記 憶    



ミッドガルの近くで停泊しているハイウインドは、エンジン音も止まり、静まり返っていた。
音も無く、部屋の扉が開けられる。
「聞いたぜ。」
暗闇に浮かぶ巨大な赤黒い星の光が、簡素な作りの窓から差し込み、ベッドに横たわる痩身の青年を、幻想的に照らし出していた。
開かれた紅い眼は、しかし、その声の主には気にも留めずに、天井を睨み続けている。
「明日行かねえんだってな。俺様が代わりに行けと、クラウドからの御達しだ。」
ベッドの上の影は身じろぎもしない。
「まったく何考えてんだよ。」
くわえ煙草で入ってきたシドは、二つのグラスとワインのボトルをテーブルに置いた。
動かない影に向かって、吐き捨てるようにシドは言い放つ。
「俺様は宝条なんてヤツとは何の因縁もねえんだ。てめえの代理なんざ、迷惑なだけなんだよ。」
宝条の名を聞いた途端、影は僅かに顔を背けた。
「行ってこいや。おめえ自身の決戦場じゃねえか。」
 ワインをグラスに注ぎ、一つをベッドの上の男に差し出す。
「ほれ、乾杯といこうぜ。明日の、ヴィンセント・ヴァレンタインの復讐劇の成功を願って。」
外から差し込む紅の光を浴びて、グラスの中の液体は濃い赤紫色の光をベッドの上の白い顔に投げかけた。
 いかついガントレットは、突き出されたグラスを荒っぽくはねのける。
カシャンと音を立ててグラスは床へと滑り落ち、粉々に砕けた。


 砕けた破片。

 床一面に散ったガラスの・・・・・・破片・・・・・・。

 


 しゅうしゅうと音を立てて白煙が上がる。
 天井の蛍光灯が不規則に点滅している。
「・・・や・・・め・・・・・・ろ・・・・・・・っ!」
叫びすぎて掠れた自分の声が、吸い込まれていく。
無駄だと諦めていても、手に触れる限りのビーカーを投げつける。
 血まみれの・・・・・・左手。

 


「まったく・・・。」
 凍り付いたようなヴィンセントの表情に、シドは眉をひそめた。
「今更後ろ見たってしょうがねえだろう。」
「何の話だ。」
「しらばっくれるんじゃねえ。眼見りゃわかる。思い出してたんだろ、宝条とのこと。」
「思い出すことなど、ない」
「・・・・おめえも強情だな。」
荒々しい口付け。
「きれいさっぱり忘れていられる奴は、そんな眼しねえよ。」
突然の抱擁に、ヴィンセントは思わず身を竦める。
「忘れちまえよ。」
透き通る肌が外気に晒され、熱い唇が首筋に押し当てられる。
「忘れさせてやる。」
優しく肌を滑る唇の感触に、無意識に身体を震わせる。

 



・・・・・・震える自分の両手が、思いに逆らうように、白衣の背に回される。
ねっとりとした口付けを受けた唇からは、誘うような喘ぎがとどまることなく漏れ続ける。
苦痛を快感に変えようと、身体中が必死になって刺激をねだる。
冷たい唇から与えられる灼熱の快感を、意識とは切り離された身体が狂気を持って迎える。
長く伸びた髪を乱暴に引っ張られ、屈辱的な姿勢を強要されても、抗う声は歓喜の呻きとかわる。
やがて、意識は体中を巡る快楽の底へと深く沈んでいく。
沈む意識の中、狂おしい程の快感を得た身体が、全身で喜びを表現する。
・・・・・まるで、飼い慣らされたイヌのように。・・・・・

 



「やめろってば、考えるのは。」
怒りの視線がまっすぐに胸をつく。
唇を強ばらせて次の怒鳴り声を覚悟していると、突然、大きな手が優しく頬を撫でた。
「もう、いいじゃねえか。カビがはえちまった思い出なんかよ。」
大きな、温かな手。
力強く脈打つ、汚れを知らぬ手・・・・この凶凶しい身体に触れるには、あまりにも清らかな。
「嫌・・・・・・・っ」
呪われた左手が激しく振られ、シドはよろめいて、床に座り込んだ。
「汚れてるんだ、私は・・・・。
狂った者達の手垢にまみれた、吐き気がしそうなほどの・・・・罪にまみれたこの身体は・・・・」
唇を噛み締める。握り締めた手が己の膝を殴り付ける。
床に座りながらそれを見ていたシドの、低く押し殺したような声が聞こえる。
「胸くそ悪りぃ、罪、罪・・・って、へどが出る程聞き飽きたぜ!」
跳ねるように立ち上がると、はだけた上着の襟首を両手で掴んで揺さぶる。
「俺様は辛気臭えのは大嫌いなんでえ。つべこべ言わずに、とっとと行って宝条の頭に風穴開けてきやがれ!」
「・・・・いまさらあいつを消したところで、この身体に刻まれた罪は消えない。」
声が震えているのを悟られないように、つとめて低い声で告げる。

「おめえ、ガキかぁ?」
顎をつかんだ手が、強引に上を向かせる。眉間にしわを寄せて、その眼が睨んでいる。
「じゃ、何か、俺様が辛抱すれば、いや、誰一人おめえに触れないでいれば、それでいいのか。それでおめえは満足なのかよ?」
早口でまくしたてられ、ヴィンセントは俯こうとするが、更に顎を強く上へと向けられる。
「そりゃそのほうが楽だろうさ。純情ぶって、向かって来るもの全部拒んで、いじけて丸まってりゃいいだけだからな。でも、そんな生き方するためにわざわざ棺桶から出てきたわけじゃねえだろう!」
爆発するような怒りに、シドの顔が真っ赤になる。
「宝条に会いたかったんだろう? 会って、おめえの罪とやらに決着をつけたかったんだろうが! だったらぐずぐず言ってねえで、堂々と真正面から向き合え!」


ヴィンセントは、痺れたように動けずにいた。
己れの身体に罰を与えた男の姿が瞼の裏に浮かぶ。

・・・・・・・・・怖い。
あの眼に見つめられるのが、とてつもなく怖い。
身体が竦み上がる。指先が、凍り付くように冷たくなっている。


「どうした?負け犬。」
その野次に怒る力も出ないまま、うなだれる姿を見て、シドは苦笑した。
「おめえのその身体は、おめえ自身に科せられた罰、なんだろ?」
シドは揶揄するように、ヴィンセントの口調を真似る。
唇をかんで下を向こうとするヴィンセントの顎を、シドがつかんで上へと向ける。
「明日宝条の野郎に会ったら言ってみろ。『ありがとう』ってな。」
驚きの眼がシドの笑顔に向けられた。
「私に罪を償う力と身体をくれた事を感謝します。償いの時まで眠らせておいてくれたことにお礼を申しあげますって、言ってこい。」
「言える・・・・ものか。」
 今のヴィンセントに、それはあまりに酷い言葉だった。
「あんたに・・・・・所詮・・・・私の気持ちなど分かる訳がない。」
感覚の無くなった唇が、冷ややかに呟いた。
暫しの沈黙。
怒りに蒼く燃えるシドの瞳が近付いたかと思うと、次の瞬間、激しい音と共に頬に鋭い痛みが走った。
身体は軽々と跳ね飛ばされ、ベッドから転がり落ちる。
「ああ、わかんねえよ。てめえの気持ちなんざ、ひとっつも分からねえよ! きいたふうな口たたきやがって・・・・・・・俺が・・・・・俺様がどんな気持ちか、てめえだってわからねえくせによ!」
握りこぶしを震わせながら、シドは絶叫した。
蒼い瞳が燃えさかる炎のように激しい光を発し、ヴィンセントのおびえた顔を睨んでいた。
しかし、突然、上げていた手をだらりと下ろすと、首をふりながら、シドはベッドによろめいて座り込んだ。
無骨な両手が、顔を覆い、大きく息を吐き出した。そして、先刻までの勢いとはうってかわって、弱々しい、重苦しい声で、消え入るように囁いた。
「・・・・・わかったよ。おめえはいつもそうだ。・・・・・・いっつも、そうだよな・・・。
追いついたと思ったらあっという間に見えなくなってしまって・・・・・大事な所は、いつまでもたいそうに隠しつづけて・・・・・・・何も・・・・・・見えてきやしねえ。・・・・・・・」


二人とも無言だった。
薄暗い部屋に、耳が痛い程の沈黙が訪れた。
唇をかんで顔を背けていたヴィンセントに、シドは不意に言葉をぶつけた。
「俺が悪かった。おめえの記憶に文句つけても仕方ねえもんな。・・・・・もう二度とおめえのやり方に口はさまねえよ。忘れろとも、消しちまえとも・・・・・言わねえ。
ただ、一つだけ俺の言う事聞いてくれ。そしたら、もうおめえにあれこれ構わねえから。
・・・・・・・おめえの心ん中が見れないんなら、せめて、外側だけでも、見せてくれよ。」
強い語気で脅すようにシドは告げた。
「おめえの身体、全部見せろ。」
唐突な申し出に思わず顔を上げると、張り詰めた蒼い視線とぶつかる。
「何故・・・そんなことを」
シドは繰り返す。
「全部、見せろ。」
ゆっくりとあげた右手には、デスペナルティが握られている。
「罪にまみれた身体とやらを、俺様に見せてみろ」
銃口は、戸惑うヴィンセントの眉間に向けられた。
「できねえなら、撃つ。」
「そんなことが・・・・」
「とっととやれ!」
困惑したままにヴィンセントはシドを睨み付けた。
冷たい銃口は、微動だにせずヴィンセントの眉間に向けられている。
蒼い瞳の中の炎はただひたすらにヴィンセントを責め立てていた。

シドに銃が扱えるわけがないのは分かっていた。
撃つ気が無いのも、分かっていた。
それ以上に、抗えない何かがシドの声から感じ取れた。
ヴィンセントは、シドの眼から逃れるように、顔を伏せたまま静かに立ち上がると、震える右手で上着を掴んだ。




衣擦れの音だけが部屋に響く。
滑らかな曲線を描いて露になる白い肩。
軽い金属音がして、ガントレットが外される。
シドの眼が、むき出しになった左腕に長く走る傷を見つめる。
その視線を感じて、ヴィンセントの顔が苦々しく歪む。
「どうした。さっさと脱げよ」
その声に追われるように、ヴィンセントは止めていた手を再び動かしはじめた。
羽織っていた薄い服が、するりと肩から落ちる。いつも見慣れているその背中は、いつもより小さく、華奢に見えた。
ズボンを脱ごうと屈めた身体にかかる黒い髪が一筋、大理石のような肌を滑り落ちる。
シドは無表情でその様子を眺めている。

物音一つ聞こえない。重い静寂が部屋を覆っていた。
シドがふと我にかえると、薄暗がりの中、頼りなく揺れる紅い瞳に見つめられていた。
元の厳しい表情に戻ったシドは、かぶりを振った。
その額を銃で差しながら。
ヴィンセントは頬をひきつらせながら、額の布を手で押さえる。
「これも・・・・か。」
「それを、取ってくれよ。」
「見たいなら、あんたが取ればいい。」
「甘えんな。自分で取りな。」
諦めたような表情で、ヴィンセントは額の布に手をかけた。
震える指が、幾重にも巻かれた布を剥ぎ取っていく。
長い紅い布が、床に幾重にも折り重なっていく。
ばさりと額にのしかかってくる長い髪を、ゆっくりと細い手がかきあげた。
シドの蒼い目が細められる。
その傷を見たのは初めてではなかった。しかし今、ヴィンセント自身が自分の手で露にした傷は、闇の中、妙に生々しく見えた。
皮膚が黒く固まった、弾痕と、髪の生え際まで伸びる、手術跡。
シドは銃をベッドへと放り出し、ゆっくりと、ヴィンセントの方へ歩を進める。
上目使いに睨み付けてくる、紅い瞳。
しんとした部屋の中、互いの息使いだけが耳につく。

「自分から汚れた身体を晒した気分はどうだ。」
低い声でシドがなじる。
蒼い瞳が、舐めるように見つめてくる。
紅い瞳は潤みながら、その無遠慮な視線に耐え切れずに逸らされた。
シドの手が、左腕に走る傷痕をゆっくりとなぞっていく。
まるで鋭い刃で切り付けられたような衝撃が腕を走り抜け、思わず身震いする。
視線から逃れようと背けられていた冷たく強ばる顔は、無骨な両方の手で挟まれて動きを封じられる。
「もっとよく見せろよ。」
じっと額の傷をのぞきこまれる。屈辱に噛み締めた唇が思わず小刻みに震える。
ゆっくりと額にシドの熱い唇が押し当てられ、額の古傷が疼く。
「シド。もう・・・・・・」
 揶揄の傷みに耐えかね、中止を乞おうとした時。
太い眉がひそめられたかと思うと、息も止まる程に強く抱きしめられた。
「・・・はらわたが煮えくり返ってんだよ。本当は。」
 驚く耳に上ずった声が荒々しく入ってきた。
「どうしようも無いほど、むかついてるんだよっ!・・・・・・・・宝条って野郎によぉ!」
やるせなく震える怒りの声と共に、激しく身体を揺さぶられる。
「おめえの心と身体に、そんなに深く自分を刻み込みやがって・・・・・!俺様が、どうやったってそんな事できねえのに・・・・・・!おめえの中に、これっぽっちも入っていけないってのに・・・・」
「シド・・・・」
「どんなに俺様があの野郎の跡を消そうとしたって、お前の心は結局あいつへ行っちまう!
・・・・・消えろ、・・・・・消えちまえ、宝条の馬鹿野郎! こいつの中から・・・出て行っちまえよ!」
髪に埋められて見えないシドの顔は泣いているような気がした。
「渡すもんかっ! こいつは、俺のものだ!・・・・・俺のものだっ!・・・・・・・・・・俺の・・・・!」
言葉が途切れ、押し殺した呻き声だけがシドの口から漏れ出た。
ヴィンセントをきつく抱きしめているシドの身体は火がついたように熱く、絶え間ない震えが重なる胸に響き続ける。
細い身体が折れそうな程に強く抱きしめられたヴィンセントは、身動きも出来ぬままにシドの激しい脈動を感じていた。

 


音もなく、両手が上がる。
しなやかな細い指が、髭がざらつく頬にすべりこんだ。
頬に触れたやさしい指の動きに、長い髪に埋まっていたシドの顔があがる。
静かに優しく、ひやりとした手が、その頬を柔らかく挟みながら、紅玉の瞳が近付く。
温かく熱を持った唇が、驚きに声も出ないシドの口を包み込んだ。
ヴィンセントが、自分の意志で、初めてシドにした口付けだった。

 


固く握り締められていたシドの腕から力が抜け、きめの細かい肌を滑り落りる。
一糸纏わぬその美しい肢体をいとおしむように、シドの掌はヴィンセントの肌の上を泳いだ。
長い髪をうっとうしそうにかき寄せると、首筋に唇を這わせながら、シドは溜息まじりに言った。
「・・・・・俺のモンでも、宝条のもんでもないよな。
・・・・・・・・・これは、おめえの身体なんだもんな。
馬鹿だな、俺様も。」
潤んでいるように見えたシドの眼は、嬉しそうに笑った。

「はじめてだぜ。おめえがこんな事してくれたのは。」
お返しだ、と低く囁いて、シドの唇がヴィンセントの返事を途切れさせた。


◇ ◇ ◇ ◇

 


いつの間にか月が空にあがっている。
ベッドに横たわる細い体が、部屋に染み入る寒気に思わず震えた。
シドは、丁寧に毛布でヴィンセントを包むと、煙草に火をつけながら立ち上がった。
机の上に置かれているワインのボトルを手にすると、何も言わずに扉へと向かう。
「シド」
ヴィンセントの声は、落ち着いていた。
「明日、必ず私の中からあいつを消してくる。」
無言で立ち止まる背中に、更にヴィンセントは告げた。
「約束する。この銃で、・・・・・必ず礼を言ってくる。」
「その意気だぜ」
 シドは咥え煙草のまま、嬉しそうに笑った。
「おめえの償いは明日からだ。過去に犯した過ちは、おめえの手で、おめえ自身で、これから償うんだ。」
ヴィンセントは無言で頷いた。
 

「あ、それからな、ヴィンセントよ。」
戸口の所で、振り返らずにシドは立ち止まった。
「・・・・おめえの身体、男に触れて、汚れてるって言ったよな。」
「私は・・・・・」
うろたえているのが、声だけでもよくわかる。
シドは眼を閉じると、低く呟いた。
「心配すんなって。俺様だっておめえさんに会う前から薄汚れてたんだ。自分でも、嫌になるくらいに、な。」
毛布の下の華奢な身体がびくりと震えた。
「何故・・・・・そんな事を私に言う?」
シドはワインを肩にかつぐと、扉を開けて、吐き捨てるように言った。


「さあな、きっと、嫉妬ってやつだろうよ」


扉が閉まった後には、暗闇に包まれた部屋に、ワインが入ったままのグラスが一つ、取り残されていた。

 


・ 終 ・


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