならそんな賛辞は眉をひそめてやりすごすのに、まるで嫌みの無いこの男の声にヴィンセントは思わず顔を赤らめてしまった。
胸が熱くなる。遥か昔に置き忘れてきた、身体が痺れるような熱い感覚が全身を巡り、鼓動が速くなっていく。
「大真面目だぜぇ。俺様は。いつだってな。」
茶化すシドの声も、心なしか緊張で上ずっている。
シドの右手は優しく黒髪の中へさしこまれ、恭しくその艶やかな髪をかきあげた。
「やたら綺麗な髪だな。手入れなんてしてねえだろうに。
・・・・・・不思議なんだけどな。そそられるんだよ。この、・・・長い髪・・・。」
ヴィンセントの眼が驚きに見開かれる。
声をあげる間もなく、その身体はすっぽりとシドの腕に包み込まれた。
身体が震える。狼狽して突き放そうとするが、がっちりと抱きしめられた身体は身動き一つとれない。
「やめ・・・ろ・・・。」
弱々しく呟いた抵抗の言葉は、シドの唇によって遮られた。


熱っぽい唇が優しく包み込むように押し当てられ、ヴィンセントの呼吸を奪った。
煙草の匂いのする吐息と共に、温かく湿った舌が、唇から柔らかく滑り込んでくる。滑らかに動く舌の感触を自らの舌に感じてびくりと震えるヴィンセントの肩を、宥めるように握り締めるシドの力強い手も、僅かに震えていた。
後ろに後ずさりしようとするヴィンセントの細い体を引き止めるかのように、シドの逞しい腕はだんだんと力をこめてヴィンセントの背中をまさぐった。
大きく見開かれ、突然のことに狼狽して揺れる紅い瞳は、やがて観念したようにゆっくりと閉じていく。
抵抗するようにシドの胸へと押し当てられていた拳は、やがて力を失い、徐々にシドの身体を滑り落ちていった。
飽きる事なく幾度も唇を重ねるシドと、震えながらも次第に恍惚の表情を浮かべて、ぎごちなく身体をもたせかけるヴィンセントを、紅い満月の光が照らし出す。
絡み付いては脅えたように離れる舌の感触を十分に堪能したシドの唇が、ようやく名残惜しそうに離れると、ヴィンセントの真っ赤に染まった顔が目の前で恥ずかしそうに俯いた。
シドはその顔を見つめてにやりと笑う。
「俺様に火ぃ付けた責任は、とれよ。」
無茶な理屈を呟くと、シドの唇はヴィンセントの紅潮した頬へ移り、柔らかく耳朶を啄ばんだ。
思わず首を竦めるヴィンセントの仕種に、シドは含み笑いをする。
「私は・・・・。」
動揺したヴィンセントはしどろもどろに口篭もる。
「何だよ。」
シドはからかうように耳に息を吹きかける。
「私は・・・・汚れた、人にあらざる者だ。・・・・あんたみたいな人に・・・触れられる資格など・・・・・・。」
ヴィンセントの抗議の声は、きっぱりとした低い声に遮られる。
「人、だ。」
あまりにも簡単に言い返され、ヴィンセントは思わずシドを睨む。
「知りもしないくせに・・・・私を・・・!」
シドはその言葉を聞くと、ヴィンセントの身体を抱きしめながらげらげらと笑った。
「何がおかしい。」
ヴィンセントはむっとしたようにシドを突き放そうとする。
シドはくすくすと笑うと謝罪した。
「悪りぃ、笑っちゃいけねえよな。」
よしよしと、小犬を誉めるかのように黒髪を撫でながら、シドは嬉しそうに言った。
「おめえ、ちゃあんと怒れるじゃねえの。さっきは、本当に魂抜けてるかと思ったぜ。」
言い返そうとする唇を素早く自らの唇で塞ぎながら、シドは更に強くヴィンセントを抱きしめる。
「おめえは、人だよ。俺様が保証する。」
「何度も言わせるな、私は・・・」
「確かに俺様はおめえを知らねえよ。だから、教えてくれよ。」
シドの言葉は、耳からでなく、ぴったりと合わせられている胸から響いているようだった。
互いの鼓動が激しくなるのが感じられる。
ヴィンセントの耳元で、低い声が囁く。
「おめえが人かどうか、俺様が確かめてやるから。」
瞳を閉じたヴィンセントの全身から力が抜けていった。

 


満月の明るい光が、閉じた瞳をつき抜けて心へ差し込んでくる。



この紅い光の下では、何故だか素直になれるような気がした。

・ 終 ・


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