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それからどうなったの・・・
しかし,そうは言っても昆虫の基礎研究がやってみたい。その思いはフツフツと湧き渦巻き,そして消え,やがてまた湧き上がってくる。悶々とするうちに10年が経ってしまった・・。 10年目,女房と老親を説得して農薬メーカーを退職,再び大学に入り直す。昼間は研究,夜は塾講師という二重生活を始め,山口大学農学部昆虫管理学研究室に舞い戻る。 平成7年3月,鳥取大学大学院農学研究科生物環境科学専攻博士課程修了。環境指標性昆虫(オサムシ類・ゴミムシ類,チョウ類など)による環境影響評価,保全生態学,群集生態学,指標生物学が専門。博士(農学)。 純真短期大学講師、大阪府立大学生命環境科学部非常勤研究員を経て、現在、総合科学株式会社自然環境部主任研究員。大阪産業大学講師(非常勤)、環境学園専門学校准講師(非常勤)も勤める。 技術士(環境部門 環境影響評価),日本環境動物昆虫学会評議員,環境省国際環境協力専門家,環境省環境カウンセラー,広島県環境保全アドバイザーの他,自然観察会・環境教育にも関わり,小中学校への出前授業やフィールドでの野外授業にも携わっている。 大阪府堺市在住。 |
履歴後半へつづく・・・
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| 土生先生のこと(1) |
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土生昶申(はぶあきのぶ)先生の偉大なる業績を紹介しましょう。
戦後に至っても,日本産ゴミムシ類幼虫の分類は未知であり,幼虫の記載はほとんどありませんでした。ゴミムシ類幼虫を採集しても,種の同定には至らなかった訳です。幼虫を生かしたまま成虫まで飼育して同定するしか方法はありませんでした。 そこで先生は,幼虫同定が出来るように,農環境生息主要種を飼育され,幼虫の令期別種記載をされました。これは実に根気のいる作業であります。この分類群はほとんどの種が年1化性です。野外で成虫を採集し,個別飼育し,産卵させ幼虫になるまで育てなければなりません。それは,実に地味で退屈な仕事です。結果は,飼育に成功したものだけに出るのです。記載種は,すべてが順調に生育したものばかりではないはずです。おそらく失敗した方が多かったんではないでしょうか。最後の最後で死んでしまっては,それこそ元も子もありません。1種につき複数の出来るだけ数多くの飼育を試みられたはずです。農技研の研究室は,おそらくゴミムシ類の飼育容器で埋まっていたのではないかと思います。息の長い研究を続けられる場であったからこそ,そのような研究が出来たのは確かでしょう。そうして,数十種に及ぶゴミムシ類幼虫の記載論文を続々と連載で発表されました。ゴミムシ類の幼虫は,ほとんどの種が3令まで経過します。 先生の業績を見ると,種によってすべての令期がそろって発表されているわけではありません。2令の記載で終わった種もあります。1令だけのものもあります。続報で3令まで記載されたものもあります。飼育がいかに困難であったかを偲ばれます。 私は,年周期性に非常に興味を持っていました。ゴミムシ類は春繁殖性種と秋繁殖性種がいます。先生の記載論文の最後に飼育中に判明した「biological notes」を書かれていました。私の研究のヒントは先生の地道な観察記録からいただいたと思っています。 先生の人柄を忍ばせる事例を一つ。アオゴミムシという普通種で河原や農耕地などにいる種の幼虫の記載ですが,この幼虫の仲間は尾毛が非常に長いことが特徴です。先生は当然この幼虫も記載されているんですが,その記載はなぜか尾毛が短いんです。先生も明らかにその飼育の過程で尾毛が途中で切れているように思われたんでしょう。そこで再度飼育されたと思われるんですが,やはり途中で切れていることを確認されたと思われます。そして,先生は書かれたんですね。その後の研究報告に「尾毛」だけの再記載を入れて・・修正しますと。先生の真っ正直さに痛く感激したのを覚えています。 先生の偉大な業績の一つは,「Fauna Japonica」シリーズ(日本の昆虫)での大著3冊の叢刊です。この大著は,発刊後既に40年になろうとしていますが,まとまった総説としては少しも色あせていない名著だと思います。 |
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| 土生先生のこと(2) |
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ところが,先生は農技研を退職されるにあたって(1981年),これらの研究から一切手を切られ,退職後の人生を童画を書くという全くジャンルの違った世界へ進まれるのです。大御所ともいえる先生がすべて仕事から手を引かれたのです。分類学的な仕事はその時点でほとんどストップしてしまいました。このことは,日本のゴミムシ類研究者にとって大きな痛手であったはずです。
先生は,この仕事から退かれるに当り,別刷りの残部を農技研に残していかれたのです。そしてそれらは標本とともに農環研に移ってきました。通常研究者は退職に当たり,文献類はどこかに寄贈するか,もしくは持ち帰るかでしょう。自分の別刷りは当然持ち帰るに違いありません。先生はそのすべてを残して行かれたのです。それはこの後,やってくるであろう者へのメッセージであったに違いありません。 農環研の標本庫には古い大学ノートがあり,先生が研究者に送った別刷り送付者のリストがあります。先生直筆の論文送付名簿です。研究者がずらりとならんでいます。 米国のDarlington(ハーバード大),Erwin(スミソニアン博物館),Ball(カナダ・アルバータ大名誉教授), 欧州のゴミムシ類研究のvan den Boer(オランダ・ワーゲニンゲン大)らのそうそうたる名前もあります。 私が先生の別刷りを頂きに行った時,それらは幅1mの天袋に計8個収まっていました。送付後の残部はひもに縛られて収められています。1束づつくくりひもをほどいては1冊また1冊と抜き出し,在庫の無いものを残念に思いながら,ほとんどすべての別刷りを抜き出し,大学ノートに私の名前をまるで戒名を書くように記帳していきました。 一体どの位の時間が経過したのか全く覚えていません。しかし,だんだん時間の感覚がなくなっていました。何時になろうとも構わない気持ちでした。この作業が終わらない限り,私はここを離れてはいけないと思いました。 これだけの論文を書くのに一体どれだけの時間が必要なのか。自分には研究を続ける気概があるのか。そのような資格があるのか。これだけの研究者と肩を並べて記帳してもいいのか。別刷りを頂戴するのを先生は許していただけるのだろうか。いくつかの自問自答をしている自分を感じていました。 ノートの論文名はとうとう1981年で途絶えていました。土生先生のご退職の年です。その時点で時間がピタリとストップしているのです。しかし,ノートのタイトル名は終わっているのに,何故か論文の別刷りの在庫はまだ残っています。そして,それはやがて確信となりました。先生は研究者とも縁を切られた時点で,仕事だけはまだ生きていたのです。既に投稿されていた論文はなおも生き続けていたのです。 その間の事情はあくまでの想像にしか過ぎませんが,それらの論文の別刷りは,主無きあとも農環研に帰って来ていたと想像されるのです。しかも受け取り主がいないために別刷りはそのままの形で梱包されたままでした。先生の蒔かれた業績は,その後1987年まで主無きまま続いているのです。梱包されたままになっている包みを開き,論文未記名の論文を新しく記し,送付者リストに私の名前を書き終えた時,既に夜と呼べる時間になってしまっていました。投稿されてから,開封されるまで10年が経とうとしていました。 1冊また1冊と抜き出した先生の別刷りを重ねてみると20cmはゆうに越えていました。先生のゴミムシに関する論文の総数は実に160編に及ぶことが判りました。 さらにコバチ関係論文が30編,実に全ての論文数は190編に上ります。それに先に紹介した大著3冊です。書かれた論文数では,指折りの数だと思います。 |
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貴方も出来る研究の紹介! |
Globenetの研究(さらにCurrent projectsへ行こう!) |
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農環研昆虫館のゴミムシ標本インベントリー |
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ゴミムシ類・オサムシ類の世界のデータベース集 |
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ヨーロッパ地表性甲虫学会 |
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