週末1エンジン規定
グランプリの週末は1エンジンのみ使用できるという規制がかかった。
つまり、金曜日のフリー走行から決勝まで1基のエンジンを使用する。
何らかの問題により交換する場合には、ペナルティとして予選グリッドを10番下げられてしまう。
決勝を走るマシンは、決勝前の走行距離をなるべく抑え、エンジンをいたわりたい。
しかし、ロングランのデータも取得したい。
2003年度のコンストラクターズランキングが5位以下のチームは金曜日のフリー走行で3台目のマシンを走らせることができる。
BAR、ザウバー、ジャガー、トヨタ、ジョーダンはテストドライバーは金曜日に多めに走りデータを取得していった。
前年上位のチームは慎重にならざるを得なかった。
しかし、慎重になっていたのもシーズン序盤だけだった。
パフォーマンスダウンを期待して導入された週末1エンジン規定だったが、開幕時にはすでに昨年と同等のパワーを持ち、信頼性も向上していた。
重量もシーズンが進むにつれて軽量化が進んでいった。
フェラーリのパフォーマンス
開幕戦、金曜午前中、最初のフリー走行で、わずか4周しかしていないM.シューマッハが、昨年のポールポジションタイム1'27.173を2秒も上回る1'25.127を記録した。
僅差でR.バリチェロが続くが、3位のJ.トゥルーリは10周するがM.シューマッハのおよそ1.9秒落ちでしかなかった。
開幕戦決勝ではM.シューマッハとR.バリチェロが常に1位-2位を譲ることなく完走する。
フェラーリの強さはシーズンが変わっても変わらなかった。
その後、第6戦モナコGPでM.シューマッハが周回遅れのJ.モントーヤに追突されるまで、圧倒的なパフォーマンスで優勝を続ける。
第14戦ベルギーGP、最終戦ブラジルGPのように、暖まりにくいタイヤに泣かされたことも多かったが、シーズンを通し、予選結果が悪かろうと、レース中のマシンにトラブルが発生しようと、常に優勝できる位置につけていたチームだった。
第10戦フランスGPでは、レース中に3回ピットストップ作戦を4回ピットストップ作戦に変更し優勝を得るなど、マシンだけでなくチームの作戦もうまく機能していた。
一方、フェラーリを追うべき、ウィリアムズ、マクラーレン勢の成績は振るわなかった。
マクラーレンはエンジンの信頼性に泣かされ続けた。
ウィリアムズは、画期的なノーズのマシンを準備してきたが、成績に残らなかった。
マクラーレンはフランスGPでBバージョンを投入し、ウィリアムズはハンガリーGPでノーズを従来のタイプに戻してから、ようやく戦えるようになってきた。
追われるフェラーリは絶好調だった。
BAR佐藤琢磨
BARが躍進を遂げた年でもあった。
J.バトンは第2戦マレーシアGPでついに念願の初表彰台を果たし、第4戦サンマリノGPでは初のポールポジションを獲得する。
サンマリノGP決勝では、戦術でM.シューマッハに勝利を奪われるが、序盤はトップを快走した。
日本人・佐藤琢磨は、謎のトラブルが続いた。
J.バトンに比べて、佐藤琢磨のマシンにトラブルが発生することが多い。
J.バトンと佐藤琢磨はマシンの扱い方が違うからと言うことで、J.バトンと同じスタイルでマシンを扱ってもトラブルは発生し続けた。
マシンの不調に泣かされながらもすばらしいパフォーマンスを披露した。
第7戦ヨーロッパGPで日本人初のフロントローを獲得する。
決勝では中盤からR.バリチェロとの2位争いになる。
ピットイン毎に2人は順位を入れ替えた。
終盤、佐藤琢磨の最後のピットストップが終わりコースに戻ったとき、2位のR.バリチェロが目の前にいた。
ミシュランタイヤは初期パフォーマンスに優れるものの、グリップダウンが激しいと言われる。
抜けるときに抜いておかなくてはならない。
46周目の1コーナーで佐藤琢磨はR.バリチェロのインを衝いた。
接触。
ピットに戻り接触によるダメージを回復しコースに戻るが、今度はエンジントラブルが発生し表彰台の夢は潰えた。
表彰台は第9戦アメリカGPでようやく実現できた。
R.シューマッハが最終コーナーで大クラッシュを演じる。
多くのチームはここでピットインするが、給油するにはタイミングが速すぎるBARはコースにとどまった。
そのため、佐藤琢磨がピットインしたときには順位が10番手まで落ちてしまった。
ここから佐藤琢磨は前を走るドライバーを次々と抜きまくり、ついに表彰台に立った。