2005年5月20日(金)
遂に・・・
途中、春の風景を撮りながら馬場島に向かう。
馬場島に近づくと、携帯電話は、圏外を表示したままになる。
今回は、なぜかマグロチーフDのNと一緒に山に来ている。
午後。新緑と、剣岳を狙いに、中山(1255m)に登った。
頂上付近の木々は、緑輝く葉が風に揺れていた。木々の間からは、遠く富山湾も見える。誰かの携帯電話が鳴った。
ここ中山の頂上では、携帯が使えるのである。Nが電話をしながらにやけた顔でこちらを見ている。北アルプスの小さな頂上で受けた知らせは、今年の「マグロに賭けた男たち」ATP優秀賞に選ばれたという知らせ。偶然が重なり、受賞の知らせを一緒に味わうことが出来た。
 私にとって40歳の誕生日を一週間後に控え、30代の目標にしていた受賞。なんとか間に合った。
2005年5月15日(日)
GW北アルプスで
 5月とはいえ、ここ北アルプスの玄関口 室堂平は、雪の中。
今回、約半月の取材を室堂をベースに行った。
 先月の奥大日に続き、雄山、浄土山、剱御前小舎と、方々を歩いた。少しは、歩く自信も付いてきた。取材の中で出会った人々は、皆、私達取材班に親切にしてくれた。ありがたい。
去年、9月からスタートした取材活動の中で、すっかり気心も知れた人もいる。
 この日の夕陽は、とても綺麗だった。大日岳の横に沈む夕陽。この夕陽のカットに込めた想いがシーンとして成立するのは6月の取材以降であろう。
 自宅に戻り溜まったデスクワークをこなし、日常に戻ると雪の中に身をおいていたことが、遥か昔にも思える。
photo by suzu
2005年4月24日(日)
いよいよ本番!
ゴールデンウィーク直前、北アルプス奥大日岳に取材で登頂して来た。久々にアイゼン、ピッケルのフル装備。初日は、吹雪のために雷鳥沢ヒュッテで、停滞したが、翌日の早朝には、新雪をまとった峰々が足跡のない景色を見せてくれた。4月17日にアルペンルートも開通し、登山客、スキーヤー、ボーダーと観光客もたくさん来ていた。午後、足跡のなかった山々には、幾つもの筋がそこかしこと付いていた。足跡のない山々は、神々しくも見え、その風景を独り占めしたかに思えたが、その山肌には面影もない。スタッフの誰かが言った。「みんなの山」だと。いろいろな人々が、この山に何かを求めやってくる。ゴールデンウィークにはその何かを取材していく予定だ。
奥大日2611mピーク
2005年4月1日(金)
レギュラーのお仕事
 5年の長きに渡りお世話になっていたレギュラーの仕事が無事に終了。
仲間の4人のフリーカメラマンと大事にしてきた。最終日には、朝までカラオケ大会に(笑) 5年前に仕事を始めたとき一人の助手が我々のところにやってきた。
学校出たての「今時の・・・」がつく坊主。何度も衝突を繰り返しながら、今ではちゃんと大人になってきたようだ。2年前から違う部署に移りカメラマンとして頑張っている。
その後に来た助手たちも今では、中継カメラマンとして現場の最前線に。
 過去を振り返り人との出会いを思い出す。酒を飲みながら、昔のエピソードを笑い歌い。酒宴は続いた。
2005年3月8日(火)
雪山再現ロケ

朝日を浴びる白馬岳
 3月4日。長野県のとあるスキー場に入った。
標高1500m付近までゴンドラ、リフト、雪上車まで動員して発電機、シネキンバッテリー等の重量機材をあげる。この日の天候は、吹雪。風速20m/sを超える風が吹いていた。アイゼンを装着しなければ稜線では、吹き飛ばされそうな風である。付近をロケハンしようにも視界不良?目も開けられない。吹雪の実景などを撮影し、再現ドラマの打合せなどをし、風が収まるのを待っていた。
 3月6日。再現ドラマロケ初日。白馬岳に朝日が当たる。地獄の始まり?(笑)約40Kg超のジェネレーターをソリに入れて、雪の中を運ぶことから仕事が始まった。水平であればなんら問題もないが、稜線をあげる作業。約40分かけて標高差250mの地点まで持ち上げた。今回の再現の重要な要素として「吹雪」と云ったキーワードがあるのだが、撮影日に限り左の写真のようにピーカン。しかし、我々は、万全であった。「吹雪の元」?を、東京から持ち込んでいたのである。撮影は、深夜にまで及んだ。HMIライト2灯をベースに、一晩中 雪の中をラッセルしながら登るパーティーのシーンを収録。総勢12名のスタッフ、キャストが、一丸となって撮り終える。撮影の現場が、厳しければ、厳しいほど団結が高まり、よい結果が生まれることを何度も実感させられた。
 この日の酒も美味かった。

追記 今回の北アルプスロケに欠かせないスタッフのホームページを紹介します。山のスペシャルスタッフです。今回のロケの様子もギャラリーにアップしていますので是非ご覧ください。
    dokayuki's web site

監督と
2005年2月26日(土)
本場の(笑)
大阪うめだ花月にインタビューの収録。
芸人さんの舞台も事前に見学。大阪の劇場に入るのは今回初めて。客席の空気には、笑いを求めてここに来た人々の匂いが漂っていた。私自身、笑いに対して身銭を切った記憶はない。しかし、ここにいる人々の大半は身銭を切って笑いを求めてきているのだ。舞台に期待も高まる。 笑った。仕事で見学のつもりであったが、まんまと笑わせていただいた。 テレビでは放送できないほどのブラックがあり、間があった。何より客席と舞台の距離がない。
 人気の秘密を垣間見た気がした。
2005年2月25日(金)
日帰りで、雪山?
 朝4時30分起床。窓の外は、一面銀世界。自分のいる場所を確認する。ここは我が家。「(?_?)んん?」やばい。今日はロケハン、撮影のために朝一の飛行機で富山に行かなくてはならない。昨夜の雪がここまで積もっていることに唖然。フロントガラスに積もった雪を払い、ラジアルタイヤを履いた愛車でのろのろと、羽田に急いだ。
 無事に富山に着くと町には雪がなく、気が緩む。東京の風景を話しても興味なさそうなタクシーの運転手。そうだよね、雪・・・珍しくないですね。\(__ )  ホテルで先乗りしていたスタッフと合流。
 いざ。スキー場のゴンドラを使い、そこから一時間ほど歩いて「雪庇」を探す。足元には、初めて履く「スノーシュー」カンジキの最新版みたい(笑)雪の上を歩くには、とても優れものでした。山行は、約3時間。程よい雪上訓練?
 来月初旬に、北アルプス周辺で再現ドラマを収録する。今回はこれでとんぼ返り。ディレクターからはまたまた、新しい映像に挑戦する機材制作の発注を承った。
2005年2月24日(木)
久々に
某製薬会社の新薬プロモーションビデオパッケージ収録。
 久々のスタジオv(=∩_∩=) 今回のスタッフは、私のお気に入りスタッフを集めることが出来た。以前、4ヶ月にわたりドラマを収録したときのVEさん、照明技師さん、そして友人のカメラマン。(ちょっと平均年齢高め!?)。制作は、今回初めての大阪にあるプロダクション。力も入る。麹町スタジオK-1。全ての準備を終わらせてスタンバイ。ナビゲーターの元TBSの女子アナがスタジオに入る。ファインダー越しに彼女を見つめているうちに、女性を撮影することが、えらい久々だったことを思い出す。昨年秋からは、漁師と山男。どちらかと云えばムサイ系?(失言m(__)m)を撮りつづけていた。 華のある女性を撮る事に小さな喜びを感じる。
 収録後、近くの中華レストランで食事をした。初めて出会ったスタッフ同士も、一本の仕事が終われば旧知の仲になれる。店を出たときに降りだした雨は、家に着くころ雪に。
  ほろ酔いに火照った体には、気持ちよく。
2005年2月13日(日)
すっかり怠け癖が・・・
「マグロに賭けた・・・」の放送が無事終了し気がつけば、早、3週間が過ぎてしまった。二月の時期と云うのは何故か暇なのである。すこし、ゆっくり過ごそうかと思ったが最後。ダラダラしすぎてしまった。焦り。
そろそろエンジンをかけなくては(^^;;; そうだった。確定申告の季節がもう目の前じゃないか。憂鬱。デスクワークは、嫌い。とはいえ尻に火が点き始めている。。。
2005年1月14日(金)
今、初心。
 今週は、偶然の出会いがたくさんありました。新宿で呑んだ帰りの電車で3年ぶりに、以前お世話になったディレクターとバッタリ。途中下車して呑んでいるとそこに「我が師」と仰ぐ巨匠までやってきた。すっかり15年前の状況・・・そう、まるで助手時代のまんまなのです。私はというとすっかり小僧扱い。
 遠慮ない(有る訳ない?)キツイ言葉を頂けた。こんな酒はなかなか呑めない。ふと思えばいつの間にかイッパシを気取っていた自分が、恥ずかしくも思えて来る。

 そして翌日の記者会見の現場では、この商売に入ったばかりの頃の先輩に出会った。
しかも、学生時代の後輩と一緒に居たので更にビックリ。後輩のほうは、会社が決まり学生時代のアパートからの引越しを手伝ってくれた人であり、良い思いでがたくさんあった。しかし、その先輩のほうは・・・・
 実は入社したての頃、一番苦手としていた先輩だったのである。
今思えば、当時の私はどうしようもない助手だった。現場に三脚を持っていくが、「フネ」がなかったり、モニターを繋ぐ同軸がなかったり、寝坊して現場にすら行けなかったりと。そしてそんな時のカメラマンが、その苦手とした先輩だったのである。名誉挽回する間もなく、先輩はフリーになり会社から居なくなった。この日会見場で、自分の仕事をしながら、先輩にちゃんと仕事しているところをアピールしたが、見てくれていただろうか?(笑)
当時、「君のような助手は、世の中に、たくさん居る。その中でカメラマンに成れるのは一部だ。」といわれた。その一部になろうとがんばった記憶もある。

 一年の初めに、こんな素敵な出会いが出来たことは大変幸せなことであろう。「初心忘れるべからず」
2005年1月6日(木)
北アルプス 冬ロケを終えて。
12月23日より約2週間 北アルプスの取材を行っていた。
 今回、取材中 幾度も自問自答する機会があった。このページの表題に書かせていただいた「カメラマンとしての正義」についてだ。
 取材者の立つ場所、視点、によって見え方が180度変わることは周知の事実。視聴者の皆様には大変申し訳ないが、例え客観的な事実を放送している様に見えるニュースであっても、現場の空気をどう捕らえるかによって、ニュアンスはずいぶんと変わる。新聞の見出しも同様である。それは何か。それは、そこに携わる人間の捉え方しだいなのである。少々乱暴に聞こえるかもしれないが、私は事実と思う。
 今回、私は「彼ら」にとって『敵』であったかもしれない。
しかし、私は「カメラマン」としてそこに居る限り、見たものを伝えなけらばならないと考える。それが使命だと。しかし何の思いやりもなければカメラが暴力になることも私は知っている。
 「彼ら」の願いが通じた瞬間。横に居たディレクターが泣いた。
うれしかった。「彼ら」の願いは我々の願いでもあったからだ。 

 帰りの飛行機の窓からは、沈み行く夕陽を受け、オレンジ色に染まった北アルプスの峰々が雲海の上にそびえていた。
私はカメラをかまえず、自分だけの景色として目に焼き付けた。 
2004年11月30日(火)
みんなの作品
最大時には、4チーム8〜10人のスタッフがこの現場にいたが、遂に今朝1チーム、二人体制。
 思えば3年前にスタートしたマグロシリーズ。残ったのは当初からのスタッフだったチーフDと私。互いに違う船で取材していたが最後に本妻に会えたような安心感がある。
 この番組にかぎらず、ディレクターはディレクターとして自分の作品と思うように、カメラマンもカメラマンとして自分の作品と思う。
それぞれのスタッフが、思う分だけそれぞれの作品なのだと云う事をつくづく実感。この一ヶ月の間、がっぷりと制作、技術がスクラム組んで取材してきた。
もうすぐ、ロケが終わる。一抹の寂しさを感じながらも、それぞれの思いを受け止め、残された責任を全うする。
 終わらないロケ等ないことを知っていながら
 終わらないことをどこかで願う。自分がいる。
2004年11月27日(土)
風速37m/s
台風並みの低気圧の影響で大荒れの天候。
午前3時には、最大平均風速が、37m/s。 波高9m。
冬型の気圧配置が強まると、漁に出れない日が増えてくる。
大荒れの海。港の入り口、防波堤の上に立つ灯台の上を波が越えていく。
人間を寄せ付けない自然の厳しさを目の当たりにする。
2004年11月26日(水)
博打
朝5時40分出港
 この日、我々が取材している漁師さんは特に気合が入っていた。
昨日は時化のために漁に出ることが出来ず。自宅でのインタビュー取材の後、基本的に距離を置いた。
 我々TVクルーもマグロを釣り上げる瞬間を迫力ある映像で撮影したいのは、当然であるが、誰よりも一本のマグロが欲しいのは、当の漁師さんであろう。漁師さんはTVカメラがあるプレッシャーとも闘っている。
午前10時。港に戻った。他の漁船が沖でがんばっている中の帰港。理由は、「海の気配がわからない」と。
 我々も同じ船に乗る者として「今日こそは!」と一日の大漁を願って船に乗る。
 「マグロは博打だ」と漁師が言う。我々もその博打にかけた。
答えは出ていない。
2004年11月21日(日)
豊漁祈願
先週から乗せてもらっている漁師さんは、なかなかマグロに当たらない。
それもこの港の漁師の現実。マグロ漁は、「ボウズ」の日が当たり前にあるのだ。博打といわれる所以である。
 一日の漁が日没と同時に終わる。釣果のない日は、巻き上げるテグスも重い。夕暮れの海に向かって立つその後姿を、何日も撮り続けた。
 今日は漁の後、漁師さんと、担当D、私の三人で町に呑みに出かけた。
漁師町にある飲み屋のママは、いろいろなゲン担ぎを知っていた。
飲み屋街の他愛もない噂話が主だ。誰々からメールもらうとマグロが釣れるとか、何処の店で、何を飲むとか。そんな話に漁師は目の色変えているとか。そんな話の中、近所の神社に出かけることになった。
 漁師さんを真ん中に三人。一升瓶をぶら下げて参道の階段を登っていく。柏手をたたき豊漁祈願。自分も漁師になった気がしてくる。本来ならばカメラで撮影する場面だったが、取材相手の漁師さんと一つのチームになることのほうが重要に思えた。一つ船に乗るということはそういうことなのだと・・・
2004年11月15日(月)
レンズVS波しぶき
荒波の中小型漁船に乗り込み取材をするにあたって一番怖いのは、カメラトラブル。カメラにはもちろん雨カバーをつけているが、それだけでは防げないことを過去の経験から知っている。波は、船体に当たり下からもやってくる。風が強い日は、飛沫が絶えず渦巻き船体はもちろん自身の体さえ潮だらけである。当然、指先にも塩がついている。
カメラ自体には放熱を目的とした穴が下部に幾つも有り、それらをビニールで目張りする。カメラ本体正面、サイドスイッチパネル、リアコネクター部なども同様。今のところ機材トラブルはない。
唯一、カメラカバーから露出ているのが、ファインダーとレンズ。今回総勢5名のカメラマンが現場にいるが、ひとつのルールを決めた。
 「レンズをワンカットごとに拭く事」
出来る限りレンズを意識させない映像を目指すことにした。視聴者に見てほしいのは、水滴のついた汚れたレンズではない。時には、効果としてあるが、汚れたままでは効果ではなくなる。
 そうは、云いながらも風と波飛沫が舞うここの海。ワンカットの間にもたえず、レンズには水滴がつく。波がレンズを直撃することもしばしばである。海水がレンズにつくと、これがなかなかふき取れない。拭いてもレンズ表面に膜状に付着する。完全に乾けば簡単に取れるのだが・・・乾く間もなく次々と撮影をこなさなければならない。最初に決めたルールを完全に実現することは現実的に無理かもしれない。とはいえ、きれいなレンズを目指し皆がんばってレンズを拭きまくっています。
2004年11月8日(月)
マグロを獲った!!
遂にその時が来た。
カメラマンがマグロを獲ったのである。
文字変換の間違いじゃない。今回マグロ漁師の取材で船に乗せてもらっている。この時期のマグロのえさは、「ふくらげ(ぶりの幼魚)」。潮周りの関係で、午前中はマグロの餌取りから取材をスタートした。漁師が、餌を取っている様子を一通り収録。
「マグロを釣り上げる」漁師はもちろん、我々もその思いは、日に日に強くなっていた。そのためには、十分な餌が必要不可欠。ディレクターと目が合う。漁師に餌取りを手伝わせていただくことに。
船の後ろから糸をたらすこと15分。漁師の仕掛けにあたりが来た。と思ったら私の糸にもあたりが。いそいで糸をたぐり寄せると魚がついていた。
あげたのは餌ではなく、マグロ v(=∩_∩=)
約1000gの大物である(私にとって)
夕方、港に戻ると漁師さんが刺身にしてくれた。
小さいがマグロの味がしっかりとしていた。うまかった。
マグロを狙った番組で
   カメラマンはマグロを撮らずに獲った。
こういう日もある。反省。
2004年11月5日(金)
ジンクス
11月1日に漁船に乗って取材開始。その後、時化が三日続いた。
今朝は、だいぶ風が収まっていた。早朝より出航し船上での取材。
南西の風10m/s。雨交じりの天気。レンズについた水滴をワンカットごとに拭く。横殴りの雨の中、レンズは瞬時に水滴に覆われる。
午後五時。マグロの気配を感じることなく一日が終わった。ここの港でマグロ漁をしている小型漁船は、今年約70隻。一日の漁で港に水揚げされるマグロは、全体でわずか三本程度。ワンシーズンを坊主で終える漁師も少なくない。特に「カメラマンが乗るとマグロは釣れない。」と云ったジンクスがあるらしい。 我々のチームは、2年連続でマグロを釣り上げるシーンを放送する事が出来た。が、今年はどうなるのか・・・明朝も早朝から船上の取材。釣り上げるシーンも重要だが、漁師の戦いはそれだけではない。まずは、そこから。
2004年10月30日(土)
3年目の正直?
富士山、北アルプスと、山岳取材で、盛り上がってきたいる中、明日からマグロのロケがスタート。終了は、未定?
日の出前から日没過ぎまで毎日、海の上の生活が始まる。
スタート前と云う時期にはあまりここでは書くことが出来ないが、去年よりも実は、燃えているのです。去年、放送が終了した時点では、やり終えた充実感のなか、もう、撮りおえた気持ちでしかなかった。しかし、いま、現場でやりたいことが一杯ある.。
 常々思うのが、マグロ漁師のカッコよさ。
今現在ある食い物を捕る商売のなかで、一対一で自分よりも大きな生物と格闘し止めを刺す、そんな商売は、他にはないであろう。機械化が進む現在の中においてグルメとは、こんな苦労があってはじめて成り立っていることを改めて思う。今年もそんな男たちの生き様を撮り切るために明日からの一歩が始まる。
 日記の更新はしばらく出来ませんが、ノートに記した日記を戻ってきた時に公開しようと思っております。それまでしばらく姿を消します。
2004年10月21日(木)
感謝。
フリーのカメラマンにとって一番頭を悩ませるのが、スケジュール管理。スケジュールが、おして来ると次の仕事に掛かることもしばしばある。でも、次の仕事に穴は、あけられない。悩みどころではあるが、次の仕事に向かうのである。一番最後の肝になる部分のロケであっても。大切にしなければならないのは、頂いた仕事に対して平等に大切であること、信頼を守ること。スケジュールにはまらなくて出来ない仕事もしばしばである。そんな経験を何度もしていくうちに、長いロケスケジュールの仕事のケツは、大概ゆるめにしておく。万が一ロケに穴が開きそうなときのために私には、何人かの仲間がいる。技量がしっかりしていて撮影に対しての心が通じ合える仲間が。互いに大事なお客さんを持っていて都合がつかない時には、互いにフォローしあえる仲間。今年も沢山助けてもらった。これからも宜しくお願いします。
2004年10月18日(水)
剣岳空撮
今年2度目の北アルプスロケ。
天気は快晴だ。9時40分離陸。
今回の機長は、チーフパイロットの肩書きのある大ベテラン。前回の空撮では、雷鳥沢を中心とした紅葉の風景だったが、今回は、新雪をまとった剣岳。黒々とした岩肌と白い雪によりその姿は、前回撮影した姿よりも険しさが表れていた。天候よく気流が安定していたためか、ベテランの技術か前回よりも山に近づき撮影することが出来た。感謝。
剣岳頂上
2004年10月12日(火)
防振ヘッドTYPE-1


防振ヘッドTYPE-1
 防振ヘッドTYPE-1が完成(^。^)y-.。o○
さて、この効果は?家の中を見回しても振動するものがない(ーー;)。テストしたいのに。。。携帯のバイブレーションをあてて見るもののこれでテストになるのか不安。
一番怖いのは、実際に使ったときに、振幅の波がシンクロしてしまうこと。共振。それを避けるために、一応3種類の異なる素材を使ってはいるのだが。共振すると防振ヘッドは、自動首振り機になる可能性が残っている。これに対処するためにTYPE-2も考案中。今週末までに、完成させなきゃいけない期限付き。台風のために工場(テラス)が封鎖されていたので工期が遅れている.

・・・・カメラマンの日記のページからちょっと離れてきてるか。でもね、人と違う新しいものを撮る努力なのです。
・・・工作好きの言い訳か?(笑)
2004年10月5日(火)
憧れの卓上ボール盤


遂に、鉄工所開業準備か?
(自爆)
憧れの卓上ボール盤をGET!。
雨の中、早速工作開始。v(=∩_∩=)
我が家の、工場は、テラスに指定されている。
スイッチを入れ、アルミ板に早速穴あけ開始。
ハンドドリルよりも、回転数が速い。
音が静か。正確。・・・・すばらしぃ〜〜(^0_0^)
 前回の「ミニミニジブ」USO-800 も手直ししなきゃ。
その前に新たなパーツを工作中。
   CCDカメラ用防振ヘッド。
   豆カム用水中キット
これも、憧れの卓上ボール盤と一緒ならきっと・・・

 それにしても、カッコいいなぁ〜。
           ・・・・・卓上ボール盤
2004年9月26日(日)
剣沢へ

雷鳥沢
北アルプスロケ初日。
今回は、ロケハン、各方面にご挨拶を、主目的とし「折角行くならカメラも持って行こう」ということで室堂から、スタート。
8:00 室堂着。天候・・・霧。「まさか、富士山の天気をつれてきたのか? 雨男は私σ(^_^;?」
室堂から歩いて10分。ミクリガ池に着く。「雨」。スタッフの中で誰よりも早く合羽を出し、カメラにも雨カバー。
池からは下り。10分程で雷鳥沢につく。ここは、3000mの山々に囲まれた平地。稜線は雲に隠れて見えない。紅葉は始まっていたが太陽の光のなく、輝きのない発色。
ここに立つと山の近さに圧倒される。
剣御前小舎のある別山乗越にあがると、剣岳が、雲の切れ目に姿を現した。が、三脚を用意している間に、再び雲の中へ・・・・・昨日までの自分の「おこない」を呪う。剣御前小舎から剣沢へ40分の下り。富士山同様下りは苦手である。
下り始めて5分。ひざに痛みが走る。画が撮れず、ひざの痛み。最悪。痛み出すと痛みばかりが気になり、風景を見るゆとりもない。痛みのために、歩を止め空を仰ぐ瞬間、見えた。憧れの剣岳。雲の中から現れたその山は、圧倒的な高さをもって眼前にそびえていた。

 次回あの頂で仕事が出来ることを祈り撮影。下山。

剣岳
2004年9月25日(土)
さて、次は!?
先週末、富士山がロケ一応終了。
天候に恵まれなかった富士山ロケだったが、最後の最後に
我々スタッフの願いが通じたのか、夕焼けの中に浮かぶ
富士山の姿を撮影することが出来た。
後は、編集さんに、バトンタッチ。

体力的にそろそろ山の取材を諦めようと思っていた矢先、
今度は北アルプスの取材。四季を通じて、撮影できるお仕事を
頂いた。まずは、今日これから富山に入る。
明日は、剣沢までの日帰り撮影。一足早い秋の風景を撮影しに。
10年前の若い頃の私と、今現在の私との経験の違いを「味」として
出すことができるだろうか?まだ、勝負の時が続く。
2004年9月11日(土)
天気祭りの成果か?



朝。4時起床。天候霧雨。
機材を、車に詰め込み五合目付近を目指す。
雲が低く垂れ込めている。今日はタレントさんと
頂上付近でのロケ。スケジュールの関係でこの日
しか撮影日がない。
 事前の準備は全て行った。あとは、晴れるだけ。
そう考えても、頭上の雲は厚く、気持ちは弱気に。

七合目付近。
陽が差してきた。
雲の切れ目から濃いスカイブルーが見えた。
厚い雲の上には高々と突き出た富士山頂が
赤い山肌と青空とのコントラストの中見えた。
 「いける。」
いま、このときにもカメラを回したい衝動に駆られ
ながら、頂上を目指した。

思い描いていた映像を、考えも出来ない大自然の中で
撮影できることは、冥利に尽きる瞬間である。
山頂からの眺めは絶景だ。
足元には雲海が遠くまで広がっていた。
空の青さは、宇宙に繋がっている事を実感できるほど
遠く深い青だった。

下山のスケジュールもあり、山頂付近には、わずか
二時間半しか居ることが出来なかった。がしかし、
予定したカット、プラスαの仕事が出来た。

下山。富士山の姿はまた、霧の中に隠れ、
やがてその位置は、頭上の雲の中に。
2004年9月10日(金)
富士山に嫌われる?

雲の向こうで富士山は・・・
ロシアから帰国後、一日空けて山中湖湖畔の高台。
今日も、富士山の姿をワンカットも撮らせてもらえない。

前回来たときも、台風15号の影響で富士山の実景は
ワンカットも撮れなかった。

この日、夕方まで粘るが結局天気は回復せず。
明日は、山頂での取材。

宿に戻る。師匠に教わった快晴祈願、天気祭りを敢行。
一日を、思う仕事が出来ずに終えるとかなりへこむ。
酒の量も増える。夜も更けていく。天気も心配だが、
寝不足、二日酔いを心配しながら就寝。午前1時。
     ・・・・ちょっと呑みすぎたか(自嘲)
2004年9月8日(水)
帰途にて
日本時間午前1:50 日本へ向かう飛行機の中にて

ロシアのイメージといえば凍て付き凍った北の大地。荒涼とした平原が続いている。といったものであったが、実際に見ることが出来た風景は、とても豊かなものであった。また、ノボシビルスクの街は、古い歴史のある建物と近代的な建物が良いバランスを造る美しい町並みであった。特に若者たちは、非常にファッショナブルであったし、スタイルも日本人である自分の体形が、みすぼらしくなるほどかっこよかった。
人々も気さくで、大変親切にしていただいた。感謝。

旧ソ連の「鉄」といったイメージとは、程遠いものであった。

が、しかし、ロシア南部・北オセチア共和国で起きた学校占拠事件に対しては、強い憤りを覚える。約300人もの人々が犠牲になる今回のテロ行為。特に弱者である子供たちの通う小学校で起こったことは、忘れてはならない。
 大人がしなければならないこと、それは、子供を育てることだ。たとえどこの国であろうと、どんな民族であろうと、すべきことは子供を育てることである。このことは、種である人間に対して遥か昔から決められていたことなのである。今、世界各地で行われている戦い。それぞれに大義名分は、あるかもしれないが一番大切なことをもう一度考え直してほしい。
地球に住む人間として。
2004年9月7日(火)
最終日
ロシア ロケ最終日。
朝。長い廊下の途中にあるホールからは、クレムリンが良く見えた。

8:00ロビー集合。昨夜同様400mの道のりを2往復 機材を持ってロビーで待機。
 車が来ない。コーディネーターが10分遅れで到着。
一連のテロに対して、この日クレムリン前で大規模なデモ行進が行われる。そのための警備体制により車両は、一切近づけない状況になっていた。ホテルから、およそ600m先に車があるという。 朝、車に機材を積み込み取材に出かけることは、我々にとって日常茶飯事であるが、ロケ車までの距離がこんなに遠いのは、後にも先にもないであろう。
モスクワ郊外で取材。
ロシアでのすべての取材活動が終了。モスクワ空港へ移動開始。3時間半。渋滞がなければギリギリ到着できる時間。いつもどおり時間が、ないのである。
ロシア最後の食事は、赤地黄色で書かれたの文字。何時でもどこでも〜♪ドライブスルーで、移動飯。おかげで無事にモスクワ空港に着くことができました。
19:30 すべての作業を終え成田に向かい離陸。
2004年9月6日(月)
今日も移動。
朝、10時にホテルを出発。ノボシビルスク市内の大学で取材。
夕方の飛行機でモスクワへ移動。
←モスクワ空港

21:45 クレムリンの前にあるインターナショナルホテルに到着。
     テロの影響かホテルのチェックイン時にも、パスポートを提示
     チェックインにも小一時間かかってしまう。
     このホテルには、ベルボーイもポーターもいないらしい。しかも、荷物用の
     カートもない。エレベーターで、10Fに上がる。部屋番号は、1014番。
     最初に見えた番号は、1227番 ん?このホテルとにかく大きい。一辺が
     200m×200mの□型のホテル。 真中には、広大な中庭と、ホールらし
     い建物があった。機材を持って部屋とエレベーターホールを2往復。
     ちょうどエレベーターホールと1014番はま反対の位置にあった。約400m。
     まさか、ホテル内でこんなに移動があるとは。ロシアの大きさに呆れる。 
 
2004年9月5日(日)
アルタイ山脈


4:00 目が覚めると山岳地帯を車は走っていた。
6:00 日の出 途中、川のほとりで日の出を撮影。気温7℃
     日が昇ると川面からは、湯気が立ち幻想的な風景を見せてくれた。

8:00 予定通り現地に到着。
      この山脈の向こうは、モンゴル。
    標高2100mアルタイ山脈の西の端。山肌には、樹木が少なく温暖化
    すれば、間違いなく砂漠化するであろう風景。 

12:00 今来た道を折り返す。そう。800km・・・
     戻るのは、少し憂鬱である。
     前回、通過したときは、真夜中であったため良くわからなかったが、
     かなり山深いところだった。日本のように急な斜面ではないが。
     牛や、羊の放牧が目立つ。 
16:30 トラブル発生。
     ハイウェイがトラック同士の多重事故のために通行止め。
     迂回して、地元の道を行くが、道に迷い立ち往生。なんとか人を
     見つけて道を聞き出す。迂回してきた道を20分もどる。
     途中、岩の出っ張りに予備のタイヤがあたり、外れてしまう。
     急な山道を登っていくと今度は、故障車が立ち往生していた。
     崖下40mはありそうな横を、ゆっくりとすり抜ける。
      なんとかハイウェイに戻る。遅れを取り戻すために少しスピードアップ。
     と急激にスピードダウン。どうしたのかと、前方を見るとそこには、警官が
     二人立っていた。 スピード違反(T^T) またしても20分のロス。
     道のりは、遠く険しい。
27:00 ノボシビルスク駅前のホテルに無事到着。
     日本を出てから、やっとまともな睡眠にありつける。
     移動中も車の中で寝てはいたのだが、ベットの上で5時間眠れるのは、
     かなりうれしい。 

2004年9月4日(土)
車で800Km?
12:.00 ホテルロビーに集合。3時間の仮眠の後、遅めの朝食をとる。
14:00 約800kmの車移動のスタート
     遠くアルタイ山脈を目指す。途中の道のりは、想像していたより
     もはるかに緑豊かであった。道沿いの広大な農場では、麦や、
     蕎麦を実らせていた。ちなみにロシア人のそばの食べ方は蕎麦
     の実を米のようにたいて食べているようだ。日本のように麺には、
     していない。現地のドライバーに尋ねたところ蕎麦の麺は、信じら
     れないといった表情だった。そのほか、牧場では、牛、羊なども
     健康そうに草を食べている。道には、白樺のような樹木が並木
     道を作り、赤松の林が現れたりと、移動する我々の目を和ませ
     てくれた。
19:50 途中、夕陽を撮影。
23:00 およそ、3時間ごとの休憩。星空がともきれいだった。
     日本で見るよりも北極星の位置も高く見える。 月齢19日の月が
     遠くの山並みの稜線を照らし出していた。

 移動の車両の中で仮眠。 時々目を覚ますが、風景までは記憶に残らず。
   予定では、明日の朝8時ごろ着くらしい。
2004年9月3日(金)
ロシア ロケスタート
現地時間15:00 日本時間21:00 西シベリア上空。
飛行機の窓からは、曲がりくねった川が見える。湿地独特の曲がりくねった形状の川。その周りには、川になれなかった池が無数に点在。地面の色は、赤茶。ところどころ白い粉がふいているようにも見える。これが、永久凍土なのか? それにしても太陽が低い。成田12:00発 エアロフロート576便にてモスクワに向かった。

17:30 モスクワ空港着陸。
     天候 雨。国際空港のわりには、とても静かな空港。 

18:00 税関では、機材の一時輸入でもめる。
     日本を出るときに、カルネ協会のページ
     ( http://www.jcaa.or.jp/carnet-j/7.html  
       http://www.jcaa.or.jp/carnet-j/8.html  )
     で確認したにもかかわらず、ATAカルネを要求される。
     日本を出るときには、機材リストを税関に提出。一事持ち
     出しの書類を作成してもらうが、すべて日本語。モスクワの
     税関係官曰く正式な書類でわないと。30分かけて、双方
     納得できるカタチで通関。
19:00 モスクワ市内移動。
      東京と、比べると全体的に建物が低い。空も低い。
     雨のためか市街地は、渋滞していた。
19:20 モスクワ市内 アパートメント
     物理学の研究者宅を訪問。インタビュー。
20:40 終了。撤収。大至急。
20:50 モスクワ空港へ移動開始。 
21:30 空港着。予定していた飛行機よりも一時間早い出発になっていた。
     再度機材を梱包。国内線の空港ゲートには、テロのためセキュリ
     ティーチェックが大変厳しくなっていた。利用者の列は、雨の中、外
     まで伸びていた。空港の中に入るのに20分を要した。夕食を食べ
     る間もなく搭乗。
22:30 離陸 ノボシビルスクへ向かう。
     約4時間のフライト。3時間の時差。
5:30  ノボシビルスク着。
7:00  ホテルにチェックイン。
     ホテルは、ノボシビルスクの駅の前にある。
     
7:30 日本から持ってきた焼酎で乾杯。
9:00 仮眠。 まだまだ、大移動が残っている。
 
2004年8月31日(火)
七年後の夏に向けて
夏休み最終日。台風一過の晴天の昼下がり。
公園で撮影中に蝉を見つけた。
 彼らは、七年後の夏を信じているのだろう。
この国の人々は、何年の単位で未来を見ているのだろうか?
先日のインタビューの中で七世代後に残せるものを作る事が大切
だという言葉を聞いた。七世代・・・200年の計。

七世代後のことも、七年後の夏も信じられない自分。
私の夏休みの宿題は、来年の夏まで持越しです。
2004年8月29日(日)
ミニミニジブ

 昨日は、劇的デビューを果たしたミニミニジブ。
「USO-800」と名づけた。
現場では、その、堂々とした容姿に制作スタッフからどよめきも沸いたのですが・・・・
 さぁ、収録ということでテスト。
小さな被写体に対して制作したものの、これが、大変。ストロークの変化が、被写体とあわない。その他、可動部に使ったグリスを塗った金属ワッシャーのすべりの悪さ、ハンドドリルで製作したため各部の精度の悪さ、がいろいろと悪影響をだした。
 
 以下その問題点。
   ●スタート時のカクッとした動き出し。
   ●フリクションが無いために細かなニュ
     アンスの再現が出来ない。
   ●ワッシャーをシリコンに変更。
   ●アームストロークの変更もしくは、
     調整範囲の拡大。 
   ●円運動のため、フォーカス、サイズに
     ついて変化が出る。限りなく直線運動に
     変更できるか。


今回の被写体のサイズは、高さ10cm。
このクレーンを使ったときに一番効果が出そうなのは、30cmぐらいの高さのものがよさそうだった。
これは、支点からの距離で調整できるのだろうか?製作し、実際に使ってみるといろいろな問題が出てきた。問題と原因がハッキリしているので対処は可能なはず。
 次回は、酒抜きで作ります。(^^;; ヒヤアセ

2004年8月27日(金)
自動酒注ぎ機製作中!?
・・・ちょっと時間がありまして
  ・・・おいしい酒の飲み方を研究してみました。
灰皿、グラス、ボトル、煙草。この順番は、究極の置き方。(笑)
その下にあるのが、未完成ではありますが、自動酒注ぎ機であります。
もとい。「ミニミニジブ」
 小型CCDカメラ用に制作してみました。完成まで、あともう一息です。
小型CCDカメラで、カメラワークをする為に極力コンパクトに作ってみました。
ユーロジブのように菱形にしたほうが、コンパクトになりそうなのですが、
今回は、カメラワーク重視。
ボールヘッド台座がチルト出来る用工夫があるのです。
 デビューは、明日。某企業の店頭用PVの撮影があります。
そこで、小型CCDカメラの特徴を活かしたカメラワークにトライします。
 ミニミニジブの完成形と撮影後記をお楽しみに。゚・-y(^。^).。oO○プハァ
2004年8月18日(水)
富士山 手強し
今回の取材の敵は、天気。
初日、登山開始のため五合目に行くと係りの人(?)に、しばらく様子を見るように言われしばし待機。この日の天候は、霧。視界5〜10m。
時折風が強く吹き、雨も横から降っていた。朝、6時にスタンバイしていたものの、結局8時になっても回復傾向の情報を得ることが出来ず、断念。五合目付近で撮影できるものを撮影して終了。

 翌朝。天候は快晴。御殿場市内から富士山に朝日が当たり、赤く染まる様を撮影し、富士山に向かう。
五合目付近では、昨日の天気がうそのように空気が澄み渡り、撮影もはかどる。諸般の理由ににより、登頂開始が、8時30分。やばい。
15時には、山頂に届かなければいけない。

通常の富士登山と違い、一人10kg〜20kgの機材を持ち撮影しながら登る富士山は、想像以上に過酷。
しかも、決められた時間がある。左の写真は、七合目付近からの眺望。前日の雨の影響か雲海がきれいであった。 

しかし、八合を過ぎてからは地獄。酸素量が少ない中、ひたすら山頂を目指す。残り時間1.5H・・・
後半私は、苦しさのあまり、「羊」を数えて登っていた。
結局40分遅れで到着。二時間の取材終了後、九合の小屋まで下山。途中、日没、霧、またか。
 風も、次第に強くなり始めていた。

翌朝。台風15号の影響で、富士山頂付近は、嵐。
急遽、ブルに乗せていただき再度山頂へ。
悪天候の中、カメラを出すことが非常に困難な状況であった。頂上では、風速20mの風が吹き荒れ、雨、霧が乱舞していた。カメラを構えてもレンズは、あっという間に水滴に占領されてしまう。ぬれたカメラをザックにしまえば即、結露の原因に。最低限、出来る範囲での撮影を行い下山したのであった。
 
2004年8月13日(金)
えっ?あと4回!?
いよいよ、明日から本番撮影。
内容とスケジュールの最終打合せを昨日終えいよいよHDカメラをもって富士山に行ってきます。
ただ唯一気がかりなのが二日続けての
富士山頂 日帰り登山。
超過激なスケジュール(笑)
この間までの私は、若者の側にいる努力をしていたが、前回の富士山行では、その仮面は、見事に崩れ落ちていた。
体力を奪われた、カメラマンは、
                   芋虫以下(ノ_・。)
そう。あと三回の登山は、一回増えてしまったのである。
まぁ、それだけチャンスが増えたことを
喜ばなければいけないはずなのだが・・・

ただ、撮影方法など、具体的な手法を
準備するには十分な時間があった。
   いざ!

2004年7月21日(水)
山頂は、4℃


富士山頂より

2日間の山行を無事に終え、下山。
山頂付近の天候は、風が強く非常に
変わりやすかったですね。その瞬間
にしか出会えない風景。気温4℃の
中での作業。ちょっと気を緩めると、
狙っていた風景が
すべてが霧の中に
消えてしまう。

30分待っても、もう出会えない。
 さて、撮影のヒントを、見つけられた
かというと、50%かな?いろいろと、
テストしてからの判断。
 それよりも、やはり、この二年の不
摂生がたたったのか、登りで、息切
れ、足が上がらず、下りでヒザを傷
めてしまった。一夜明けて、自分の
顔を鏡で見たら、日焼けで、目がは
れて、津軽の土偶のよう。。。。
 あと3回その頂上目指しての、仕事
が残っている。今回の、山行が、
トレーニングになっていることを、自分
に期待(笑)

2004年7月18日(日)
ひさびさの、山取材

久々の山取材。
思い返せば、2年前に屋久島に上って以来。
体力は、大丈夫かと、キーボード打ちながら
ハイライトをくわえている。
今回は、ロケハン、テスト撮影、プラスアルファー
ということで、機材もスケジュールもゆるめなのが
ちょいと助かる。
しかし、問題は、山積。今回のロケハンで、
撮影ヒントを持ち帰れなければと思うと気は、
抜けない。
 毎度ながら、新しい映像を捉えるための手法
を、考え出さなければならず、その道筋すら、
見えていないのが現状。
まずは、現場で考えましょう(笑)

2004年7月16日(金)
やっと更新

自分なりの撮影感を短く載せていきたいと思います。
カメラマンとして、正義とは・・・
などと、硬くしてもしょうがない。
撮影後記のページとなるよう努力しますので、
応援よろしくお願いいたします。

ご感想など、お聞かせください。

父ちゃんとして、ちゃんとする為に・・・ 
 
 むかし、うちの子は、ヒーローアニメの
 ヒーローになることを夢見ていた。
 そんな時、『カメラマンも「マン」がつくからヒーロー?』 
  と聞かれ、
 『もちろん、正義の味方だよ』って答えた。

 カメラマンとして、正しくあること。
   自分の右目を信じて『REC』ボタンを